魔法使い(1)

 後藤ごとうはずっと、不満だった。


「どんな些細なことでも、私は疎かにしたくない」


 線の細い、二十代の若造が、偉そうに後藤に言う。

 十月半ばの早朝だった。

 突然、本社に呼び出された後藤は、自身の安アパートに敷かれた煎餅布団から飛び起きた。

『来社しろ』

 端的に送られたメッセージは、後藤の直属の上司からではなく、本社に所属する幹部からだった。上から呼び出される事自体稀なのに、幹部に呼び出されたのは初めてだった。

 顔を洗うのもそこそこに、トレードマークのトレンチコートを羽織り、丸ノ内線に飛び乗る。電車に乗っている間、生きた心地がしなかった。


 後藤の所属する時永グループは、千代田区にある高層ビルの、五十二階を所持していた。

 フロア案内にも五十二階に「時永」と書かれている。しかし実際は、二十階から最上階の六十一階まで、時永グループのものだった。

 揺れ一つないエレベーターに乗り、五十二階にある、幹部の部屋へと歩いて行く。震える足と揺れる視界に、脂汗まで流れ出た。なんとか呼び出した張本人の部屋に入室したのは、午前六時三十四分のことだった。


 部屋には、高そうなグレーのスーツに身を包んだ若者がいた。

 若者は色素の薄いショートヘアを後ろに撫でつけ、優雅にデスクでホットレモネードを飲んでいる。ブラインドを全開にした東向きの窓から朝日が入り込み、レモンの爽やかな香りと、朝日を反射した塵が見え、後藤は緊張した面持ちで挨拶をした。


 呼び出された後藤に、席は用意されなかった。

 部屋には若者が座るデスクしかなく、来客用の椅子も置かれていない。

 まるで廊下に立たされる生徒のように、後藤は突っ立ったまま、彼の話を聞かなければならなかった。そこに文句を言うことなど当然できない。後藤に出来ることは、彼と目が合わないよう、彼の気分を害さないよう、静かに下を向いて彼の言葉を待つことだけだ。


 もし彼がその気になれば、後藤は今日この部屋で、彼に殺されてしまうのだ。

 それは比喩的表現ではなく、現実の話だった。

 彼には目線一つで後藤を死に至らしめる力があり、後藤が生きていた事実ごと消滅させる力もあり、そして彼には、人権を含むあらゆる後藤の権利を無視する権利が存在した。


 それが上位魔法使いである彼と、下位魔法使いである後藤の大きな違いだった。


(何が上位『魔法使い』だ)


 後藤はそれも不満だった。

 自分より年下の若造が「上位」として、下位である後藤の生前与奪を握っていることも不満だが、それ以前に、いつからか『魔法使い』だなんて、馬鹿みたいな呼び方が定着していることも不満だった。


 西洋かぶれするまでは、『鬼』とか『妖怪』とか、もっと違う呼ばれ方をしていたはずだし、自称するにしろ『我々』としか言っていなかったはずだ。それがいつの間にか、『魔法使い』なんて陳腐な呼ばれ方になっている。『魔法使い』を自称するやつらもどうかしている。こんな尊い能力を、幼稚な肩書で呼ぶだなんて……。誰にもその不満を言ったことはなかったが、後藤は『魔法使い』という言葉を聞く度に、言ったやつを滅多刺しにして殺してやりたいと感じていた。

