第7話

あの日、彼の秘密の一端に触れてから、私の心は決まっていた。

フィンさんが少しでも楽に、そして安全に陸で過ごせるように。

そのための方法を、必ずこの手で見つけ出してみせると。


私の新たな挑戦は、情報収集から始まった。

店の古い書物を片っ端から読み漁り、町の図書館へも毎日通った。

人魚、海の魔法、潮の満ち引きと魔力の関係。

断片的な情報を、パズルのピースをはめるように繋ぎ合わせていく。


「シオリさん、最近は随分と熱心だね。何か特別な調べ物かい?」


カウンターで分厚い本を広げていると、図書館の司書であるエリオットさんが声をかけてくれた。

彼は博識で、この町の誰よりも歴史や伝承に詳しい人物だ。


「エリオットさん。実は、海の生物の生態について調べているんです。特に、陸に上がると弱ってしまう生き物を癒やす方法とか……」


私の曖昧な質問に、エリオットさんは何かを察したように、ふむ、と顎に手を当てた。


「そういうことなら、あちらの書庫に何か手がかりがあるかもしれない」


彼が指し示したのは、図書館の最も奥にある、普段は誰も立ち入らない古文書の保管庫だった。

ほこりと古い紙の匂いが満ちたその部屋で、私は運命の一冊と出会う。


『ポート・ルミナ創世記 ~海の一族との交流史~』


その古文書には、この町の成り立ちと共に、かつて人間と深く交流していたという「海の一族」についての記述があった。

彼らは美しい歌声を持ち、潮の満ち引きと共に生きていたという。

フィンさんのことだ。私は確信した。


夢中でページをめくっていくと、ある鉱石についての記述に目が留まった。


『月の雫石(つきのしずくいし)』


古文書にはこう記されていた。

「満月の夜、月光が海の魔力と結びつく時、聖なる入り江に生まれる奇跡の石。

海の一族に大いなる癒やしを与え、陸での活動を助ける力を秘める」


これだ! 私が探していたものはこれに違いない。

しかし、その石が採れるという「人魚の入り江」は、町の外れにある断崖の下。

しかも、満月の夜にしかその姿を現さないという。

危険な場所であることは、想像に難くない。

でも、彼の力になれるのなら、私はどんな危険も厭わないつもりだった。


数日後、フィンさんがいつも通り店にやってきた。

彼の体調はすっかり回復しているようだったけれど、私の目には、彼が無理をしているように見えてならなかった。

私は意を決して、彼に向き合った。


「フィンさん。少し、大事な話があります」


私の真剣な様子に、彼も表情を引き締める。

二人分の鼓動が、アトリエの空気を震わせているようだった。


「私……この前の日、見てしまったんです」


彼の瞳が、不安そうに揺れるのがわかった。


「あなたの……本当の姿を」


言った。ついに、言ってしまった。

フィンさんは息をのみ、その顔からさっと血の気が引いていく。

拒絶されるかもしれない。その恐怖が、彼の美しい顔をこわばらせていた。


私は、そんな彼に精一杯の笑顔を向けた。


「怖くなんて、全然なかった。むしろ、とても綺麗だと思ったんです。あなたの鱗、まるで月の光を閉じ込めたみたいに輝いていて」


私の言葉に、フィンさんは目を見開いたまま固まっている。


「でも、あなたが苦しんでいる姿は、もう見たくない。だから……私に、手伝わせてくれませんか?」


私は、図書館で調べた月の雫石のことを彼に話した。

そして、まっすぐに彼の瞳を見つめて言った。


「次の満月の夜は、三日後です。一緒に、その石を探しに行きませんか?」


私の提案を聞き終えたフィンさんの瞳から、ぽろり、と一筋の雫がこぼれ落ちた。

それは彼の白い頬を伝い、床に落ちた瞬間、カランと小さな音を立てて乳白色の真珠に変わった。


人魚の涙は、真珠になる。

また一つ、彼の秘密を知ってしまった。

でもそれは、悲しい秘密なんかじゃない。


「……ありがとう」


彼の震える声が、私の名前を呼んだ。


「ありがとう、シオリ。今まで、怖かったんだ。本当の姿を知られたら、君に嫌われてしまうんじゃないかって」


長い間、彼が一人で抱えてきた孤独と不安。

その重さに触れて、私の胸も締め付けられる。


「君が、全部受け入れてくれて……本当に、嬉しい」


彼はそう言うと、床に落ちた真珠をそっと拾い上げた。

そして、それを私の手のひらに、優しく握らせてくれた。


「これは、俺の感謝の気持ちだ。受け取ってほしい」


手のひらの中にある真珠は、彼の涙のように温かかった。


「はい。……大切にします」


私たちの間にあった、最後の見えない壁が、ようやく取り払われた瞬間だった。

もう、隠すことなんて何もない。

これからは、二人で一緒に、どんなことも乗り越えていける。


「一緒に行きたい。君と、月の雫石を探しに」


フィンさんは、はっきりとした口調でそう言ってくれた。

その瞳には、もう迷いの色はなかった。


次の満月の夜。

それは、私たちの関係が、また新しいステージへと進む始まりの夜になるだろう。

私は手のひらの中の真珠を強く握りしめた。

彼の力になれる喜びと、これから始まる冒険への期待で、私の心は満たされていた。

この恋が、どんな色に輝いていくのか。

それを見届けるのが、今の私の、一番の幸せだった。

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