第16話 夜明けと別れ

夜明け前の静寂が続く中、剣人は深い眠りからゆっくりと意識を取り戻した。体は重く、全身に残る疲労が、昨夜の激しい情熱の余韻を物語っていた。しかし、それは決して不快なものではなく、まるでサッカーの試合で全力を出し切った後のような、心地よい倦怠感に満ちている。彼の腕の中には、詩織がすっぽりと収まっていた。柔らかなCカップの胸が彼の胸にぴったりと押し付けられ、肌が吸い付くように密着している。彼女の長い黒髪が腕に絡みつき、甘い香りを放っていた。鼻腔をくすぐる詩織の匂い、そして肌から伝わる温かさが、彼の心を深く満たす。これほどまでに他者の存在を全身で感じたことは、かつてなかった。


心は深い達成感と、詩織との揺るぎない一体感で満たされている。彼女が求めた「絆の証」を、自分は確かに刻むことができた。その確信が、剣人の胸に温かい喜びを広げた。

しかし、その喜びの中にも、微かな、しかし確かな寂しさが忍び寄っていた。窓の外の空は、深い紺色から、僅かに赤みを帯びた灰色へと変化し始めていた。夜が明けるということは、この特別な時間が終わるということ。そして、明日は卒業式。その後に訪れる、詩織との物理的な距離。彼の脳裏には、東京の新しい大学生活と、詩織との別れが鮮明に浮かび上がる。勝利の後の静けさが、かえって次に控える困難な試練(遠距離と別れ)を意識させるように、彼の心に重くのしかかる。


剣人は無意識に、詩織を抱きしめる腕の力を強めた。彼女の存在を、今、この瞬間、最大限に感じていたい。柔らかな肌の感触、温もり、鼓動。その全てが、この漠然とした寂しさを埋める唯一の存在だった。詩織の髪に顔を埋め、彼の匂いを深く吸い込む。このまま時間が止まってしまえばいいのに、と本気で願った。ベッドシーツは乱れ、二人の熱気がまだ残る。シーツのわずかな擦れる音と、互いの穏やかな呼吸だけが、部屋の静寂に溶け込んでいた。


詩織もまた、剣人の逞しい腕の中で、ゆっくりと意識を取り戻しつつあった。全身は重く、深く、肉体的な疲労が極限に達していることを示している。だが、その疲労は、これまで経験したことのないほどの深い充足感と、彼との「絆」を刻めたという確信に満ちた、心地よい倦怠感だった。彼の逞しい腕に抱かれ、自分のCカップの胸が彼の胸に押し付けられている感触が、心地よい温もりをくれる。


彼女の心は、彼との一夜によって、完全に満たされていた。文学部で自作小説を書き、登場人物の感情を深く掘り下げてきた彼女自身が、今、最も深く、最も生々しい「愛の物語」を体験したのだという実感があった。彼と何度も高め合い、注ぎ合った時間。それが、離れる二人の間に、何があっても揺るがない、確かな「絆の証」を刻んでくれたと信じていた。


剣人の腕の中で意識を取り戻した詩織の意識が、自身の生理周期に向けられた。

卒業式前夜。剣人に「安全日だから大丈夫」と告げた、あの時の言葉が脳裏をよぎる。そして、冷静に計算し直すと、昨夜はまさしく排卵期、つまり最も妊娠しやすい「危険日」であったことを、はっきりと、確信に近い認識を持った。


この「成功の可能性」に対する、密かな安堵と、同時に剣人を欺いたことへの微かな罪悪感が入り混じる。しかし、その罪悪感よりも、彼との間に「確たる絆の証」を望んだ自身の強い意思と、それが予期せぬ形で「現実となる可能性」への、ある種の運命的な覚悟が優った。「もし、そうなったとしても、これもまた、私たち二人の、本当の絆の形なのかもしれない」と、文学少女らしい哲学的な思考で、その可能性を受け入れようとする。詩織は、この内面の葛藤を、剣人には一切悟られないように、表面上は平静を装った。彼の逞しい体温と、その腕の中での安らぎが、彼女の決意を一層固める。


詩織は、剣人の胸に顔を埋めたまま、深く息を吸い込んだ。彼の、汗と男らしい匂いが混じり合った香りが、彼女の心を満たす。その時、剣人の大きな手が、彼女の長く艶やかな黒髪をそっと梳き、頭を優しく胸元へと引き寄せた。彼の鼓動が、自分の耳元に直接響いてくる。トクン、トクン、と規則的に打つ彼の心臓の音が、まるで子守唄のように聞こえた。


彼女は、彼の逞しい胸に指先を這わせた。彼の肌の感触、その匂い、そして彼の鼓動が、彼女の寂しさを少しずつ埋めていくようだった。シーツの上で、互いの指先が自然と絡み合う。言葉なく、しかし深い愛情と安らぎを交換する。眠りの中にいるようで、しかし互いの存在を確かに感じている。それは、意識と無意識の狭間に漂う、至福の時間だった。


