怒ってるところを見たことがないとよく言われる
バイト先でも、サークルでも、というか大学4年間、私は誰かに対して怒ったことがない。怒りを抱いたことはあっても、それを露わにした記憶がない。実際、怒ってるところを見たことがないとよく言われる。そして自分でもそう思う。
怒ることを忘れたわけじゃない。怒ることは手段の一つとして、コミュニケーションの一種になり得ることは分かっている。ただ、怒ってる暇があったら他に何かできることがあるはず。泣いたり笑ったりするのも同じ。感情を発散させることも大事ではあるけれど、そのために時間を浪費することは賢くないし、「怒る他にやるべきことが思いつかない」無能さを露呈させることでもある。
この理屈で行けば、いかなる理由があれ、怒りっぽい人というのは総じて無能である。が、自分も時々その無能である有り様を受け入れて物事を言うときはたまにある。
イヤホンから音漏れさせる奴って馬鹿だよな。公衆の迷惑を考える頭がないってことだし、耳悪いってことだし、何のためにイヤホンをしてるのか分からない。あれって自分の耳だけに音楽を届けて周囲に騒音公害をもたらさない為のデバイスですよね?単なる出力装置として使うんだったらラジカセでもスピーカーでも一緒。バスの中にオーディオ機器担いで乗ってみやがれ。お前のしていることはそれと同じだバーカ。
という文章を、自分の隣に座っている音漏リスタに見られても良いやという気分で打ち込んでいく。そんなテキストをネットで公開するような人間なんだ私は。バレたらまずいよなあ。表向きはいい人だけど、裏ではこんな陰湿な文章書いてるんだぜって。それも、誰にも言わないで小説を書いてきた理由の一つ。
でも、こういう、告発文じゃないけど、「イヤホンの音漏れは格好悪いし、頭悪そうに見えるから辞めた方がいいよ」というアイデアを発信することで、実際にバスや電車など公的な空間で、イヤホンから音漏れをさせる人が減ったとしたらどうだろうか。それは立派な社会貢献なのではないか。
イヤホンから音漏れさせる人が減れば、不快な思いをする人が減るし、耳を悪くする人もきっと減る。誰にとっても損をしない。だったら、自分がその怒りを発信する汚れ役を、愚か者の役割を担って、それで社会がほんの少しでも良くなるならそれでいい。物を書く者ならばそういう覚悟というか信念を持っていて然るべきだと思うし、これは自分が小説を書き始めた動機の一つでもある。
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