第18話

「ハアアアァァッ!」


エルの雄叫びが、狭い洞窟の入り口で激しく反響した。

彼は一人、七人の術師を相手に、絶望的としか言いようのない戦いを開始していた。


「愚かな。まずはその番犬から血祭りにあげてくれるわ」


術師の一人が杖を振るうと、地面から無数の鋭い氷の槍が突き出し、エルへと殺到した。

彼はそれを紙一重でかわし、洞窟の壁を蹴って跳躍する。

そして、別の術師が放った炎の弾丸を、その勢いのままに槍で叩き落とした。

彼の動きは、まさしくこの地形を知り尽くした獣そのものだった。

狭く、足場の悪い洞窟の入り口を巧みに使い、敵の集中攻撃を許さない。


だが、相手は七人。

防戦一方であることに変わりはなかった。

じりじりと、しかし確実に、彼は追い詰められていく。


私は、その背後で、ただひたすらに儀式を続けていた。

エルの苦しげな息遣いが聞こえる。魔術が炸裂する轟音が鼓膜を揺さぶる。

その全てが、私の心を締め付けた。

早く、早くしなければ。彼が、持ちこたえているうちに。


私は、竜の鱗を清めるための櫛を、一心不乱に動かしていた。

一枚一枚の巨大な鱗に付着した、現世の塵と穢れを、祈りの力で浄化していく。

私の指先から放たれる清らかな光が、イグニス様の亡骸を少しずつ、しかし確実に、神聖な存在へと昇華させていた。


儀式が進むにつれて、洞窟内に満ちていた魔力の嵐が、徐々にその性質を変え始めていた。

ただ荒れ狂うだけの暴力的な奔流から、イグニス様が本来持っていた、温かく、そして生命力に満ちた聖なる流れへ。


「ちぃっ、小娘の儀式が邪魔だな。この空間の魔力が、我らの術と反発し始めている」


術師のリーダー格の男が、忌々しげに舌打ちするのが聞こえた。

奴らの魔術は、穢れを糧とする邪悪なもの。この清浄な気に満ちた空間では、十全の力を発揮できないのだ。

私の儀式が、エルの戦いを、間接的に支援していた。

その事実が、私にさらなる力を与えてくれる。


「もう良い。まどろっこしい。全員で、一斉に最大魔術を放て。番犬ごと、洞窟を吹き飛ばしてしまえ!」


リーダーの男が、非情な命令を下した。

七人の術師たちが、一斉に詠唱を始める。

これまでとは比較にならないほどの、強大で邪悪な魔力が、洞窟の入り口で渦を巻き始めた。

空気が歪み、空間そのものが悲鳴を上げている。


まずい、あれは受けきれない。

エルだけでなく、私も、この洞窟も、全てが消滅してしまう。


「エル!」


私が思わず叫んだ、その時だった。


彼は、絶望的な状況を前に、不敵に笑った。


「…待ってたぜ、その時をよ」


彼はそう呟くと、懐から何かを取り出し、地面に叩きつけた。

それは、小さな発光する石。

次の瞬間、洞窟の入り口の天井や壁に、彼がいつの間にか刻みつけていた無数の紋様が、一斉に光を放った。

番人の一族に伝わる、防御の古紋様。


「なっ…!?」


術師たちが驚愕の声を上げる。


「この程度で、俺の庭を好き勝手できると思うなよ!」


エルが起動させた防御紋は、術師たちの最大魔術が放たれる直前に、強力な物理的・魔術的な障壁を洞窟の入り口に展開した。


凄まじい轟音と共に、七つの魔術が障壁に激突する。

障壁は激しくきしみ、ひび割れていく。

だが、完全に破壊される寸前のところで、なんとかその一撃を防ぎきった。


しかし、代償は大きかった。

障壁を展開するために、エルは自らの生命力の大半を注ぎ込んだのだ。

彼の膝が、がくりと折れる。


「はぁ…はぁ…」


そのわずかな隙を、リーダーの男は見逃さなかった。


「小賢しい真似を…!」


男は、他の仲間たちが次の詠唱準備に入る中、単独で素早く印を結んだ。

そして、狙いを私へと定める。儀式の要である私を潰せば、全てが終わると判断したのだ。


「死ね、竜葬司!」


男の杖から、黒い雷のような、鋭く、そして速い一撃が放たれた。

それは、防御紋を起動させたばかりで動けないエルの横をすり抜け、まっすぐに私へと向かってくる。


避けられない。


そう覚悟した、その時。


「――させっかよォォッ!」


エルが、最後の力を振り絞り、信じられないほどの速度で動いた。

彼は、私をかばうように、その黒い雷の前に、自らの身を投げ出したのだ。


「エル!」


私の悲鳴が、洞窟に響き渡る。

黒い雷は、彼の背中を、無慈悲に貫いた。

肉の焼ける嫌な音と匂いが、あたりに立ち込める。


「ぐ…あ…」


エルの体から、力が抜けていく。

彼は、私の方を振り返ると、安心させるように、力なく笑った。


「…続けろ、リーナ…」


そして、私の目の前で、ゆっくりと崩れ落ちていった。


「いや…いやああああああッ!」


私の絶叫が、こだました。

私のために、彼が。


私の心は、悲しみと怒りで、張り裂けそうだった。

けれど、私は、動けない。儀式を、止めることはできない。


私は、涙でぐしゃぐしゃになりながら、それでも、次の儀式の準備を始めた。

第二段階、『聖骸布』による魂の保護。

私は、あの黄金色に輝く『記憶を紡ぐ糸』で織られた布を、震える手で広げた。


エル、あなたを、絶対に死なせはしない。

あなたの守ってくれた、この命と、この儀式を、必ず、成功させてみせる。


私の祈りは、もはや、ただの祈りではなかった。

愛する人を守るための、魂の誓いとなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る