この触れ合いの中で、互いの身体が再び反応し始める。疲労したはずの身体の奥底から、微かな熱が湧き上がり、彼らを再び快感へと誘う。剣人の男性器が、詩織の温もりを感じて、ゆっくりと、しかし確実に、硬度を増していく。詩織の身体もまた、彼の変化に応えるように、潤いを帯び始める。言葉なく、彼らは再び相手を求めていた。


朝の光が、窓の隙間から細く差し込み、部屋の奥まで届き始めた。夜の闇は完全に払われ、部屋は清々しい朝の空気に満たされている。剣人も詩織も、その光と、遠くから聞こえる街の音に誘われるように、ゆっくりと瞼を開けた。深い眠りから覚めたばかりの、まだぼんやりとした心地よい感覚。


互いの視線が交錯する。そこには、昨夜の情熱と、今朝の静かな愛情が混じり合っていた。言葉は要らなかった。裸のまま抱き合った姿を改めて認識しても、そこに羞恥心はほとんどない。あるのは、深い親密さと自然さ、そしてこの一夜の行為が二人の間に刻んだ確かな「絆」への確信だけだ。


剣人は詩織の裸体を目にした。Cカップの胸の柔らかな膨らみ、白い肌に残る微かな紅潮や、彼の指の跡。文学少女らしい華奢さの中にも、女性としての美しさが際立つ。彼女の体は、この夜の愛の物語を語る、何より雄弁な証拠だった。

詩織もまた、剣人の裸体を見た。サッカー部で鍛えられた逞しい体格、引き締まった筋肉、そして彼から発せられる頼もしい熱。彼の肌に微かに残る自分の爪痕が、二人の情熱の深さを物語っていた。互いの体に、この一夜の痕跡が刻まれていることを意識する。それが、誰にも見えない、二人にしか分からない「絆の証」としての実感となった。


剣人は詩織の頬にそっと触れ、親指で優しく撫でた。その手のひらから、言葉にならない「ありがとう」という気持ちが、詩織の心へと伝わる。詩織もまた、剣人の逞しい腕に顔を寄せ、その鼓動を聞く。彼からの愛情と、この一夜の贈り物を全身で受け止める。文学少女としての彼女の心が、この瞬間を「完璧な愛の詩」として心に刻む。それは、彼女がこれまで読んできた、どんな文学作品よりも、現実的で、そして心に響くものだった。


窓の外から聞こえる鳥のさえずりや、遠くで動き始める街の音。新しい一日の始まりが、避けられない「別れ」の時間を、彼らに突きつける。二人の心に、再び漠然とした寂しさが忍び寄る。しかし、その寂しさは、隣にいる剣人の温もりによって、少しだけ和らげられていた。この温もりが、今、何よりも確かなものだ。


剣人は、詩織のCカップの胸に再びそっと触れた。それは、もはや欲望からではなく、彼女の体を慈しむような、深い感謝と愛情を込めた触れ方だった。彼の指先が、柔らかな肌の上を滑る。詩織の体もまた、剣人の優しい手に反応し、快感を求めるのではなく、深い安らぎを感じているようだった。


互いの体に残る、行為の痕跡。微かな紅潮、肌に残る汗の残り、指の跡。それら全てが、この一夜の深さを物語っていた。彼らの肉体は、確かに互いを記憶し、その記憶が、これから来る寂しさを乗り越えるための、確かな支えとなるだろう。


抱き合ったまま、二人は静かに呼吸を繰り返す。

やがて、詩織が剣人の胸に顔を埋めたまま、何かを言いたげに微かに体を動かした。それは、もうすぐこの特別な時間が終わることを、彼に伝えようとする、微かなサインだった。剣人も、その動きに気づく。彼は詩織の頭を優しく撫でた。言葉ではない、視線で問いかける。「どうした?」


詩織は、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は、朝の光を浴びて、透明な輝きを放っている。彼の瞳の奥に、同じ寂しさと、それでも自分を理解しようとする深い愛があることを感じ取る。彼女の唇が、ゆっくりと開かれた。


「ありがとう、剣人。この夜は、私にとって、何よりも確かな絆の証になったよ」


詩織の声は、澄んで、しかし涙を堪えるような響きをしていた。彼女の言葉は、剣人の胸に深く、温かく響き渡る。確かに、この夜、彼らは単なる肉体的な関係を超えて、魂のレベルで深く結びついたのだという実感が、彼の中にもあった。


「あなたと離れても、この温もりと記憶が、きっと私を支えてくれる」

詩織の言葉に、剣人は胸を締め付けられるような切なさを覚えた。彼女は、彼が遠くへ行ってしまうことを、もう受け入れている。そして、この一夜を、その困難な未来を乗り越えるための「糧」としようとしている。彼の知る文学少女の詩織らしい、美しくも痛ましいほどの純粋さに、彼はただ心を揺さぶられた。


