第14話 誤った部屋割りと夏祭りの香り

 日が暮れて、浜辺の喧騒が静けさに変わった頃――俺たちは、別荘の中央にある談話室に集まっていた。


 それぞれシャワーを浴び、すっきりした顔でお気に入りの飲み物を片手に、ソファやカウチで思い思いにくつろいでいる。


「ふぃ~、あれだけ騒いだらさすがに疲れたね~」


 珊瑚が、ストレッチでもするように両腕を大きく伸ばす。横では霞川がレモンティーを優雅に口に運んでいた。


「ですが、素晴らしい一日でしたわね。皆様と全力ではしゃげたこと、非常に有意義でしたわ」


 ほんと、今日は最初から最後まで“全力”だったよな。特に海藤とか、海藤とか、海藤とか。


「……ボク、明日は筋肉痛で死ぬかもしれない……」


 ブランケットに包まりながら、海藤がぐったりしてソファにもたれかかっている。あんなに逃げ回ればそりゃそうだ。

 まあ、俺もそうだが。


「そうだわ! 皆様にご報告がありますの!」


 ふと立ち上がった霞川が、談話室の棚から何かを取り出した。何冊かの観光案内や地元情報誌のようだ。


「この別荘の近くで、数日後に夏祭りが開催されるようですの。わたくし、ぜひ行ってみたくて!」


「夏祭り!?」


「やったー! 浴衣着れるやつー!」


「……ボク、縁日って行ったことないかも……」


 にわかに盛り上がる談話室。霞川は嬉しそうにパンフレットを配っている。打ち上げ花火、夜店、金魚すくい――王道がそろい踏みだ。


「せっかくだし、みんなで行くか」


 と俺が言えば、すかさず珊瑚がにんまりと笑う。


「それならさ、一人ずつと回るのもアリじゃない? ほら、時間ごとに交代でさ~」


 ……嫌な予感しかしない。


「すばらしい発案ですわね! つまりデートタイム、ということですわね!」


「な、なんでそうなる!?」


「いやいや、皆で行くって話だったろ!?」


「え~? 皆で行って、途中で別れて、また合流すればいいじゃん?」


 あれよあれよと決定事項が積み上がっていく。なんでだ。なぜ自然に“ひとりずつと回る”という制度が発足したんだ。


「ふふふ、わたくし、浴衣姿も自信ありますのよ?」


「……これは拒否権がないやつか……?」


 すっかり空気は“夏祭りデート会議”に切り替わっていた。俺の意思? そんなものは最初から存在しないらしい。


 そして――

 この時の俺はまだ知らなかった。

 これが、あの“地雷原”の第一歩になることを……。



◆◇◆



「静かな夜と、二人の距離」


 談話室の喧騒がひと段落し、珊瑚と霞川が「今日は疲れたからもう寝る~」と女子部屋に戻っていったあとも、俺と海藤はしばらくその場に残っていた。


 気がつけば部屋の隅のランプだけが灯り、窓の外からは遠く潮騒の音が聞こえてくる。


「……静かになったな」


 ソファに座ったまま、ぽつりと呟いた俺に、愁はミネラルウォーターのボトルを開けながら頷いた。


「うん。……ていうか、今日ほんと疲れたよ。水着の件とか、もう拷問かと思った」


 海藤は少し眉を寄せて、ぽりぽりと自分の頭を掻いた。


「ごめん、迷惑かけた……よな?

