ファントム、作戦失敗する4

「くそっ、今のはなんだ!?」


 頭を打ったのか、右手で抱えながら運転していたMI6のエージェントも開かないドアを蹴り壊し降りてきた。


「うーん、撒菱(まきびし)? ってか、踏んだら爆発するなんて物騒なもん、どうやって手に入れたんだよ、あのじーさん」


 爆破していないそれを慎重に掴んで、瀬尾はそう言った。


「マキ……?なんだ、それは」


「三角錐の鉄のトゲで、忍者が使う武器だよ」


「は!? ニンジャ!? 奴は忍者なのか!?」


「はぁ? お前馬鹿か。そんなもん、太秦と忍者村にしかいないっつーの。それにしても……」


 瀬尾はポケットからスマホを取り出して画面の地図を見つめるが、動くものは何もない。


「ショックだよなぁ。俺って信用されて無かったってこと? あのじーさん、専用回線のさらに使い捨ての機器でしか連絡よこさなかったし。ほんと、何者なんだろうねぇ」


 そう言いながら手に持った撒菱を放り投げると、橋の向こう側に視線をやった。


「さて、これでファントムを逃がすと致命的なんだけど、マダムはちゃんと捕まえてくれるかなぁ」


 この状況でも、瀬尾は楽しそうに微笑んでいた。



 その爆発音は、遠く離れた灰島にも、仲間たちが無事に脱出したことを知らせる祝砲のように聞こえた。


「……あとは、こっちの足止めだな」


 当然、MI6部隊も黙ってはいない。後方の車両から、黒い戦闘服に身を包んだエージェントたちが次々と降り立ち、一斉に灰島に向けて発砲を開始した。無数の銃弾が、アスファルトを削り、火花を散らす。


 灰島は、橋の中央分離帯や、乗り捨てられた一般車両の陰に身を隠しながら、驚くほど冷静に応戦していた。彼の目的は、敵の殲滅ではない。


 あくまで「時間稼ぎ」。


 彼は、敵兵ではなく、その足元のアスファルトや、頭上の照明灯を正確に撃ち抜き、敵の注意を自分一人に引きつけ続ける。


「散開して包囲しなさい! 殺さないで、絶対に生け捕りにするのよ!」


  後方の車両の中から、セレスティーナの苛立った指示が飛ぶ。


 灰島は、敵の包囲網が狭まるのを見ると、おもむろに煙幕弾を足元に叩きつけた。濃い白煙が雨に混じって視界を奪う。


 MI6の部隊が一瞬混乱した、その隙。灰島は、橋の欄干を軽々と飛び越え、その外側にある、わずか数十センチ幅のメンテナンス用キャットウォークへと飛び移った。


「下に逃げたぞ! 追え!」


 だが、それはMI6の完全な誤算だった。橋の下に広がる闇に消えたかに見えた灰島は、超人的な身体能力で橋の鉄骨を伝い、信じられない速さで敵部隊の背後に回り込んでいたのだ。


 背後から現れた亡霊(ファントム)に、MI6のエージェントたちは反応すらできない。灰島は、銃を使うことなく、流れるようなCQC(近接格闘術)で次々と敵を無力化していく。肘、膝、手刀。人体の急所を的確に打撃し、敵の武器を奪い、それを新たな武器として利用する。


 まさに、一人の人間が巻き起こす、局地的な嵐だった。


「なんて男なの……!」


 車両の中からその光景を見ていたセレスティーナは、戦慄と同時に、一種の恍惚すら感じていた。


 だが、脇腹からの出血が、彼の超人的な動きから徐々に速さと精度を奪っていく。それでも戦意は衰えず、彼の視線が指揮官であるセレスティーナを捉えた。


 灰島の圧倒的な強さに、歴戦のエージェントたちも一瞬怯み、足が鈍る。その隙を突き、灰島はセレスティーナへと続く道を見出すと、ただ一人に狙いを定め、一直線に突撃した。その鬼気迫る動きに、歴戦のエージェントたちもさらにたじろいだ。


 数人のエージェントをなぎ倒し、ついにセレスティーナの目前まで迫る。


「そこまでよ、ファントム」


 セレスティーナは、慌てることなく小さく笑う。彼女は、元SAS最強の兵士。鬼気迫る灰島の拳を最小限の動きで受け流すと、逆に彼の負傷した脇腹に、的確な蹴りを叩き込んだ。

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