第三章 思い出が追いつく前に
第11話 夏の鼓動が聞こえるそんな季節
蝉の鳴き声が遠くに聞こえる。校舎の窓の外は、もう完全に“夏”だった。
終業式が終わり、ホームルームもほぼ形だけ。教室中には、もはやテストも成績も吹き飛んだような、解放感が満ちていた。
「やーっと終わったー! 夏だー! 自由だー!」
「補講あるやつは残念な!」
「お前な、それ俺の前で言うか普通……」
そんな喧騒の中で、俺は、席にだらりと体を預けながら、ぼんやりと天井を見上げていた。
もうすぐ夏休み。長期休暇。ようやく日常のペースが戻ってくる。
……が、静かになるかどうかは、正直あやしい。
「おい雛森敦、期末の英語、上がってたじゃないか! ボクの“監督”が効いたな!」
俺の斜め前から、いつもの調子で声が飛んできた。海藤愁。相変わらず元気すぎる。
「監督って、ただ横で叫んでただけだろ……」
思い返せば、あの期末直前の勉強会――
海藤がうるさいのは日常茶飯事だが、今回は妙に気合が入っていた。
誰よりも問題を解き、誰よりも採点に厳しく、誰よりも騒がしかった。
おかげで霞川は若干引き気味だったが……まあ、確かに教えるのは上手かった。少し癪だけど。
「わたくし、前より平均点、上回りましたの! 見てくださいこの成績表!」
霞川が、誇らしげに紙を突き出してきたのも、つい昨日のことだ。
ギリ平均点超えくらいだったが、本人にとっては大進歩らしい。……えらいっちゃえらい。
その隣では、珊瑚がいつも通りの余裕顔でテスト用紙を持ってきた。
「ふふん、まあまあってとこかな~。今回は愁くんが賑やかだったから、ちょっと集中できなかったけどね?」
サラッと毒を吐きながらも、成績は上位数名にしっかりランクイン。変わらんなあ、あいつ。
「じゃあ、通知表配って終わりにしますー。成績は保護者にちゃんと渡してねー」
担任の気の抜けた声に、教室の空気がますます緩みきる。
――まさに、夏休み前の平和な午後。
そう、ここまでは。
「さーて、この後はもう夏休みだし~、あっくんの家でのんびりしちゃお~っと♪」
珊瑚が、まるで当然のように言い出した。しかも、霞川を見ながらにやにやしている。
「な、なんですって!? ずるいですわ! 私も行きますわよっ!」
案の定、リリスが慌てて乗っかってくる。
「待て待て、俺はこの後は一人でたまってる読書をだな……」
「ふむ……リリスが行くというのなら、ボクも行かざるを得ないな。うん、仕方ない」
海藤まで当然のように参戦。こいつら、人の話を聞く気が一ミリもない。
「いや、俺は一人で――」
と言いかけたところで、腕をがっしり掴まれる。
「さ~れっつご~☆」
水木珊瑚。強制連行モード発動。
……はい、詰みました。
「決まりですわ~! 行きますわよ~♪」
珊瑚にずるずると引きずられながら、俺は大きくため息をこぼした。
――夏休み、開幕。
俺の平穏なんて、やっぱり夢物語だった。
……てか、珊瑚、どんな膂力してんだよ。
◆◇◆
俺の部屋に、再び騒がしい連中がやってきた。
「はーい、ただいま~。やっぱり落ち着くなぁ、あっくんち」
靴を脱ぐや否や、珊瑚は勝手知ったる様子でスリッパも使わず、ソファに飛び乗る。お前ん家じゃねえ。
「ふふっ、前に来た時よりも少し模様替えされてますのね。こういう庶民の“生活感”って、新鮮で好きですわ」
霞川はと言えば、やたらと高貴な雰囲気で座布団に腰を下ろし、ティーカップでも出てきそうな構え。ちなみに、うちにはティーカップなんてものはない。あるのはコンビニの紙コップだけだ。
「……ここが、雛森敦の……部屋……!」
一人だけ異様に慎重な動きで玄関から上がってくるのが、今回が初めての海藤だった。なぜか両手を前に構え、まるで爆弾処理班か何かみたいな動き。
