第22話 贈り物

「よいしょっ」


 軽やかな掛け声とともに、セリアは両手に抱えた包みを机の上へと広げた。

 布の束がゆっくりとほどけて、その中身が露わになる。


「はいっ、まずはこれです! ローブですよ! 私が作ったんですっ。頑張っちゃいました!」


 声には明るさが満ちていたが、その目元には、どこか誇らしげな気配も滲んでいた。


 ルクは、視線を落とす。


 それは深い藍色のローブだった。

 指先で触れると、織り目はやや不揃いで、ところどころに微かなゆらぎがあった。けれど、それがかえって温かみを感じさせる。


 角度によって、布地に淡い光が走る。銀糸のようなものが、ごくわずかに混じっているらしい。

 模様とも言い切れず、意図的なものかもわからない。けれど、目を凝らすと、そこには不思議な調和があった。


 ――見覚えが、あった。


 セリアが夜な夜な机に向かい、何かを縫っていた姿。

 目が合うと、慌てて布を隠すように手元を覆った、あの仕草。


 まさか、それがこれだったとは――と、ふと思う。


 ルクはそっとそれを持ち上げ、両腕を通した。

 柔らかく、けれど芯のある重みが、肩を包む。


「どうですか? ……ちょっと、地味だったかなぁ」


 セリアの声が弾む。


 ルクはローブの裾を軽く持ち上げ、首を横に振った。


「……いや、悪くない」


 短く、それだけ。だがその一言に、セリアはふっと微笑んだ。


「ここで大事な大事な注意なんですが――ぜっっったいに洗わないでくださいね! あの、ほら、前に教えた浄化の魔法、あれをちゃんと使ってください!」


 ルクが思わず眉をひそめると、セリアは少しだけ頬を膨らませる。


「だって、これ、すごく繊細なんですよ? 普通の水に浸けたりなんかしたら、銀糸の織り目がぐちゃぐちゃになって、魔力の流れが歪むかもしれないんですっ」


「魔力?」


 ルクはローブの裾にそっと触れながら、わずかに眉をひそめた。


 セリアは胸を張って頷いた。


「そうです! ほんのちょびっとですけどね? ほつれないように、ちゃんと魔力で補強してあるんですよ」


 誇らしげに言うその表情は、どこかいたずらっぽくもあった。


「だって……仕方ないじゃないですか。私、ローブなんて作ったの初めてなんですもん」


 そう言って、指先で自分の頬をつつくようにして笑う。


 滑らかな藍の布地。光の角度でわずかに浮かび上がる銀の糸。


 重すぎず、軽すぎず、ちょうど良い手触りだった。


 それは確かに、誰かの手で編まれた“手づくり”の温もりをまとっていて――


 何よりも、あたたかくて、穏やかで、どこか安心する――セリアの匂いがした。


「はいっ! 次はこれです!」


 ルクがローブに夢中になっているとセリアは唐突に声を弾ませ、慌てるように次の品を取り出した。

 どこか早口で、どこか不自然に朗らかで――それは、嬉しさを誤魔化すときの、いつもの調子だった。


 その笑顔はほんのり赤みを帯びていて、目元だけがやけに楽しげだった。


 ルクは、そっと目を細める。


 ……やっぱり、照れてる。


 セリアが差し出したのは、細身のナイフだった。

 一見、どこにでもあるような、飾り気のない鉄製の刃物。


 装飾も飾り気もなく、刃も柄もただ“使うためだけ”にあるような無骨な造り。

 だがその無骨さが、逆に妙に存在感を放っている。


「……ナイフ?」


 ルクがそう尋ねると、セリアはうんうんと頷いてみせた。


「実はですね、これ――父が昔、私の誕生日にくれたものなんです」


 語る声はどこか遠くを見ていた。

 懐かしさと、少しの照れと、けれどどこか切なさを含んだ声色だった。


「全然使わなくて……どこにしまったかも忘れちゃってて。この前、必死に探しちゃいました。ふふっ」


 言いながら、セリアはナイフを撫でるように指でなぞった。


「このまま、またなくしても可哀想だなって思って……だから、ルクにあげちゃいます。誕生日プレゼントです!」


 明るく言って、彼女はふっと笑う。