 そのクソみたいな肩書がついた、後藤にとっては地獄の使者とも呼べる若者は、その肩書に似合わない物静かな様子で、湯気の出るガラスのマグカップをデスクに置いた。


 どんな些細なことも疎かにしたくない――。


 彼が言った言葉を反芻する。

 今この瞬間も含め、なぜ彼のような上位魔法使いに呼びされたのか分からない後藤は、ただ身を固くして次の言葉を待つしかなかった。


 思い返してみると、後藤の不幸は二十七年前から始まっていた。

 後藤が暮らしていた池袋周辺は、神崎という女が、幾人かの取り巻きとともに取りまとめている土地だった。

 神崎は重度の男狂いで、気に入ったホストに入れあげ、好みの魔法使いは優遇し、女の魔法使いは、どんなに有能でも冷遇するという、分かりやすい女だった。


 魔法使いの世界は、完全な実力主義のピラミッド型で出来ている。

 ピラミッドのトップに立つものは「縄張りを持つ支配者」だ。池袋を統べる神崎もその一人だった。

 支配者のすぐ下には「支配者の側近」が連なる。そしてその下に、後藤を含む有象無象の下位魔法使いたちが連なるのだ。


 支配者とその側近のことを、上位魔法使いと称していた。

 魔法使いの中でも、ごく一握りの人物が、全ての魔法使いを蹴散らして自身の縄張りを持つことが出来た。

 縄張りを持てるということは、縄張り内で起きるあらゆる利益の「総取り」を意味していた。自分好みのルールを縄張り内に適用し、そこに住む魔法使いと人間たちに強いることも、自分だけはルールから逃れることも、あらゆる取引への関与や操作、住民税やみかじめ料のような形で金銭を得ることも可能だった。 


 強ければ強いほど、縄張りの範囲を広げることも、より発展している土地を縄張りすることも出来た。支配者以外の魔法使いは、忠誠を誓うことでようやく、そこに留まることが許される。更に忠誠を誓った者の中でも、実力が抜きん出ている者が、側近として働けた。側近になると主の代わりに采配を振るうことも許された。それすら出来ない後藤のような下位魔法使いは、常に自身よりも強い魔法使いの姿に怯え、小さくなって生きるほかなかった。

 それが嫌ならば、その地を離れるか、あるいは自らの実力で、支配者から縄張りを奪うしかない。

 地方に行けば行くほど、下剋上や支配者の交代、勢力地図の書き換えは頻繁に起こっているようだが、利益の集中する東京のような都市部ではそうもいかない。都市部を総ているというだけで、それは強さの証明になった。小さなせめぎ合いは起こっても、大規模な変動は起きようもない。


 当時も今も下位魔法使いである後藤は、神埼に忠誠を誓う形で池袋に住んでいた。

 性格や見た目はともかく、神崎も魔法使いとしては優秀だった。池袋自体は彼女の父親から継いだ縄張りであったが、それでも十年は自らの実力で、池袋という大きな都市を支配してきた。


 神埼の良いところは、とやかく言わないことだった。

 上納金さえ納めれば、中で何をしていようと大目に見られた。興味すらなかったと言う方が正しいかも知れない。いずれにしろ、後藤達にとっては好都合の環境だった。


 状況が変わってしまったのは、二十七年前の八月だった。

 突如現れた時永ときなが宗景そうけいという若者が、一夜にして、神埼を含む都市一体の大魔法使いを、全員制圧したのだった。


 当時、時永はたったの十七歳だったというから驚きだ。


 千代田区、中央区、港区、江東区、台東区、文京区、新宿区、渋谷区、豊島区、目黒区、品川区。十四人の魔法使い達が、エリアを分けながら支配していた。後藤の主だった神崎も、十四人の中の一人だ。


 その全てが、たった一夜で時永宗景一人のものになってしまった。

 今思い出してもゾッとする。


 支配者達が倒されたというニュースは、その日のうちに東京全体を駆け抜けて、魔法使いたちに衝撃を与えた。

 一夜明けた後にも混乱は続いた。そのニュースを疑う者、時永を心酔する者、付き従うか迷う者。疑う者の中には、時永の力を「まぐれ」だと思い込み、一体何を勘違いしているのか、自分にもチャンスがあると息巻くものすら現れた。結果的にそれらの愚か者は時永の実力を証明する糧となった。数週間も経つと、荒れに荒れていた東京は落ち着きを取り戻し、時永を心酔する者で固められた、『時永グループ』が結成された。


 後藤はその時、池袋から逃げるか迷ってしまった。

 後藤のような下位魔法使いは、上から搾取される未来しかない。神崎が搾取するのは金だけだったが、時永グループが一体何を求めてくるか、考えるだけで怖かった。

 しかし『趣味』を続けるには都市部にいた方が紛れやすいという未練が、どうしても後藤の腰を重くした。


 ぐだぐだと決め切れないでいる間に、時永グループの者が現れ、「忠誠か抵抗か。あるいは追放か」と後藤に迫った。結局、後藤は「忠誠」を選んだ。その結果、後藤は時永グループの縄張りにいるため、社畜のごとく働くはめになってしまった。

