第15話 シオンの選択(前編)

 瞬間、シオンは、さぁ――と全身から血の気が引くのを感じた。

 未だかつて見たことのない、女の顔をしたエリスの姿を目の当たりにし、息が止まりそうになった。


 なぜならそれは、シオンがこの二週間必死に目を逸らそうとしてきた、『二人が真の夫婦である』という、何よりの証拠だったのだから。


「……姉……さん?」


 言葉を失うシオンの視線の先で、仲睦まじく抱き合う二人。


 予期せぬシオンの登場に慌て始めるエリスと、口づけを邪魔されたことに不快感を露わにするアレクシス。


 そんな二人の様子に、シオンはきゅっと唇を引き結んだ。


(ああ……そうだよ。最初からわかってたじゃないか。姉さんはもうずっと前から、僕の知る姉さんじゃないんだって)


 つまり、セドリックの言ったことは当たっていたのだ。


 この二週間、エリスはいつだって理想の姉だった。

 昔と変わらず自分を愛し慈しむ、清廉な姉でいてくれた。


 けれどそれはあくまでエリスの一面でしかなく、本当の彼女は、もっと色々な顔を持っている。

 だがそれを、弟である自分には決して見せられなかったのだ。


 それはきっと、エリスが自分に気を遣っていたからで。

 いい姉であらねばと、そう思っていたからで――。


(そうなんだね、姉さん。……姉さんは、僕が側にいたら、本来の姉さんではいられないんだね……?)

 

 思えばこの十年、エリスは手紙の中でさえ、一度だって弱さを見せてくれたことはなかった。


 シオンがどれだけ『姉さんは大丈夫なの?』と尋ねても、エリスは『ええ、こっちは上手くやってるわ。だから何も心配しないで』と強がるばかりだったのだから。


 それなのにどうしてシオンが祖国でのエリスの惨状を知っていたのかと言えば、それは当然、祖国の屋敷の使用人を給金の三倍の金額で買収し、定期報告させていたからなのだが――とにかく、エリスはシオンの前ではどこまでも良き姉だった。


 自分の苦労はひた隠しにし、祖国を追い出された可哀そうなシオンを気遣い、励ます、心優しい姉。

 実際、何も知らなかった幼い頃のシオンは、そんなエリスの温かい言葉に、どれだけ救われたかわからない。


 だが、ある程度年齢を重ね、全てを知ってしまったときから、エリスの振る舞いは憐憫れんびんを誘うものでしかなくなった。


 酒癖の悪い父親と、礼儀知らずの継母、そして、腹違いの妹クリスティーナに虐げられる毎日。


 食事を抜かれ、屋敷からは出してもらえず、折檻を受けることも日常茶飯事。


 更に、継母とクリスティーナは使用人にも辛く当たるので、人を採ってもすぐに辞めてしまう。

 メイドも従僕もコックも次々と減っていき、ついにエリス自らが使用人の仕事をせねばならなくなるほどだった。


 シオンは、そんなことばかりがびっしり書き綴られた報告書を読むたびに、胸が苦しくてたまらなくなった。


 どうしてエリスは僕を頼ってくれないのか。愚痴の一つくらい言ってくれてもいいじゃないか――そう苛立ちを募らせるほどに。


 だがついぞエリスは、ユリウスから婚約を破棄されたことも、帝国に嫁ぐことさえ教えてはくれなかった。

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