苦渋の下ごしらえ 前

 葛西かさい臨海水族園。東京湾に面し、葛西臨海公園の中にある水族館。

 大きなガラスドームが目を引き、館内ではドーナツ型の大水槽で群泳するクロマグロや国内最大級のペンギン展示場などが見どころらしい。

 最寄り駅の葛西臨海公園駅から徒歩五分とアクセスも良好。

 九時半開園、十七時閉園。家族連れに人気がある、とネットに書いてあった。


(我ながら素晴らしいチョイスだ……何と言っても人混みが多そうなところと、公園そのものが結構広いのがいい。こんなのもう、離脱し放題じゃねぇか……っっ!)


 俺はスマホのメモ帳に徹夜で打ち込んだ、完璧なスケジュールを改めて確認する。

 十一時:小夏と葛西臨海公園駅前で(何故か)現地集合。

 十一時三十分:冬毬会長と葛西臨海公園駅前で現地集合。


(……?)


 十三時三十分:小夏と昼食。食後、腹痛による離脱で時間を稼ぐ。

 十四時:冬毬会長と昼食。食後、腹痛による離脱で時間を稼ぐ。


(??)


 時刻未定:どうにかして二人と一緒に帰宅せず、解散。


「え、何これは……ど、どこの馬鹿が考えたの?」


 追伸:もう限界だ……だから諦めて明日の俺に全てを託すことにする。疲れた、今日の俺は一足先に眠りにつく。二度と会うことはないだろう。健闘を祈る。


(――――っ!?)


 文章はここで途切れている。どれだけ画面をスクロールしようとも動く気配はない。

 つまり……どういうことだ? こ、こんなテスト前みたいなことが許されていいのか?


(…………ここまで全部、願望じゃねぇかあああっ!)


 俺は電車の中でひとり頭を抱える。周囲の目もこの程度ではもう気にならなかった。

 ふ、ふざけるなぁ! つかなに、え? もはや徹夜したって記憶すら捏造かよっ!?

 自分のことながら感心せざるを得ない。すげぇよ、真田信二郎……ある意味で。


(待て待て待て! いくら浮かれて一時間前行動してるとはいえ、一人漫才やってる場合じゃない。な、何かないか? なにか、乗り越えられる起死回生の一手!)


 ……いや、正直なところ。一つだけなら割とすぐ思いついてはいた。

 けどそれは最終手段というか、ほぼ悪魔の契約。背負うリスクが大きすぎる。

 恐らく俺は昨日、二人との待ち合わせ時間をたったの三十分しかズラせなかった時点で詰んでいたのだ。まぁ、当然だろう。どんな言い訳をすればいいんだ?

 部活動が急に生えてくるわけでもない。ましてやバイトをしているわけでもない。

 本当は会長との約束を後日に回すのが一番楽なのも分かってる。

 でも約束に優劣をつけたくないから、こうなっているのは全部ただの自己責任だ。


(仕方ない、これだけは避けたかったが……)


 俺は観念してスマホで通話を開始する。だが、その時だった。

 いきなり背後から視界を塞がれた。この柔らかい感触はまず間違いなく手のひら。


「だ、誰ッ!?」


 振り払おうとして、しかし全くどうにかなる気配がない。つまり、


「どうせ呼ばれると思ってついて来ちゃった」

「き、来ちゃったかぁ……」


 予想通り、声の主は飾森であった。

 それから視界が光を取り戻し、直後。振り返った俺を更なる衝撃が襲う。


「――――っっ!? な、なんでお前がここに……」

「~~~っ!」


 登山にでも行くかのようなザックを背負い、目が合った途端。年下である飾森の後ろへ隠れるように逃げたのは、小夏をひどい目に遭わせたあの樽沢たるさわ凪咲なぎさだった。


「彼女、今はわたしの助手兼あなたの生体GPSみたいなものよ」

「おい」


 いるわけだよ、ちくしょう。しかし催眠については口に出さないでおくか。

 たぶん樽沢もかかっているんだろうが、余計なワードで解除されたら困るしな。


「まぁ、いいや。いるならあてにするぞ、俺は」

「えぇ。貸し一つだけれど」

「……最低なマッチポンプじゃねぇか、ったく。で、どこまでできるんだ?」


 催眠は、というニュアンスで改めて訊ねる。


「特定人物の声、存在、関連物を認識できない。その程度なら可能ね」

「じゅ、十分すぎる……逆に何ができないんだよ」

「安心して。あなたを嫌うように仕向けるような使い方はしないわ」

「……当たり前だろ。それをやったら俺はお前を人間とは認めない」


 しかし、そこまでできるなら話は早い。男ひとりと女子ふたり。

 文字通りのダブルデートが実現可能なのだからな! こうなると問題なのは――


「にしてもそれ、バレずにできるのか?」

「そのために彼女が荷物を背負っているのよ」

「?」


 飾森の言葉に疑問符を浮かべつつ、やがて葛西臨海公園駅に到着。

 ダブルデートのための準備を整えた後。俺はひとり、地面から直接出てるタイプの噴水傍にある公園案内図のところで小夏が来るのを大人しく待っていた。


(あの観覧車……絶対、小夏が乗りたいって言うよなぁ)


 この場にいて視界に入れないのが不可能、という位置にそれはある。

 なんでもこちらも日本最大級の大観覧車だそうな。言われてみれば確かにデカい。


「しーちゃん~」


 と、まだ少し離れたところから耳に馴染んだ声が鮮明に聞こえてきた。

 もちろん、私服姿の小夏だ。可愛いなぁ、いやなんでいつ見てもこんな可愛いんだろう服か? 馬子にも衣裳……は、意味は違うけど。あぁ、そうか化しょ――


(け、化粧……?)


