第25話 焦がれ、憧れ

「……ヒュ……ウ……? ろう、ひたの……? 苦ひ、いの……?」


 自分のことを棚に上げてそう問いかけながら、サラが噛まされている布を外そうと手を伸ばそうとしたのに、上手く動かない。


 それでも、サラが何をしようとしているのか察してくれたのか、シュウは表情を苦痛に歪めつつも震える両手を伸ばしてくれた。

 それから、覚束ない手つきでどうにか布を取り払ってくれた。サラがこれまで噛みしめていたのは、どうやらシュウのネクタイだったらしい。


 口が自由になったのと同時に、気づけば涙がぼろりと溢れ出してきた。


「……シュウ……痛、いの……?」


 自分だって、心臓が必要以上に激しく脈動しているせいで息苦しい上、徐々に背中が熱を帯びてきて意識が朦朧もうろうとしてきたのに、何を言っているのか。

 それでも訊かずにはいられなかったサラに、シュウはぎこちなく口の端を上げた。


「……今は、自分の心配だけしてろ。馬鹿」


 ネクタイを解いてくれたシュウの手が、不器用にサラの頭を撫でる。その直後、シュウは何故か辛そうに目元を歪めたが、サラの髪に触れる指先が離れる気配は欠片もない。


「サラこそ……何か、俺にできることは、あるか?」


 シュウこそ、顔中に冷や汗をかいているというのに、何を言っているのかと思ったものの、少し迷った末、素直に甘えることにした。


「じゃあ……抱っこ、して?」


 あまりにも子供じみた願い事だっただろうか。シュウの空色の双眸が、驚きに見張られる。

 しかし、すがれる相手がすぐ傍にいるとわかった今、地面に転がされたまま苦痛に耐え忍ぶのは嫌だと思ったのだ。


 空を閉じ込めたかのような瞳をじっと見つめていたら、シュウはやがて深く息を吐き出した。

 そしてサラの望み通り、背中の傷に触れないように細心の注意を払いながら抱き起してくれたかと思えば、胡坐あぐらをかいたシュウの膝の上に向かい合う形で下ろされた。


「……辛かったら、俺の背中に爪を立ててもいいし、肩を噛んでもいいから」


「それ……シュウが、痛い……」


「今さら、痛いとこが一つ二つ増えたとこで、そんなに変わんねぇよ」


 そんなことはないと思うのだが、先程よりは痛みが引いてきたのか、シュウは柔らかく微笑んでみせた。

 その微笑みに背を押されるように、おずおずとシュウの背中に両手を回す。


 すると、背中に一際強い痛みが走り、咄嗟に唇を噛み締める。

 嚙み締めた唇の隙間から、獣じみた唸り声が漏れ出してしまったものの、叫び声を上げるよりはシュウに心配をかけずに済むに違いない。


 シュウは痛みをやり過ごすためなら、背中に爪を立てるなり、肩を噛むなりしても構わないと言ってくれたが、サラにはどちらもできそうにない。

 だから、サラ自身の唇をきつく噛み締めたのだが、その拍子に唇の薄皮が破れてしまったのだろう。じわりと、口の中に血の味が広がっていく。


「――こら」


 この状況にそぐわないたしなめる声が鼓膜を震わせたと思った時には、シュウに有無を言わせぬ強さで唇を塞がれた。

 その上、サラの唇の表面をぬるりとした感触を這っていったものだから、びくりと肩が跳ね上がる。


 シュウの唇から逃れようと頭をらせようとしたら、逆に後頭部をぐっと押さえ込まれ、サラの唇を舌でこじ開けられてしまった。


「ん……んぅ……!」


 自分のものではない舌が侵入してくる感覚に、自然と目に涙の膜が張り、視界がぼやけていく。

 こんな時に何をやっているのかと、抗議を込めて拳でシュウの胸を叩くが、互いの舌を絡み合わされただけだった。


 そうこうしているうちに、サラの口内にシュウの唾液が流れ込んできた。

 苦しくて思わずごくりと飲み下した直後、信じられないことに、心臓や背中の痛みが少しだけ和らいでいくのを感じた。


(あ――)


 ――殺生石は、生かすも殺すも使い手次第の石だ。

 そして、殺生石はアヤカシの体液が固形化したものだ。

 ならば、ヒト型のアヤカシであるシュウやサラの体液にも、同じ作用を引き起こす成分が含まれているのではないか。


 サラの推測を裏付けるかのごとく、口から溢れそうになる唾液を飲み下す度、意識を失いそうになるほどの激痛が明らかに緩和されていく。


(なら……)


 拳を作っていた手を解くと、その手でシュウの頬を包み込む。それから、サラからも積極的に舌を動かし、シュウの口の中へと唾液を流し込む。

 まさかサラから行動を起こすとは予想だにしていなかったのか、もう一度シュウは瞠目したものの、意図を察してくれたらしく、すぐに応えてくれた。


(お願い……少しでもいいから、シュウの苦しみもなくなって欲しい……)


 どうして、シュウがこんなにも苦しんでいるのか、意識が混濁こんだくしていたサラにはわからない。

 でも、サラにできることがあるならば、何でもしたかった。


 この場には似つかわしくない、互いの荒い息遣いと絶え間なく生まれる水音が、鼓膜を侵食していく。触れ合っているところから、二人の異様に高い熱と暴れ狂ったように鼓動を刻む音が伝わってくる。ほのかに甘く、爽やかな香りが鼻腔びくうをくすぐる。


