体育祭、陰と陽の分水嶺 4
「――世に蔓延るオスという生き物は、腕力が強いだけで知能も寿命も女に劣り、あげく出産能力すら持っていない! そう、つまりオスは女の下位互換! それを真に理解していないから私たち女は、今も寝る間を惜しんで虐げられてると自覚して欲しいのっ!」
「…………なぁ、これって言うほど体育祭でやることか?」
グラウンド中央。裁判所っぽい位置関係で教師を含めた各組代表が何らかの〝語り〟をぶつけ合う中、大半の生徒がそれを自分の椅子に座って見守っていた。
離れた最前列に座る小夏と柚本も雑談しながら不思議そうに観戦している。
「あら、応援合戦みたいなものでしょう」
「全然違うだろ」
「そう? 前園さんはどう思うかしら」
「えっ。あ、その……ど、どうでしょう。で、でも文化祭っぽいなぁ、とは少し……」
左隣に何故かいる飾森が答え、いきなり話を振られた右隣の前園さんは困り顔だった。
「だよなぁ。だって今話してる井上先生だっけ? なんか色々とアレじゃん?」
「あ、あはは……」
「えぇ、将来有望な逸材ね。あとでSNSのアカウントを教えてもらわないと」
物は言い様である。紅組代表の井上先生は恐らくネタ枠で推薦されたが、思ったよりもはっちゃけているせいで笑いも起こっていない。むしろ多くが引いていた。
もう白組先鋒の〝語り〟を待たずして、さすがに勝負ありだろう。
というのもこれ、勝敗は観客の反応に委ねられるタイプの種目なのだ。
「世の中には私をイラつかせるものが多すぎる! 男はいつも女の子に急にキレるなって子供みたいに喚くけど分かってない。女の子にはね、正当な理由があるの! 日々の積み重ねの結果でしかないんだから全部、男のせいなのよ! だから男は――……」
『んー、と自分の感情を自分でコントロールできないのは赤ん坊以下ですよ、スウィートベイビー井上。早く大人になりましょう? 先生の青春は終わってるんです』
「ふん? 綺麗な花瓶に水の注ぎ過ぎは駄目とご存じない? それと女は
『はあ。その歳で表面張力も知らない……キリがなさそうだし皆、排除よろしく!』
話を遮って放送席から鋭い言葉を繰り出したのは誰か、もはや言うまでもない。
先輩の合図で実行委員の中でも屈強な男子共が井上先生を取り囲んでいく。
『はい。というわけで気を取り直して白組先鋒、平岡先生どうぞー』
「あぁ、ハイハイ」
低姿勢で白組側の舞台に向かうのは、黒縁メガネをかけた瘦せぎすの男。
教師も全員は把握し切れてないが、さすがに強烈なのは二度も続かない……よな?
平岡先生は薄く笑い、それから小さく咳払いした後で〝語り〟始める。
「えー、まずミス井上の話ほど興味深くありませんのであしからず。それで、ですね……こう見えて私、小学生の頃からドラムをやっているんですよ。意外でしょう?」
(ドラムかぁ……バンドマンってクズのイメージしかねぇや)
先輩らの多くが先生の告白に頷いている。まぁ、確かにパッと見でそういうイメージは湧かないから、ギャップを作り出すことには成功しているのかもしれない。
「あら意外。てっきり学生時代の文化祭準備とか、教室で隅っこ暮らしな印象だったわ」
「こ、はッ!」
「偏見ひどくね?」
飾森の平常運転ではあるが、流れ弾を喰らってる前園さんのことも考えてやってくれ。
「動機は単純でね、当時気になってたクラスの子がドラム好きだったんですよ。付き合うとかそういうことはなかったけど、ドラムのおかげで前より仲良くなれました。たぶん、それが私の人生で初めての明確な成功体験だったんじゃないかと思います」
(おぉ、俺と似たようなもんだな。親近感)
「それから中学高校の六年間、吹奏楽部に所属したことを私は後悔していません。それに私の学校では男子がほとんどいませんでしたから、自分って意外とモテるんじゃないかと勘違いした時期もありました。今考えるとだいぶ調子に乗っていた気がします」
「先に言っておくけれど、あなたには無理よ」
「まだ何も言ってないんだがっ!?」
先輩じゃないんだから思考盗聴はやめて欲しい。裁判所に問答無用で来てもらうぞ。
「大学時代は中学からの親友に加えて新しく知り合った三人とバンドを組み、あちこちでライブをやりました。何をするにも五人一緒で……それはもう、夢のような日々でした。そんな中で私が、ただひとりの異性だった彼女に惹かれていったのも事実です……」
「ん?」
「ど、どうしたの真田君」
「……いや」
前園さんは感じられないのか、この不穏なラブコメの気配を。だが、男女の恋愛模様をラブコメで取り繕えるのは恐らく高校生まで――それを理解らなければ無理もないか。
「そして二年の冬の夕暮れ。彼女は私たちを集めて言いました。実は私――クラミジアと
「「「――――ッ!?」」」
や、やっぱり来た! しかもとびきり最悪なパターンじゃねぇかっ!