 神埼の時代にはあれほど自由にやれていた『趣味』活動が、今では労働と引き換えに、お目溢しをしてもらわなければならない。後藤は心底運命を恨んだ。あと少しでも、縄張りを持てるような実力が、自分にあれば――。こんなに苦労せずに、平和に『趣味』を楽しみながら暮らせたのに……。


 同時に、若くして実力のある者が大嫌いになった。残念なことに、時永を含む側近達は、全員後藤より年下だった。

 自身の不幸を思い出して、つい不快そうな顔をしていると、後藤を呼び出した若者が立ち上がり、後藤に聞いた。


「お前の書類には目を通した。――子供が好きらしいな」


 後藤は思わず、「誤解だ」と怒りたくなった。

 子供が好きだなんて言い方をされたら、小児性愛者みたいに聞こえてしまう。

 後藤は子供相手に性的興奮を覚えたことは一度もないのだ。むしろ、性的興奮を覚えるのは、豊満な身体をした成人女性相手だけだ。

 後藤が好きなのは、「子供の苦痛に満ちた表情を眺めること」ただそれだけだった。

 幸せな感情しか知らなそうな彼らの顔が、恐怖と苦痛に歪む様を、そばで見守る――。そしてそれを撮影し、何度でもリプレイしながら好物の甘味を食べる。ただそれだけ。ささやかな『趣味』だ。それを『子供が好き』の一言でまとめ上げられるのは不満だった。


 後藤の不満を知らない若者は、デスクにあった書類を見つめた。

「子供が好きなら、蒐宮莉央のことも知っているだろう」


 後藤の脳裏に、一人の少年が浮かんでくる。

 何度か仕事で本社に来た際に、廊下ですれ違ったことがあった。

 類を見ない美少年だ。後藤の好みとは合わなかったが、生意気そうな目が不愉快で、『趣味』とは違う意味で、いつか痛めつけてやりたいと、ひっそり思っていた相手だった。残念ながら後藤は彼と口がきけるような立場にすらなかったし、常に彼の母親か、彼の教官達が彼のことを取り巻いていたので、後藤に手を出せる余地はなかった。


「蒐宮親子は昨夜、処分対象となった」

 後藤は喜びと残念さで表情を歪ませた。

 自分より若くて才能のある者が、また一人消えたことは喜ばしい。だが、あの子供に、大人に対する礼儀を後藤自ら教え込んでやることは永久に叶わない。そのことが残念で、仕方ない。

 ところが続く言葉は意外だった。なんと、二人は生きてこのビルを出ているらしい。処分対象となったのに、そんな例は初めて聞いた。初めて聞いたと思った後に、後藤は少し怖くなった。なぜそれほど重大なことを自分に教えるのだろうか……。

 後藤の不安を察してか、若者は自身のデスクの端に寄りかかり、色素の薄い目をそっと伏せた。


「探して、殺せ」

 端的な命令に、後藤が息を飲む。


「終わるまで、戻って来るな。代わりに、成功報酬として、お前の『趣味』に三回だけ、協力してやろう。それがどんな相手の、どんな子供でも、お前の遊び相手に用意しよう。好きなだけ楽しむといい。分かったら、行け」


 後藤に選択の余地など与えられていない。


 若造に顎で使われることに不満はあったが、彼の提示した成功報酬は魅力的だった。この男が「協力する」と言ったなら、どんな親の子どもでも、攫いたい放題だし、なんなら一人の子どもで、一度だけでなく二度三度、楽しめてしまうかもしれないのだ。そんな体験は今までにない。

