第27話 踏み出すためのあと少しの勇気
俺たちの劇は、大盛況のうちに幕を下ろした。
拍手と歓声が響き渡る中、俺は舞台の裏から抜け出す間もなく、珊瑚に手を引かれていた。
「さ、あっくん。今からは私の時間だよ〜?」
「え、ちょ、待っ……」
袖を引っ張られるがまま、気づけば模擬店の並ぶ中庭へと引きずり出されていた。
紙の提灯が灯りをともしていて、文化祭の雰囲気がそこかしこに漂っている。
「ほら、あっちの焼きそば食べよ! さっき見たときめっちゃ並んでたけど、今ならいけそう!」
「……ああ、うん」
言葉に覇気がない自覚はあった。でも、どうしても力が入らなかった。
焼きそばの湯気が立ち昇る屋台の前に並んでいても、射的で景品を狙っていても、どこか現実感がない。
――あの時の、リリスの顔が、ずっと頭にこびりついている。
観客には笑顔を見せていた。
でも、俺だけが知っている。あのとき、彼女の瞳から光が消えていたことを。
……それでも、俺はあの場で、何もできなかった。
「ほら、あーんして?」
「いや、自分で食べるよ……」
珊瑚が冗談めかして焼きそばを箸でつまみ、俺の口元に持ってくる。
けれど、俺は笑えなかった。反射的にそれを避け、少し間を置いてから自分の箸で口に運ぶ。
「……なんか、今日のあっくん変だよ?」
珊瑚の声に、俺は思わず目を伏せた。
そうだ。変なのは、俺自身なんだ。
本来なら、これは“嬉しい時間”のはずだった。
昔から好きだった珊瑚と、ようやくこんなふうに一緒に歩けているのに――
心が、どこにも向いていない。
歩きながら、俺は無意識に振り返っていた。もう誰もいないはずの、さっきまでいた舞台の方を。
「……ちょっと、ひとりになりたい」
俺はそう呟いて、珊瑚の手をそっとほどいた。
彼女は驚いた顔をしたが、すぐに笑ってみせた。
「そっか。じゃあ、後夜祭には絶対来てよ? 花火、きれいだよ~」
「ああ、わかった」
その場を離れ、俺は暗くなった校舎の方へと足を向けた。
喧騒が背中から遠ざかっていく中、胸の奥の違和感は、消えるどころか強まっていった。
◆◇◆
夕暮れが完全に夜へと沈み、文化祭の余韻は後夜祭へと形を変え始めていた。
だが、俺はその賑わいから遠ざかるように、誰もいない校舎の廊下を歩いていた。
静まり返った廊下に、靴音だけが乾いた反響を返す。
教室を一つ、また一つ通り過ぎるたびに、胸の中の“もや”が濃くなっていく気がした。
なんなんだ……この感覚
リリスの言葉、表情、消えた光。
それを無視して笑っていられるほど、俺は器用じゃなかった。
……そのときだった。
「おい、こいつ……女じゃね?」
廊下の向こう、昇降口近くの陰から声が聞こえた。
慌てて足を止めて物陰から覗くと、そこには――愁がいた。
校門から紛れ込んだらしい数人の男子学生に囲まれている。
彼らの視線は、愁の顔と体を、いやらしく値踏みするように這っていた。
「マジじゃん、やべ、顔整ってんじゃん。ねえねえ、ちょっとだけでいいからさ――」
「なんだ貴様ら」
愁の声が、低く凍るようだった。
拳を握りしめ、あと一歩で手が出そうな――そんな空気。
「――ストップストップ」
俺は間に割って入った。
「よくないっすよ、こんなとこで騒いでたら。
そろそろ先生も見回り来る頃っすよ」
俺の声に、男たちは顔を見合わせ、しばし沈黙。
一人が舌打ちし、ぶつぶつ言いながらも引き上げていった。
去っていく背中を見届けてから、俺はようやく息を吐く。
「大丈夫か、愁」
愁は、まだ張ったままの肩を下ろし、俺を見た。
その表情には、怒りとも違う、苦い色があった。
「ありがと。でも……」
その声が、いつもより少しだけ低かった。