 けれど、その笑みにはほんの少しだけ、自分でも気づかぬほどの名残惜しさが滲んでいた。


 ルクは、しばらく黙ってそのナイフを見つめた。


 受け取っていいのか――迷った。


 “父”という存在がどんなものか、セリアに教わっていた。

 けれど、それはあくまで言葉の上での話で、心ではまだ掴みきれていない。


 ただ、もし。

 このナイフが、“セリア”から自分に贈られたものだったとしたら――


 理由はわからない。

 けれど、胸の奥が、わずかにきゅっと締めつけられた。


 受け取ってはいけない気がした。

 なのに、それでも――受け取った方がいいような気もした。


 そのどちらもが、説明のつかない感覚だった。


 だからこそ、迷いながら、そっと手を伸ばす。

 静かにナイフの鞘に指をかけた。

 ゆっくりと、音を立てぬように――それでも慎重に、刃を抜く。


 するりと抜けた金属が、朝の光を受ける。


 一切の曇りもない。

 鈍い輝きではなく、まるで空気そのものを裂いてしまいそうな、凛とした冷たさがあった。


 角度を変えるたび、光のいたずらなのか微かに――本当に微かに、刃が青く光っているように見えた。


 妙に“静かな”刃だった。

 荒々しさも、威圧感もない。ただそこに、黙って在るだけ。

 それなのに、どこか心がざわめいた。


 手に持った感覚は不思議だった。重すぎず、軽すぎず――自分の掌にぴたりと馴染む。


 無言のまま、しばらくその刃を見つめたあと、ルクはそっとナイフを鞘に収めた。


「ふふっ、それ、いいでしょう?」


 ナイフを見つめていたルクの表情に、セリアはこっそり目を細めた。

 嬉しそうに、けれど――どこか、説明しきれない感情を含んだ、複雑な微笑み。


 それは、ただの贈り物ではないと知っている者の微笑だった。


「……あとはね〜、これ」


 言いながら、セリアは机の端に、小さな包みを置いた。


 ごとん。

 中から現れたのは、手のひらほどの金属の塊。


 灰銀色で、鈍い光沢があり、不思議な文様のような筋が表面に走っている。

 どこにも装飾はなく、ただ不格好に、無骨に――そこに在る。


「……これ、なに?」


 ルクは思わず声を漏らした。


 見た目はまるで鉛のかたまり。用途も意味も、まるでわからない。


「うーん……ゴミ?」


 さらっと返された言葉に、ルクは眉をひそめた。


「いや、これね〜。昔、誰かに“ちょっと珍しい金属だから”ってもらったの」


 セリアは頬をかきながら、苦笑するように続けた。


「でも、飾っても可愛くないし、机の引き出しでずっと邪魔だったのよね。何度か捨てようかと思ったくらいで」


 口調は軽く、気楽そのものだった。


「でもまあ、貴重らしいんですよ? ……なので、お金に困ったら売っちゃってください」


 にっこりと笑って言うその顔は、本気なのか冗談なのか、まるで読めなかった。


 その夜の食卓は、いつもより明らかに“特別”だった。


 食卓には見慣れない皿が並び、香ばしい肉の焼ける匂いと、ハーブの柔らかな香りが、家中に満ちていた。

 セリアが腕によりをかけた料理の数々。

 煮込み料理、焼き菓子、温かいスープ。蒸気が立ちのぼる皿のひとつひとつに、彼女の丁寧な手間が感じられた。


 ルクはその理由を問わなかったし、セリアも何も言わなかった。


 今日は“誕生日”。

 けれど、それだけではない。

 それが“しばしの別れ”の夜でもあることを、ふたりは言葉にせずに理解していた。


 だからルクは、静かに料理を口に運びながら、どこか胸の奥がざわつくのを感じていた。

 平静を装っても、舌に残るのは、料理の味よりも、かすかな寂しさだった。


 窓の外では、虫の声が遠く、優しく響いていた。


 夜が深まり、皿が空になり、ろうそくの火が短くなった頃――

 ふたりはいつものように「おやすみ」と言葉を交わし、また、明日が続くかのように眠りについた。


 けれどその「明日」は、もう「いつもの朝」ではなかった。


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