 後藤はやや興奮して、彼の気が変わらない内に、深々と頭を下げた後、部屋を出た。


 今考えると、この選択も間違っていた。


 後藤の人生は間違いだらけだ。

 もし元に戻れるなら、少なくとも後藤はこの依頼を受けず、池袋から逃げ出している。もっと言えば、幹部に忠誠を問われた時に、追放を選べば良かったのだ。

 しかし間違いに気付いていない当時の後藤は、部屋を出た後、早速仕事を始めたのだった。


 まずは自身に能力を使う。


 絨毯の敷き詰められた廊下で、馴染みのハンディカメラを両手に抱えた。

 これは後藤の使える能力の一つ。自分自身の記憶の中から、特定の情報を検索して出力することだった。


 この『記憶』には、自身が認識出来ている記憶だけでなく、無意識に見たものなども含まれていた。瞬間記憶能力の保持者が、自身の視界に入ったものを思い出すようなことに近い。

 後藤は自身の記憶の中から蒐宮莉央に関する情報を検索した。

 検索した結果は、自らの持つハンディカメラの中に出力される。映像の量は少なかった。基本的に本社ビルで暮らす莉央と、極稀に仕事の為に来る後藤では、会う機会自体が少ないのは突然だった。


 しかし、そのわずかな映像の中から、後藤は莉央の顔がよく分かる映像を選び出し、モニターに手をかざした。

 次の瞬間、その手の中に、莉央の写真が出現する。これも後藤の能力だ。

 写真の中の莉央は憮然とした表情で教官のことを見あげている。後藤の記憶以上の美少年だ。


 後藤はその写真を胸ポケットに入れ、五十二階からようやく出た。

 エレベーターで、ひとまず地下まで降りてしまう。出勤してきた人間たちが掻き分けながら、後藤は地下のコンビニに向かった。


 ひとまず、簡単な朝食を調達しよう。

 朝から飲まず食わずで、命の危機まで感じていたのだ。少し落ち着いてから探しに行っても大丈夫だろう。


 ついでに、店内の一角に立ち止まって、店内の天井に目を向け、視界に入る監視カメラの類に『干渉』する。店内は昼食を買う人間たちでごった返しており、立ち止まって天井を見上げる後藤を、皆迷惑そうに見やったが、後藤は気にせずカメラに意識を集中させた。


 この干渉が、後藤の二つ目の能力だった。

 副次的な能力として、後藤は視界に入る範囲のカメラの位置を、自然と把握できる力があった。コンビニには四カ所にカメラがあった。そこに意識を向けるだけで、後藤から伸びた他人には見えない光のケーブルが揺らめきながらカメラに伸び、接続されて、それが撮る映像を後藤に見せた。


 とはいえ、この能力は、直近数日のものしか見れない。

 また、映像は常にパラパラ漫画のような静止画でしか出力できないし、映像が古くなればその分、動画の一部がコマ落ちするように欠け、出力枚数が減るのだった。


 複数枚の写真の中のから、後藤は蒐宮親子を検索した。検索する時は簡単だ。莉央の姿を思い浮かべればよい。それだけで、自動的に何時間もの映像の中から、該当する場面だけ出力される。

 残念ながら、この店のカメラに二人の姿は見当たらなかった。

 予想していた結果ではあったので、後藤も然程落ち込みはしなかった。追われている身のくせに、コンビニで買い物をしている方が不自然だ。


 気持を切り替え、菓子パンコーナーとドリンクコーナーから商品を選び出す。レジを通って退店した。店外で早々に購入品に齧りつく。他の客は後藤を不審者でも見るような視線で見たが、後藤は意に介さなかった。


 すぐに見つかるだろう、後藤は思った。

 後藤の検索能力は優秀だった。戦闘にこそ全く役立たない能力ではあるが、後藤はこの能力で人間や魔法使いから探索依頼を受け、常に成功してきた自負があった。その依頼の中には勿論、自身が所属する時永グループの仕事もある。

 東京は監視カメラだらけだ。後藤の能力を発揮するのに、これほど好都合な場所もなかった。


 予想通り、ビルから離れ、人の多そうな駅や一休み出来そうなネットカフェ、公園などを歩きながら監視カメラを確認すると、弱った母親を必死に運ぶ美少年の姿を簡単に見つけることが出来た。


 莉央だ。

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