Dark White

Tusk

荒廃世界

第1話 悪意の夜

発生元は不明。


 どこからともなく突如現れた昆虫型の生命体は、人間の鼻腔や口腔から体内へと侵入し、脳髄へと喰い進んで、松果体に寄生する。


 一見すると、巨大な蚊のような姿をしていたらしいが、その繁殖方法すら定かではない。

そもそも、昆虫なのかどうかも、地球由来の生物なのかすら不明──今となっては、ほとんど記録も残っていない。


 その生命体は、異常なまでの密度で一時的に世界中へと大量発生し、一頻り人間に寄生したかと思えば、忽然と姿を消した。


 そして、寄生された人間は半ば不死身の肉体を得る代わりに、理性を失い、化け物と化す。

 人々はそれを「ゾンビ」と呼んだ。


 世界は、ゾンビによって壊滅した。──あれから20年の時が流れる。



― Dark White ―



 タイガは目を閉じ、じっと体を動かさないようにしていた。

 もう数日、食事を口にしていない。体力を消費しないためだ。


 だが── ポンチョを着た人相の悪い男が、タイガの耳元に顔を寄せる。


「おい……タイガ、起きろ」


「……」


 その耳障りな声に、タイガは渋々と目を開けた。

 男は親指を立て、木々の向こうにチラリと見える二人組を指差す。


 日が傾きかけた夕刻。

 森林の奥に揺れる炎に照らされ、フードをかぶった男女が焚き火を囲んで腰を下ろしているのが見えた。

 食料でも温めているのか── 暖を取っている様子だった。


「……見えるか? あの二人。どこで手に入れたか知らねぇが、水と食い物を持ってるみてぇだ」


「……」


「パパっと行って、殺して奪って来い」


「……」


「成功したら、お前にも分け前をやる。もちろん── 弟にもな」


 男はそう言うと、タイガの背後でぐったりと横たわる金髪の少年へ視線を送った。

 その少年の名は、リクト。

 タイガの弟だ。


「お前も、弟も── もう何日も食っちゃいねぇ。お前はともかく、弟の方は……そろそろ死んでもおかしくねぇぞ。……弟のためにも、一仕事、頼むぜ、タイガ」


「……」


 タイガは何も言わず、じっと男を睨みつけた。

 男はそれを気にも留めず、タイガを拘束していた鎖の南京錠を手早く外し、自由にする。


「……」


 タイガは沈黙のまま。

 そして──“殺して来い”と命じられた二人を見つめ、ゆっくりと立ち上がった。


「おっと、言っとくがな……あんまり汚ねぇ殺し方はするなよ?」


「……」


「ぐちゃぐちゃにしやがると、せっかく食料を奪っても、食う気がなくなるからな」


「……ふん」


 鼻で笑ったような声をひとつ漏らすと、タイガは二人に向かって歩き出す。

 やがて足取りは小走りになり──そして、たった一蹴で数十メートルを跳躍した。


 ザッ……!

 日が暮れかけた森林の木々が、風に揺れて音を立てる。


「──数日も食ってねぇのに、あの体力かよ。……バケモンめ」


 タイガの跳躍を見上げ、男はぽつりと呟いた。


「カグチさん……タイガの奴、あんなに動けるんなら、オレらも危なくねぇすか?」


 後ろでしゃがみ込んでいた長髪の男がそう言う。

 ──どうやら、ポンチョの男はカグチという名らしい。


「かもな……だが、オレ達はヤツの弟を人質にとってる。タイガが弟を見捨てない限りは、なんとかなる」


「……そうっすかねぇ? タイガの戦闘力なら、オレ達二人くらい瞬殺して、弟を取り返せそうな気もしますけど」


 長髪の男はそう言って、ぐったり倒れたリクトの頭を、つま先で軽く蹴った。


「だからこそだ。タイガが怖ぇからこそ、四六時中あのガキにナイフを突きつけてるんだろうが!」


「……まぁ、そうっすけど」


「心配なら尚更だ。気を抜かずに、いつでもそのガキを殺れる位置にいろ。いいな? キリヤ」


「あいあいさー……」


 どうやら、長髪の男の名はキリヤというらしい。

 気のない返事をしつつも、彼はリクトの背中にナイフを突きつける。


 虫や獣すら姿を消した、荒廃した世界の静かな夜。

 生きるためにもがく人々は──互いに奪い、殺し合っているのだった。

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