 出会い頭に俺がポカンとしていると気付いてか。小走りでやって来た小夏は、得意げに鼻を鳴らしながら大きな胸をこれでもかと張って、しかし照れくさそうに聞いてくる。


「問題です、私は普段とどこが違うでしょーかっ!」

「ぅ……け、化粧をしてる?」

「えへへ、正解~。最近、練習してるんだ~」

「へ、へぇ……そ、そうなのか。いいんじゃないか?」

「可愛い?」

「お、おぅ。可愛い可愛い」

「ありがと~、しーちゃん」


 渡会のために? と聞いてしまいたくなる心をキュッと押さえつける。

 化粧をし始めたのは知っていたはず。なのにこの破壊力! 今日一日、俺の脳は持つのだろうか。無邪気な笑顔が愛おしくて、それ以上に苦しいのはあまりに残酷だ。

 けど化粧報告されないのも、何でも話してくれた小夏の消滅と同義だから……。


「どうしたの?」

「え。あっ、あぁごめん。じゃ、行くか」

「うんっ、行こ」


 向けられた笑顔で気を取り直し、俺たちは並木道へ向けて歩き出す。

 そもそもが広い公園なせいか、人通りはかなり多くその大半が家族連れだ。


「そういや、なんで現地集合?」

「えっ? うーん……内緒!」


 あれ、オシエテクレナイ。もうこの話題に触れるのはやめようそうしよう。


「ま、まぁいっか。し、しかし水族館……水族館なぁ」

「水族館が?」

「いや、何というか……動物園なんかでもそうだけど。魚がいる、みたいな感想しか思えなさそうなのは、俺に教養がないせいなのだろうか……ってふと」

「むぅ、しーちゃん。それは今から行こうとしてる時に言うことじゃないと思う」


 うん、反論の余地もない。のだけど、ちょっとムッとした顔も可愛い。

 んで、通りを抜けた先ではちょうど園内周遊車両が運行しており、それを横目に広場へ出るといくつかの出店や大道芸を見ている人だかりがあった。

 そして、今回のお出かけデートにおける必須チェックポイントが存在する場所でもある。


「お昼は外で食べるのかな」

「一応、中にもレストランあるみたいだぞ。焼き魚とかあんのかな」

「うぅー、しーちゃん」

「ご、ごめんて。あっ、ちょ、ちょっとあそこ寄ってみないか。な?」

「え、えっ?」


 失言でまたふくれてしまった背中をやや強引に押していく。

 向かった先にあるのは、そこそこ大きいサイズの怪しげなテントだ。


(いくらキャンプとかもやってる人がいるらしい公園だからって、あんなのを勝手に設営するの、どう考えてもやばいからさっさと済まさねぇと)

「占いやってます、結果に満足できたら五百円いただきます?」

「そうそう。普段する機会ないし、たまにはさ。ほら恋愛とか」

「えぇー、うーん……まぁ、しーちゃんがそこまで言うなら……」


 あまり乗り気ではないらしい。ごめんな、じきに良くなるから!

 入口の貼り紙に土足可とあるので、俺と小夏はそのまま中へ足を踏み入れる。


「二人、入りまーす」

「――ようこそいらっしゃいました、蠱惑こわくのテントへ」


 程よく雰囲気づくりがされたテント内。俺たちを出迎えた女の声はしかし、飾森や樽沢ではなく。聞いたところによればボイスロイドとかいうものだそうだ。

 これは主に会長の対策らしい。まぁあの会長、一切話したこともなかった俺の出席番号とか知ってるくらいだしな。脳内データベースと声紋を一致させる可能性はある。


「あ、サメさんだ」


 水族館に合わせた準備かは知らないが、簡易テーブルを挟んで椅子に座っているサメの着ぐるみが飾森。その一歩後ろにいる間抜け面の魚人が樽沢である。


「はい、サメさんです。当店では一度、お一人様ずつを占った後で改めて複数名様を占う形式を取っていますが、まずどちらが占われますか?」

「あ、彼女からでお願いします」


 話をさっさと進めるため、特に他意なく即答した。すると、


「か、彼女……っ」

「――――……彼女」


 サメさんの語気はとても怒り心頭なご様子だった。

 というか、えっ。待て待て小夏がなんでそこで照れるんだよ、ずるいだろ蠱惑か?

 まぁ、ともかく動揺している間に彼女はッ! 着席させるに限る。


「こ、個別の段階ではプライバシーの観点から。こちらの装着をお、お願いしてます」


 そう言って樽沢魚人から手渡されたのは、ヘッドフォンとアイマスクだった。

 よし、ここまでくれば後はもう飾森の催眠術を信じるしかない。

 仮に小夏や会長に催眠への耐性みたいなものがあったら終わるが、終わりたくないので考える意味はないだろう。

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