ファントム、隠し子現る4

 マスターの言葉に灰島は微動だにしなかったが、代わりにユキが「嘘……」と答えてしまうから意味がない。


「おや、本当にあたりでしたか! いやいや、都市伝説にも満たないただのホラかと思っていましたが」


 ニコニコ笑うマスターに、灰島は思わず頭を抱え、そしてユキは小さく「……ごめん」と謝った。


「心配しないでください。誰にも言いませんから」


 勿論、玲奈にもね、と続けた。


「……彼女は俺を『公安』だと思っているみたいだがな」


「コクチョウの存在は、ほとんどの人間が知りません。『公安』と思っているならそれでいいでしょう。別に秘密組織でも何でもないですから」


 その方が、彼女の身の安全も保証されるだろう。


「ふふ、純粋でいい子だもの。巻き込んでは可哀想だわ」


 見た目の年齢にふさわしくない言い方に違和感を覚えたマスターの視線に、ユキは大人びた笑みを浮かべた。


「5年前、私とファントムは兄妹に偽装してたの。そうね、それにしてもかなり年の離れた兄妹の設定だけど、今では完全に破綻しちゃったから『パパ』ってことにしたんだけど、それも無理があったかも」


「似てないですからね。でも、前妻の連れ子であれば問題なかったですよ」


 マスターのフォローに、ユキはクスリと笑った。


「良かった。あそこでファントムに突き放されたらどうしようって思ってたから」


「そんなことは──」


「しませんよね」と断言したのは、灰島ではなくマスターだった。


「ユキさん、あなたの見る目は間違っていません。いや、私もついつい彼を頼ってしまって」


 そう言って笑うマスターに、ユキも「分かります」と頷く。


「他に、頼れる人が思い浮かばなくて、でもファントムはコクチョウ。だから、駄目って思ってたんだけど、辞めたって情報が流れてきたから、だから──」


「そこが疑問だったんだ。コクチョウはお前を保護していたはずだ。そこから逃げ出す必要が?」


 最後まで言わないのは、理由を察しているから。


「私の情報が、中東の反政府組織に流れたのが始めね」


 まだ、概要を掴めていないマスターにユキはにこりと微笑む。


「そうね、まずは私の話をしましょう」


 ユキは淡々と、まるで誰かの物語を話すように話し始めた。


「私の本質は、この姿じゃない。私の……、そう、脳、あるいは意識そのものが、世界を覆う量子暗号システム『AEGIS』の、たった一つのマスターキーなの」


 マスターは黙って聞いている。灰島は苦虫を噛み潰したような顔で、それでもユキを止めようとはしなかった。ここまで巻き込んでしまったのだ。そして、ユキが話す以上、止める権利はもう灰島には無いからだ。


「現代社会のあらゆるセキュリティシステム――、例えば軍事、金融、行政、通信網に至るまですべてのシステムは、理論上解読不可能な次世代量子暗号『AEGIS(イージス)』によって保護されています。しかし、この『AEGIS』には、開発者さえ意図しなかったたった一つのバックドア、概念的な「マスターキー」が存在することになってしまったの」


 静かなユキの言葉に、マスターは思わず喉ぼとけを上下させてしまった。国家機密なんて生ぬるいものではない、これは、世界機密といってもいいほどの極秘事項だ。


「それが、私なの」


 マスターの視線が灰島に向けられるも、彼は表情一つ変えず、微動だにしなかった。その様子は、彼女の言葉が真実であることを裏付けているかのようだった。


「私の脳、あるいは意識がこのマスターキーと完全に一致する特異な量子パターンを常に発しています。つまり、私が何かを見て、何かを考える。その行為自体が、あらゆる扉を開けてしまう。軍の最高機密も、世界の金融システムも、私にとっては鍵のかかっていない宝箱と同じ」


 ユキは、まるで他人事のように、淡々と続けた。しかし、その声には抑えきれない諦念と恐怖が滲んでいる。


「コクチョウは、私を守ってくれていた。それは本当。でも、同時に私を『箱』に入れて、誰にも触れさせないようにしていた。私が世界を壊さないように。私が……、誰かに盗まれないように」


 その言葉に、灰島は目を伏せた。彼自身も、その「箱」の番人の一人だったのだ。


「でも、その箱に穴を開けた人がいた。しかもコクチョウの中に」


 組織内部からの裏切り。それは最も防ぎがたく、最も致命的な一撃だ。


「私の管理担当者の一人が、私の生体データを中東の反政府組織に売ったの。最初は、ただのお金目的だと思ってた。でも違った。彼はもっと大きな絵を描いてた。私という『鍵』を使って、『AEGIS』そのものを支配しようとしてる」


「……そんなことをしても、すぐにバレる。コクチョウのメンバーでそんな浅はかな考えを持つ者がいるとは」


 信じがたい灰島の声に、ユキも「うん」と頷く。


「私自身がターゲットならすぐにばれる。でも、彼が売ろうとしてるのは私のレシピ。どこからか、父の研究資料を見つけたみたいなの」


 そう、彼女を作り出したのは、彼女の父親だった。


「父親……」


 ユキも人なのだから、父親もいれば母親もいる。


「うん、でも母は人工子宮。そして私は遺伝子操作された子供だから、遺伝子上の父親とは呼べないけど」


 何でもないことのようにさらりと言ったが、倫理・哲学・宗教・文化・法律等の人文社会的なありとあらゆる面から問題しかない。


「その父親も、コクチョウに殺されたわ」


 その告白に、マスターが灰島を見ると、彼は「そうだったな」と短く答えた。


「そして、その研究資料も完璧なものではなかったみたい。だから、私を作るなら私をコピーするしかない。そいつは私の世話をすると見せかけて、私の生体データを集めていたの。その一部を売ったことが分かったのだけど……」


「コクチョウには告発していないのか?」


 灰島がそう聞くと、ユキはコクリと頷いた。


「それを利用しようと考える輩が一人とは限らない。そうなれば、コクチョウは私をもっと監視、管理して箱から出さないでしょう?」


 彼女のいう通りだ。傍にいるだけで、彼女の細胞が手に入る、そんな立場になれば同じようなことを考える人間が増えてもおかしくない。コクチョウとは言え、ただの人間なのだから。

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