語りに耳を傾けていた男子の大半も胸と股間を抑え、想像上の痛みに苦しんでいた。
『……ッ、病名の開示による精神的な〝縛り〟の強化ね。リスクはバネ! 身体を重ねた回数と過ぎ去った日々が大きい程、絶望は深く突き刺さり諦めを呼ぶッ!!』
「えぇ、まさに久住さんの言う通りです。彼女の告白に私を含めたメンバーはひどく動揺しました。文字通り、抗いようのない絶望でした。ひとりは過呼吸になり、もうひとりは糞尿をまき散らし、残るひとりはただ……〝お前はトリコ?〟と」
確かにフルコースかもしれねぇけど、んなこと言ってる場合じゃないだろっ!?
「最後に彼女は、親指を立てながら笑顔でこう告げました……〝
「「「…………」」」
誰も言葉を発さなかった。そりゃそうだ、青春話かと思ったら股間が痒くなるホラー話だったんだから。こんな目に遭った日には女性恐怖症になってもおかしくない。
「ふんッ、だとしてもヤれたんだからいいでしょ。ほらやっぱり女は虐げられてる!」
空気を読まず、遠くで何か叫ぶ拘束された井上先生。凄まじい執念だなぁ……。
過去の何が彼女にそうさせるのか。まぁ、たぶん何もなかったからなん――
「ふっ、それはどうかな?」
「「「――――っ!?」」」
全校生徒……中でも男子がある可能性を示唆する言葉に戦慄し、息を吞んだ。
「まだ私の自虐フェイズは終了していない!」
「「「ま、まさか……っ!」」」
この状況下において、全ての状況がひっくり返る事実はおよそ一つに絞られる。
つまり、つまりだ……平岡先生は、その
「私は、私はぁ!」
「せ、先生! やめましょう……もう、やめましょうよぉおおッ!」
「そうだよ、平セン! それ以上はッ! 心が……」
担任を受け持っていると思わしき男子たちが席を立って涙ぐむ。
しかし先生の瞳には覚悟があった。決して譲らない覚悟が。俺には理解る。そして、
「私はぁ、童貞だぁああああっっ!」
泣いた。こんなに悲しいことはない。
なにせ好きになった女子が自分以外と関係を持つという衝撃との合わせ技なのだ。今、こうしていることが不思議なくらいである。
クソ女を回避したと安堵するのは簡単だろう。だがこの場合、そういう問題ではない。
事実それを理解している生徒たちは、一斉に教師平岡のもとへ駆け寄っていた。
「あ、ありがとう……ありがとう皆。私程度がこれほど多くの生徒たちに囲まれるなんてもしかしたら今日は教師人生、最高の日なのかもしれない。でも、もういいんだ……」
「強がるなよ先生! 俺たち今日から親友だよッ!」
「そうだぜ先生! 辛い時は寄り添い生きるのが人間なんだ!」
しんみりとした空気がグラウンドを包み込み、平岡先生は儚げな表情を浮かべる。
「……本当に。本当にもういいんだよ、忘れて」
「「「平岡先生…………」」」
「だってこんな私にも今は、可愛くて胸とお尻が大きい理解ある婚約者がいるんだから」
「「「…………は?」」」
おっ、流れ変わったな。なんだここまでの話全部、理解ある彼くんの系譜だったのか。
そうかそうか、なるほどなるほど。とりあえず振られてくれないか? 頼むよ平岡。
「な、何が平岡だ! あたおかに改名しろよ!」
「托卵されて十五年後くらいに発狂してしまえ!」
「な、なにを言い出すんだ? どうしたんだ急に皆そんな!」
当然の反応を前に何がなんだか分からない、という風に慌てふためく平岡。
「どうかしてんのはてめぇだ、皆やっちまえ!」
「「「応っ!」」」
結局。内容の面白さではどうあがいても平岡の圧勝なので、〝語り〟の先鋒戦は白組の勝利に終わった。しかし代償として失った生徒の信用は、二度と戻ることはないだろう。
俺も今度、廊下ですれ違った暁には容赦なく舌打ちをするつもりだった。
そうして続く次鋒戦。正直まだやるの? って感じだが、ともあれ白組の先行である。
『両先生、初っ端から熱い戦いをどうもありがとうございました! では気を取り直して次鋒戦に参りましょう! まずは先行、白組から――――』
「一年D組、真田信二郎ォオオオオオオッ!!」
「「「――――ッッ!?」」」
あろうことか春乃先輩の声を遮り、一年と思わしき勇者は馴染み深い名前を叫んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます