風が伝える物語

🌸春渡夏歩🐾

風の声を聞く

 風見師かざみしソラムの朝は、早い。

 日の出前に目を覚まして、まずは一杯のお茶を飲む。窓の外が白み始める頃には、家を出る。


 今朝もお茶を淹れているところへ

「……とうさん、おはよう」

 眠そうに目をこすりながら、愛娘まなむすめが起きてきた。

「おはよう、ハイジア。まだ寝ておいでよ」

 寝起きで、もつれた小麦色の髪が、ぶんぶんと大きく振られた。

「ううん。もう起きた。お空の声を聞きに行くんでしょ? あたしも一緒に行く!」

 毎朝の同じ繰り返し。言い出したら聞かないところは、誰に似たんだか。


 ……やれやれ。


 寒すぎるからと、風の冷たい冬の間は引き止めていたが、もうその理由が使えなくなった。季節はゆっくりと春から初夏へと移りゆこうとしていた。


 ハイジアに、ハチミツをたっぷり入れて冷ましたお茶を渡す。

 ひとくち飲んで、にこり、とする笑顔が、妻を思い出させる。大切な忘れ形見の娘。

 風にあおられないよう、とりあえず後ろで髪をひとつに結ぶ。妻のように複雑な編み込みは、できそうもない。


 ◇


 ふたり手を繋いで、林の中の小道をたどると、開けた場所に出る。


 ここは高台の上にある「風見かざみの台」だ。


 眼下に広がる村の朝は、もうはじまっていて、煮炊きする竈門かまどの煙があちらこちらで上がっている。


 遠くに見える海。

 水平線から太陽が顔を出し、薄い雲を染める。

 ……夜明けだ。


 風見師のあかしである銀の杖を手に、風見の台の端に立ち、目を閉じて耳をすます。

 風の声に耳を傾ける。


 特に教えていないのに、ハイジアはその間、音をたてないよう、じっと静かにしている。


 …… 今日も穏やかな一日となりそうだ。


 目を開けて、ふぅと小さく息を吐く。


 何事もないことを村に知らせるため、旗ポールに緑の旗を結び、高く揚げていると、ハイジアがまとわりついてきた。


「とうさん、見て。かあさんのお花がもうすぐ咲きそう」


 妻の好きだった紫陽花の咲く季節が、近づいていた。


 ◇


 その日も風見の台で朝を迎えた。

 空はどんよりとして、空気は重く、朝日は姿を見せなかった。


「今日はお日様が出てこないねぇ。お寝坊してるのかなぁ。風の中に雨の降る香りがしてるね。もうすぐ雨だね」


 ああ、ハイジア……!


 急に抱きしめられて、ハイジアは戸惑っていた。

「どうしたの? とうさん」

「ハイジア。今、なんて言ったの?」

 優しく問いかける。

「え? もうすぐ雨って」

「その前、だよ」

「風に雨の香りがする……」


 ああ……。


 風見師は望んでなれるものではない。

 血筋でもない。


 風見師は責任が重い。


 風をんで、風の強さや向きを村人達に伝える。風が雷雲や嵐を連れてきたり、突風が吹いたり、高波が水害を引き起こすこともある。重要な役目だ。


 毎日、毎朝、毎夕、ここ風見の台に立つことになる。

 できることなら、やらせたくはなかった……。


 不思議なことに、風見師が引退する前に、必ず次なる者があらわれる。風見師見習いは成人すると、風見師の杖を引き継ぐのだ。


 次の風見師は……ハイジア、君なのか。


 紫陽花が風に揺れていた。

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