「これが、私なりの、あなたへの『卒業』の形だったの」


「卒業」――その言葉が、改めて彼の心を貫いた。しかし、それは、もう絶望の言葉ではなかった。そこには、彼への深い愛と、彼女なりの未来への希望が込められていることを、剣人は理解した。


剣人は詩織の言葉を静かに受け止め、そして、彼自身の感情を伝える番が来た。

「俺も、この夜を忘れない。詩織との絆は、何があっても、俺の中で消えることはない」

彼の声もまた、疲労を帯びていたが、そこには確かな決意が宿っていた。詩織の柔らかな手を握りしめ、その温かさを確かめる。


「お互いの成長のために、っていう詩織の気持ち、俺も分かったつもりだ。正直、まだ全部理解できたわけじゃないけど……でも、詩織がそう決めたなら、俺はそれを尊重したい」

剣人は、嘘偽りのない本心を告げた。元サッカー部として、理解できない戦術にも、まずは従い、そこから最善を探るような彼の性格が、この言葉に表れていた。


「……でも、いつか、また必ず、一緒にいられる日が来るって、信じてる」


剣人は、詩織の目を見つめ、力を込めて言った。その瞳には、別れの寂しさだけでなく、未来への揺るぎない希望の光が宿っていた。彼にとって、この夜の行為は「終止符」ではなく、未来の「再会」への、確かな「通過点」なのだ。

詩織の瞳から、再び涙が溢れ出した。それは、悲しみだけでなく、剣人の言葉に含まれた希望と、再会への誓いに対する、安堵の涙だった。二人の間には、切なさの中に、未来への確かな希望の光が差し込む。


「うん……必ず、また会おうね、剣人。お互い、夢を叶えて、もっと強くなって、また会おう」


詩織の声も震えていたが、そこには未来への決意が込められていた。彼女は剣人の首に腕を回し、力強く抱き締めた。剣人もまた、彼女の華奢な体を、壊れ物のように大切に抱き締める。


そして、二人は最後のキスを交わした。それは、情熱的でありながらも、深い慈しみと、切なさに満ちていた。唇の感触、温もり、互いの涙の味が混じり合う。このキスが、明日から物理的に離れる二人の、心の最後の繋がりを確かなものにする。


時計の針が、カチ、カチ、と、容赦なく時間を進めている。名残惜しさを抱えながらも、二人はゆっくりと体を離し、ベッドから降りた。乱れたシーツや、床に散らばった衣服。それらは、昨夜の激しさと、今朝の静けさの対比を鮮やかに物語っていた。


それぞれが、黙って衣服を拾い上げ、身支度を始める。その動作一つ一つに、別れの寂しさ、そして新たな日常への覚悟が込められている。詩織は、丁寧にブラウスに袖を通し、スカートを穿く。剣人もまた、ジーンズに足を通し、Tシャツを身につける。二人の体が、再び服に包まれ、昨夜の裸の親密さとは異なる、現実の距離が生まれ始める。


詩織は、ショーツを穿こうと手に取った瞬間、自身の生理周期が頭をよぎった。昨日、剣人に「安全日だ」と告げた言葉が、脳裏に鮮明に蘇る。だが、その裏で、彼女自身が計画的に「危険日」を選んだ事実が、彼女の心に重くのしかかる。冷静に計算し直すと、やはり、あの夜はまさしく排卵期、最も妊娠しやすい時期であったことに、強い確信が胸に広がった。


彼女の体の中で起こりうる変化への、ある種の静かな興奮が押し寄せる。これは、単なる予感ではない。「自分の計画が成功した可能性」への、明確な自覚と、それに対する揺るぎない覚悟だった。「この夜の愛が、私たちを繋ぎ止めてくれる」という願いが、予期せぬ、しかし確かな形で「絆の証」として結実するかもしれない。微かな罪悪感はあるものの、それを上回る彼への深い愛と、自らの強い意志が、彼女の表情を研ぎ澄ませた。剣人にはこの内心の確信を悟られないように、詩織は表面上は平静を装う。剣人もまた、自分の身支度に集中しており、詩織のわずかな変化には気づかない。


剣人が詩織の部屋を出て、玄関へ向かう。詩織が彼を見送るために後を追う。玄関の扉の前で、二人は向き合った。言葉は少なかった。

「……またね、詩織」

「うん、またね、剣人」

互いの瞳に、この一夜の全てと、未来への誓いを込める。剣人が扉を開け、外の朝の光の中へと一歩踏み出した。詩織が彼を見送るその背中を見つめ、扉がゆっくりと閉まる。


扉が閉まった後、詩織は一人残された部屋で、静かに、しかし確かな決意を胸に、彼との「絆の証」を抱きしめた。彼女の瞳は、もう涙に濡れていなかった。明日の卒業式、そしてその先の未来へ向かって、彼女は力強く歩んでいける、そう確信していた。その胸の奥には、彼に告げなかった「危険日」での行為、そしてその「計画」がもたらすであろう大きな可能性への、揺るぎない確信が、新しい物語の始まりを予感させるように、静かに、しかし力強く息づいていた。

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