「敦、ボクにはそんなふうに優しくできるのに――
なんで、リリスにはできなかったんだよ」
不意に、胸を殴られたような気がした。
言い返す言葉は、何も出てこなかった。
唇を開いても、空気しか吐けない。愁はそれを見て、小さくため息をついた。
「……悪い。今のは、言い過ぎた」
「……いや、正しいよ」
しぼり出すように答えた。
俺は、たしかに逃げたんだ。
あの場で、応えることから――思い出すことから――そして、誰かを選ぶことから。
俯いた俺に、愁が視線を寄せた。
「敦、お前……なにか変だぞ。なんか、おかしいんじゃないか? 前からずっと」
俺は、小さく頷いた。
「……わかってる。自分でも、変だと思ってる。
ずっと胸が重い。何かに触れようとするたび、頭が痛くなる。
まるで……なにかに、触れちゃいけないような気さえするんだ」
愁の目が揺れた。
「すまん。ここまでしか…」
痛むこめかみに手を当てそう言うと
愁も目を伏せる。
「そっか。ごめんボクこそ。
敦にも敦の事情があるもんな。
でも、少しだけでいい。リリスに優しくしてやってくれ。
ボクの分も」
そう言い残すと愁は悲しそうな顔をして去っていった。
残された俺はその場に立ち尽くすしかなかった。
この違和感の正体が何か。
それを口にするには、まだ――少しだけ、勇気が足りなかった。
◆◇◆
愁と別れ、再びひとりになった俺は、夜の校舎を歩いていた。
窓の外では、後夜祭のステージが盛り上がりを見せている。音楽と歓声が、遠くで花のように咲いては散っていく。
だけど、どうしてもその輪に加わる気にはなれなかった。
人混みも、光も、ただただ眩しすぎた。
俺の心の奥ではまだ、霞川リリスのあの顔――光を失った瞳が、刺さったままだった。
こんなはずじゃなかった。
本当は、もっと笑って過ごすはずだった。
誰と、どんな時間を過ごすかなんて、もう決まっていたはずだったのに。
なんで……
自分でも理由がわからない。
あんなふうに、無視するつもりなんてなかったのに。
なのに、あのとき――あの一言を返すとき、俺の口は勝手に“演技”を選んだ。
まるで誰かに操られるみたいに。
「…………っ」
俺は思わず、壁にもたれかかった。
胸がざわざわする。息が苦しい。けれど、それでも、思い出せない。
なにかが、そこにあるのに。
霞の向こうに、手を伸ばせば届く気がするのに。
肝心の“名前”も“声”も、そこからはこぼれ落ちていく。
「……っくそ……!」
こめかみを押さえる。
頭が痛い。心まで軋む。
――そのとき。
思い出す――
それは、夏休みの終わりに物置で見つけた、古びたキーホルダー。
あのとき、確かに思い出しかけたはずだった――誰かと、約束を交わしたことを。
だけど、夏休みの最後の記憶がぼんやりしている。
あれ……どうして、渡そうとして――やめたんだ?
頭の中で霧が巻き起こる。
思い出そうとするたび、痛みが走る。
それでも、俺は諦めずに、その先に手を伸ばしていた。
「――また……誰かの、大事な気持ちを踏みにじるのかよ、俺は」
胸の奥に、小さな声が響く。
それが、誰の声なのかもわからないまま。
それでも、確かに知っている。
俺はきっと、何かを忘れた。
そして、誰かが、それを思い出させようとしてくれていた。
リリスも、愁も――きっと、皆。
でも、俺は。
「……逃げてたんだな」
誰のせいでもない。
目を背けていたのは、自分だった。
夜風が、校舎の窓をさらりと通り抜けていく。
拳を握りしめ、俺はただ、その場に立ち尽くしていた。
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