「別に地雷とか仕掛けてねぇからな」
呆れて声をかけると、海藤はびくっと肩を震わせた。
「こ、これが君の生活圏……! 情報が、情報が多すぎる……!」
とりあえず落ち着け。
「愁くん、そんなに警戒しなくても~。あっくんの部屋、意外とちゃんとしてるでしょ?」
「……くっ、侮れん。物が少なく整っている……これは“隠している”パターンだな。絶対クローゼットにヤバいものが――」
「開けるなって言ってんだろ!」
全力で阻止する。
部屋の中はすでに、俺のコントロールが一切効かない領域と化していた。
誰かが冷蔵庫を開け、誰かがリモコンをいじり、誰かがクッションで戦いごっこを始めてる。
「なあ、なんでこうなってんの? 俺の夏休みのスタート、もっと静かなはずだったよな?」
ソファの端に座り込み、頭を抱える俺に、霞川が微笑みながら近づいてくる。
「でも、賑やかで楽しいですわよ? みんなで集まって、こうして過ごす夏の一日――とても素敵じゃありません?」
「そうそう! あっくんちがホームベースってことで、夏休みもいっぱい遊びに来るからね~!」
「勝手に拠点にすんな……」
「ふむ……まあ、悪くない。空調の効きも申し分ないし、立地も駅から徒歩圏内。居住環境としては及第点だ」
「感想が不動産査定なんだよお前は……」
はあ。もういいや。
どうせこの先も、俺の部屋はこの連中に侵略され続ける運命なんだろう。
せめて、ベッドの下だけは死守しよう。
俺の、ささやかな尊厳のために。
◆◇◆
ひとしきり騒ぎ尽くした俺たちは、ようやく静かになったリビングで、それぞれの位置に落ち着いていた。
愁は雑誌を読みながら何かぶつぶつ呟いていて、霞川は膝を抱えてソファの隅にちょこんと座っている。珊瑚はスナック菓子を開け、テレビのチャンネルをポチポチ回していた。
空調の風が心地よくて、なんだかちょっとだけ眠くなる。
「ていうか、今年の夏アニメ、けっこう当たり多くない?」
「いや~あれは最終話で全部ぶっ壊れるパターンの気がする~」
「え、何の話ですの? アニメ?」
そんな雑談が、ゆるゆると続く。
特別な何かがあるわけじゃない。ただ、気の置けない奴らとダラダラ過ごすこの時間――
……こういうの、案外嫌いじゃないのかもな。
「雛森敦、麦茶のおかわり頼む」
「自分で入れろや」
その程度の会話さえも、どこか心地よい。
と、そのとき――
「――あっ!!」
突然、ソファから立ち上がったのは霞川だった。
「え、なに? どうしたの?」
俺が身を起こすより早く、霞川は満面の笑顔で胸を張る。
「忘れておりましたわ! この夏、皆さまをわたくしのプライベートビーチにご招待いたしますの!!」
「…………は?」
一瞬、時が止まる。
「いや、何そのお嬢様テンプレイベント……」
「ちょ、ちょっとリリスちゃん、プライベートビーチってほんとにあるの?」
「ございますわ! わたくしの別荘がございます場所に、とても素敵な海岸線が!」
どやぁ……といった表情で自慢げに胸を張る霞川。
それを見て、珊瑚が目を細める。
「へ~……じゃあ、そこって宿泊もできちゃったりするのかな?」
「もちろんですわ! 別荘なので!」
「……ふぅん」
おい、待て。今、なんか一瞬で夏休みの予定が埋まった気がするぞ。
「ちょ、ちょっと待てって。俺は静かに読書とかしようと思って――」
「うむ、楽しみだな! 水着、何色がいいと思う!? いや、やはり機能性重視か!?」
「話が早いんだよ愁はよ!!」
こうして、俺の平穏な夏休みの幕は――
またしても、問答無用で引き裂かれた。
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