ファントム、隠し子現る6

 小さな沈黙の後、ユキは「そうよ」と小さく答えた。


 諦めと、どこか達観したような響きが、その声にはあった。彼女はゆっくりと顔を上げ、驚きに目を見開いているマスターと、全てを知っていたかのような灰島を交互に見つめた。


「私の時間は、あの白い部屋で研究が『完成』したあの日から、止まったままなの」


 ユキは、自分の小さな手のひらを見つめながら、静かに語り始めた。


「私の細胞は、老化しないように設計されてる。専門的な言葉で言うと、テロメアが短くならないように固定されてるの。命のロウソクみたいなものが、最初から燃えないように細工されてるってこと」


 マスターは息を呑んだ。不老。それは人類が古来から夢見た奇跡だが、目の前の少女が背負っているそれは、祝福ではなく呪いでしかないことを悟った。


「どうして、そんなことを……」


「『AEGIS』のマスターキーとして、最も安定した状態で存在し続けるため。脳も、身体も、予測不能なエラー……つまり『成長』や『老化』を起こさないように。私は、この姿のまま、永遠にシステムの一部として機能し続けるはずだった。完成された日から、一日も年を取っていない」


 彼女は、灰島に視線を移す。


「ファントムと初めて会った5年前から、私は何も変わっていない。そして、これからも変わらない。だからといって不死ではないわ。細胞が生きている限り、いずれその形は崩れ、いつかは死ぬ。それがいつなのかは分からないけど……、けれどその日までずっと隠れているのは嫌。普通じゃなくても、自由が欲しい」


「ならば、戦え。その過程が普通ではなくとも、お前の望む未来を手に入れることができるかもしれない」


 灰島にそう言われ、ユキは薄く微笑んだ。


「……ごめんね。あの時『あなたに私の気持ちは分からない』なんて言って」


「別に謝るようなことではない。実際、理解できているかどうか怪しいからな」


 そんな返事に、マスターが「ほっほっほっ」と笑う。


「それでは、必要なものを言ってください。なんでも揃えます、合法から非合法なものまで、こんなおいぼれでもお役に立てると思いますよ?」


「……マスターって何者なの?」


 目をぱちくりさせるユキに、マスターは「ほっほっほっ」と笑うだけだった。


 翌朝、まず持ち込まれたのはPCだった。


「ネット回線は海外経由ですので場所は特定されません。あと、移動手段も確保しましたし、変装する道具もあります。銃器は音が出るのであまり好きではないんですよ。その代わりナイフから小物類は充実してます。盗聴器、発信機、通信システム、その他小物類は全部あるはずです。まだ必要なものがありましたらおっしゃってください」


 にこりと笑うマスターの前には、ありとあらゆる道具が揃えられていた。


「そうだな、まずは味方が欲しい」


 灰島はそう言うと、PCを立ち上げた。


「クラブ、聞いているんだろう? アクセスしてこい」


 どこに向かって話しているのか? 不思議そうに灰島を見るユキの前で、PCがポンと子気味のいい音を立てたかと思うと画面にトランプの絵が浮かび上がった。


「……お前、俺が味方じゃなかったらどうすんの?」


 聞こえてくる声に、灰島はフッと笑う。


「そうだな、裏切ったら復讐はしようと思っていたが……、とりあえず敵でないことを願ってる」


 灰島の乾いたジョークに、PCのスピーカーから「……お前、本気で言ってんのが一番タチ悪いんだよ」と、心底呆れたような声が返ってきた。画面に映るトランプは、エースからジョーカーへと目まぐるしく変わっている。


「で? お前が生体キーを盗んだ、とは聞いたが、どう考えてもそんなものに興味を持つとも思え無いんだよね。だからって任務でもないのに誰かを助けるのもお前らしくない。いや、そもそも、最近の動きがお前らしくなくてもう俺の理解の範疇を超えてる。そして、お前が俺の取り付けた盗聴器に気づかないなんてことはあり得ないし、連絡する気満々だなってことは分かってる。が、どうせロクでもない計画に巻き込むつもりなんだろ。っつか、もうすでに巻き込まれてるからな、ものはついで、聞くくらいはしてやるよ、ファントム」


「ああ。世界で一番、タチの悪いオークションを始める」


 灰島は、瀬尾と、隣で固唾をのむユキとマスターに向けて、作戦の全貌を語り始めた。


 作戦名『プロメテウスの火』。ユキが作り出す「偽りのレシピ」を餌に、世界の裏側で暗躍する者たちを一同に集め、互いに潰し合わせるという悪魔的な計画を。


「……はっ!  正気かよ、お前!」


 一通り聞き終えた瀬尾が叫んだ。


「CIAもMI6も、テロリストも全部呼び込んで、地獄の釜の蓋を開けるってのか!?」


 なかなかうまいこと言うもんだ、感心するマスターの耳に「はっ!」と笑い声まで聞こえる。


「 面白ぇ! 乗ってやるよ! だが、サイトの維持費と俺の命の保険料は高くつくからな」


「勿論、お前の口座に、スイス銀行経由で当面の資金を振り込んでおく」


「話が早くて助かるぜ、この悪魔め!」


 こうして、史上最悪の作戦が静かに始動した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る