 だが、これが治療行為だと認識した今、羞恥心は砂粒ほどにも湧き上がってこない。


(そういえば、ネージュは……)


 そっと視線だけを動かせば、ネージュが受けた火傷の修復はかなり進んでいた。

 しかも、いつの間にか小型化していたノワールが、せっせとネージュの傷口を舐めているから、余計に回復が早まっているに違いない。


 サラの意識が、よそに向いていることに気づいたのだろう。咎めるように、シュウに舌を強く吸われてしまった。


「ん、ぅ……」


 息苦しさから、縋るようにシュウのやや癖のある髪に手を差し入れるや否や、濡れ羽色の髪の根元が白っぽくなっていることに、ふと気づく。

 しかし、疑問が芽生えた直後、シュウの髪があっという間に黒から白銀へと塗り替えられていく現象を目の当たりにし、驚愕に目を見開く。


「……シュ、ウ……?」


 咄嗟に重ね合わせていた唇を離し、目の前の騎士をまじまじと見つめる。

 雪のような白銀の髪に、明るい青の瞳。

 さながら、空を人の形に作り上げたならば、こうなるに違いないと思わせる姿に、ほうっと吐息を零す。


 ――サラはずっと、空の世界に焦がれ、憧れ続けてきた。

 自分の出自を知ってからは、単なる帰巣本能に似たものかもしれないと思っていたのだが、もしかしたら違ったのかもしれない。


 この、空のように美しい騎士に焦がれ、手を伸ばさずにはいられなかったからこそ、空の世界への憧れを募らせていたのかもしれない。

 そう思った時には、自分でも気づかないうちに、シュウの薄く形の良い唇に自らの唇を重ね、目を閉じる。


「……シュウ」


 ゆっくりと閉ざしていた瞼を持ち上げ、互いの唇を離す。

 心臓の鼓動が、一際大きく脈打つ。


「あり、がと……」


 シュウの行動から察するに、つい先刻まで死にかけていたサラの心臓が力強く動き出したのは、この騎士のおかげなのだろう。

 もしかすると、シュウが表情を苦痛に歪めていたのは、その代償なのかもしれない。


 それでも、この騎士はサラに迷わず救いの手を差し伸べてくれたのだ。

 あなたの盾となり、剣となることをここに誓おうという言葉にたがわずに。


(わたしの……騎士さま)


 心の中でそう囁いた途端、ついにサラの意識は途絶えた。



    ***



「――それで? サラは、まだ目覚めないのかしら」


 ――サラが初陣に臨んだあの日から、一週間が経過した。

 兄たちと共に玉座の間へと招集され、玉座に腰かけるレイラに向かって跪いていたシュウは、問いに答えるべく口を開く。


「……残念ながら、サラはまだ意識を取り戻してない。医療用カプセルの中で眠ったままだ」


 濡れ羽色の髪に覆われた頭を下げたまま、ありのままの事実を淡々と述べたら、溜息を吐く音が耳朶を打った。


「そう……あの状況下では、あれが最善策だったんでしょうけれど……シュウ、サラはこのまま眠り続けるという事態には陥らないでしょうね?」


「医者の話によると、サラが意識を取り戻すのに、あと数日はかかるらしいが、昏睡こんすい状態にはならないとのことだ。多分……身体が新しい心臓を受け入れるのに、時間がかかってるんだと思う」


 そう――シュウの血液を媒介ばいかいに、サラの心臓は大きく生まれ変わったのだ。

 そして、シュウの心臓もまた、今までとは大きく変質した。


 心臓を半分にちぎられたのではないかと錯覚するほどの苦痛を味わった通り、シュウの心臓を半分、サラに移植することで延命させたのだ。

 虫の息とはいえ、サラが辛うじて呼吸をしており、心臓の鼓動が止まっていなかったからこそ、成し得たわざだ。


 ただその結果、シュウが死を迎えれば、サラの心臓の鼓動も止まるという、運命共同体となってしまった。

 その件で今、庇護姫たるレイラを大いに悩ませることになってしまった。


「それにしても……まさか、あなたが自らの寿命を削ってまでサラを蘇生させた結果、あなたの『呪い』が解けるなんてね。もしかしてシュウ、知っててやったの?」


「……知ってたら、とっくにやってる」


「それもそうね」


 シュウが受けた『呪い』――それは、オリジナルの記憶を引き継いだまま、何度もクローンとして生と死を繰り返すというものだ。

 シュウが死を迎えれば、ただちに風見家に嫁いだ女性の母胎を通し、新たなクローンが生まれてくるという仕組みだ。


 そして、シュウが誰かと子供を作った場合は、相手の女性の妊娠期間中に徐々に衰弱していき、新たなクローンが誕生するのと同時にその命を落とし、意識と記憶が引き継がれる。


 だから初代庇護姫は、シュウに子を作るような真似を禁じた。

 少しでも長くシュウを戦うための駒として有効活用し、戦場の中で生き、使い物にならなくなってから死ねと命じたのだ。


 何故、特殊なクローンとして延々と生と死を繰り返すようになったのか、シュウにはよくわからない。


 でも、これまで脳と精巣に存在していた謎の物質が原因だということと、ヴィクトリア・エーヴァの仕業に間違いないことだけは、ラカージュの住人なら誰もが知っている。


 それから――ラカージュに帰還してから受けさせられた検査の結果、例の謎の物質がシュウの身体のどこにも見当たらなくなり、消失していたことも。


「騎士たちよ、顔を上げなさい」


 しばしの逡巡の間を置いてから、レイラに命じられるがままにシュウたちはゆっくりと顔を上げた。

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