 それに見苦しかっただろうし」


「いや、別に……俺も楽しかったし、こういって嬉しいか知らないけど似合ってたよ」


 俺の返事に、海藤はちょっとだけ目を見開いて、それから静かに笑った。


「ふふ……そっか。なら、よかった」


 その笑みはどこかホッとしたような、でも少し照れたような、そんな表情だった。


「でもさ」


 海藤はふと、視線を上げて、俺をじっと見た。


「雛森敦、おかしいと思わなかった?」


「……何が?」


「部屋割り。ボクが男子部屋にいること。誰も突っ込まなかったけど」


 言われて、ようやく気づいた。そういえば――今朝のどたばたで流していたが、水着姿を見た瞬間に思い出していたはずだ。


 海藤愁は、女だ。

 なのに、今俺とこうして普通に男同士の顔して、談話してる。


「……正直、忘れてた」


「だろうね。あのタイミングじゃ、騒ぐ暇なかっただろうし」


 海藤は、薄く笑った。


「でも、今日ずっと、誰かが言い出すんじゃないかってヒヤヒヤしてた。特に珊瑚……目、やばかったもん」


「ああ……それは……俺も見た。あれは多分、マジで詰めてくるタイプのやつだな」


「……あの子、ボクのこと嫌いかな」


 ぽつりと漏れた海藤の言葉に、俺は思わずそちらを見る。

 その顔は、今日の水掛け合いで見せた笑顔とはまったく違う。どこか、不安げで、脆さを抱えた瞳だった。


「別に嫌ってるわけじゃないと思う。……多分、何かあるんだろ珊瑚にも」


「そっか……そりゃそうか」


 海藤は目を伏せて、俯いた。


 しばしの沈黙。

 そのまま立ち上がった海藤が、俺の隣に座ると――不意に、言った。


「さっきはありがとう、雛森敦。……ボク、あのままじゃ泣いてたかも」


「……そうか?」


「うん。だから、助けてくれて、嬉しかった。……ありがと」


 そう言って、海藤はそっと、俺の肩に頭を預けてきた。


 ――ドクン、と心臓が跳ねた。


 近い。

 柔らかい。

 あ、これ、ダメなやつだ。絶対、意識したら負けなやつ。


「な、なあ。もうそろそろ寝る時間じゃないか?」


「ふふっ。逃げた?ボクも捨てたもんじゃないね」


「うるさい。……行くぞ、寝る準備」


 俺は立ち上がりながら、精一杯自然に振る舞おうとした。

 けれど、その背中に――海藤の声が届く。


「ねえ敦。ボクって、やっぱり変かな?」


「……変じゃない。お前は、お前だよ」


 少しだけ、迷ったけど――それが、今の俺の正直な気持ちだった。


 そしてその瞬間、背後で“トン”という足音がした。


「愁ちゃん、そろそろ部屋、戻ろっか?」


 振り向けば、珊瑚。

 静かな笑顔のまま、手だけはきっちり海藤の腕を掴んでいた。



◆◇◆



「さ、行こっか。愁ちゃん」


 やわらかな笑みを浮かべながらも、珊瑚の手はしっかりと海藤の腕をホールドしていた。逃がす気など、まるでゼロ。


「え、ちょっ、ま、待って!? やっぱりボクは男子部屋でいいかな……なんて!」


「なに言ってんの~? だって、女の子でしょ? 男子部屋じゃ変でしょ」


 にこやかに言いながら、目はまったく笑っていない。完全に詰みに入った顔だ。


「うぅ……くっ……」


 完全に観念した愁は、俺の方をチラリと振り返る。


「……雛森敦、また後でな……」


「……がんばれ」


 俺は小さく呟いた。どう考えても助けられる状況ではない。

 目の前の珊瑚は、もはや狩人だった。


 と、その時――


「私ったら敦と同じお部屋にしてしまうなんてうっかりでしたわ」


 ぽんと手を打ってリリスが言った。


「まあ、別にもう寝るだけだし、いいとは思うけど――」


「ダメですわ。けじめはつけなきゃですわ!」


 なぜか誇らしげに胸を張ると、彼女はつかつかと近づき、愁を連行中の珊瑚の隣にぴたりと並ぶ。


「私もお手伝いしますわ! さあ、レッツゴーですわよ!」


「はーい、ようこそ女子部屋チームへ~♪ 今夜は徹夜で女子会だね~!」


 そうして、女子二人に腕を挟まれた海藤は、もはや観念の極致。

 悲壮な顔で俺を一瞥してから、ふたりに連れられて廊下の奥へと消えていった。


 パタン。ドアの閉まる音。


 ……そして、数秒後。


「ぎゃああああああっ!!?」


 再び別荘中に響き渡る絶叫。


「……行ったか」


 俺は一人、深くため息をついた。静かになった談話室のソファに、ぐったりと身体を預ける。



◆◇◆



 夜風がカーテンを揺らす。


 グラスの氷が、カランと音を立てた。


 昼間の喧騒が嘘みたいに、辺りは静まり返っている。

 ただ遠く、波の音だけが一定のリズムで響いていた。


 さっきまでいた三人の声が、もう聞こえない。

 こうやって一人になると、ほんの少しだけ寂しい。そんな気もする。


 静けさは嫌いじゃないけれど、今日の“騒がしさ”が、あまりにも眩しかったせいかもしれない。


 ――そういえば、今日、やけに既視感のある景色ばかりだったな。

 このビーチに、この別荘に、そして……。


「なんか……思い出しそうで、思い出せないな」


 ぽつりと呟いた言葉は、夜の空気に溶けていった。


 まだ見ぬ記憶の断片が、静かに波打ち際に横たわっている――そんな気がしていた。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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