ファントム、作戦失敗する1

 彼らが撤退作業を急ぐ中、MI6の作戦車両の中もあわただしかった。


「あなたの情報通りだったわ」


 漆黒の作戦車両の中、セレスティーナはタブレットに映る隠れ家の俯瞰図を見ながら、隣に座る情報屋に優雅に語りかけた。情報屋はフードを目深に被り顔は見えないが、その袖口からは派手なアロハシャツが覗いている。


「報酬は約束通り支払うわ。でも、なぜプロメサーも私たちの動きを知っていたのかしら?」


「さあね。あのオークションサイトは化け物の巣窟だ。俺にも分からねえよ」


 フードの男、瀬尾は素っ気なく答える。


「それより、約束は守ってもらうぜ、レディ。ファントムとユキを捕らえた後、あんたたちが掴んだ『プロメサー』の正体に繋がる情報を、俺に流してもらうって約束をな」


 フードの奥で、瀬尾の声が低く響く。金だけではない、さらなる要求。セレスティーナは、面白いおもちゃを見つけた猛獣のように、楽しげに口角を上げた。


「あら、欲張りなのね。金貨の山だけじゃ足りないのかしら?」


「足りるわけねえだろ」


 瀬尾は吐き捨てるように言った。


「俺は、ファントムを裏切った。あんたは奴を知らないかもしれねえが、奴は執念深い。もし、万が一にも、あんたたちが奴を捕り逃がしたら、俺は世界中のどこに隠れても、奴に探し出されて消される。確実にだ」


 彼は、セレスティーナの方に向き直った。


「だから、保険が必要なんだよ。俺の身を守るための、最強の保険がな。『プロメサー』の正体は、そのための最高のカードだ。いざとなったら、そいつに寝返る手土産にもなる。どっちに転んでも、情報(カード)がなけりゃ、俺みたいな平凡な人間は生き延びれないだろ?」


 自己保身。恐怖。そして、情報屋としてのしたたかさ。彼の理由は、あまりにも人間臭く、説得力に満ちていた。


「ふふっ、可愛い猫ちゃんね。ファントムの噂は聞いたことあるわ。凄腕だとは聞いてたけど……」


 どれほどのものなのか? と思いセレスティーナは、心底楽しそうに笑った。


「ふふ、気に入ったわ。約束は守ってあげる。あなたが最後まで、私たちの『役に立つ』駒でいられたらの話だけど。ファントムを捕らえた後、私たちが得た情報を、褒美として『おすそ分け』してあげましょう」


 彼女の言葉は、優雅だが、絶対的な支配者のそれだった。その時、部下から通信が入る。


「マダム! 対象車両、首都高を横浜方面へ! おそらく、港から高飛びするつもりです!」


 セレスティーナの眉が、わずかにピクリと動いた。


「地上部隊に追わせなさい。あなたはここにいなさい、クラブ。裏切り者を信用するほど、私はお人好しではないわ」


「冗談でしょ?」


 その言葉に、瀬尾が立ち上がった。


「ファントムはただの兵隊じゃない。奴を陸路で追い詰めるなんて不可能だ。 だが、横浜港へ向かうなら、必ず奴は『アークブリッジ』(巨大な吊り橋)を渡るはずだ。あそこは全長3キロの一本道。逃げ場は、ない」


 彼は、タブレットの地図を指さした。


「俺が別動隊を率いて、橋の出口を塞ぐ。あんたたちは入り口を固めろ。ここで奴を捕まえなきゃ、あんたらの作戦も、俺の命も終わりだ」


 彼の提案に、セレスティーナは数秒間、思案した。確かに、ファントムほどの男を捕らえるには、逃げ場のない場所に追い込むのが最も確実だ。


「……いいわ。ただし、私の部下を二人つける。余計な動きをしたら、あなたの頭を打ち抜いて、その派手なシャツを真っ赤に染めるように言ってあるから」


「それはご丁寧にどうも」


 瀬尾は軽口を叩くと、すぐさま別の車両へと乗り換えていった。


 セレスティーナは、横浜の『アークブリッジ』へと向かう灰島たちのバンと、反対側から橋を封鎖するために走り去る瀬尾の車を、モニター越しに見つめていた。


「どちらも、私の掌の上よ」


 微笑むセレスティーナは、すでに完璧なる勝利を確信していた。

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