第2章 ランブルク王宮にて

2-1 夜会



――それから数日が過ぎた夜のことだった。


 俺は、ランブルク王国の王宮にいた。


 客人用の部屋は、旅の宿とは比べものにならないほど快適だ。

 ベッドはふっかふかだし、出てくる食事はどれも絶品。

 何より、窓から見える庭園の手入れが完璧すぎて、ちょっとした美術品の展示かと思うほどだった。


……まぁ、くつろぎすぎるのも考えものだが、どうにも動く気になれない。

 というのも、俺がここに招かれるまでには、それなりに“不穏な経緯”があったわけで。



 すべての始まりは――ランブルク王国の北部にある、小さな村を訪れたときだった。


「……レフィガー様でいらっしゃいますね?」

 後ろから声がかかった。

 振り返ると、黒髪の長身の男が一礼する。


 深青しんせいの法衣に漂う魔力の気配、ちょっと真面目すぎる雰囲気――王宮仕づかえの魔導士、それも上級クラスだな。


「俺だけど……急にどうした?」


「王宮魔導士団副士長、ラフィールと申します。陛下の命で、お迎えに上がりました。あなたにしか頼めぬ案件とのことです」


「……俺に?」


 まあ、ランブルク王とは昔から無関係じゃない。

 とはいえ、こんな仰々しい迎えは珍しい。


「詳しいお話は、王宮にて。転移術式は展開済みです。移動、よろしいでしょうか?」


「構わない。王様の直々なら、断る理由もないしな」


 ラフィールは黙ってうなずくと、懐から術式石を取り出し、地面に展開された魔法陣が淡く光を帯びていく。

「転移します。お気をつけて」


――まばゆい光が視界を包み、空気の感触が変わった。



「おお、レフィガーどの! よくぞ来てくれた」

 玉座の奥から現れたのは、この国の王――ランブルク・シルフィーだった。


 威厳の中にも穏やかさを湛えたまなざしは、昔会ったときと変わらない。


「ランブルク様、お久しゅうございます」


「皆の者! この方はわしの大切な客人だ。失礼なきよう、もてなせ!」


「はっ!」

 周囲の兵士や侍女たちが一斉に頭を下げる。ちょっと落ち着かない。


「それで……わざわざ俺を呼ばれた理由とは?」


 促すと、ランブルク王の表情がゆっくりとかげる。

「実はな、近頃――どうにも、妙なことが続いておるのだ」

 その声には、確かな重さがあった。


「精霊術士としての勘だが……ここ最近、風の流れにわずかな乱れを感じる。

 自然の揺らぎとは違う、明らかに異質な気配だ。

 正体はつかめぬ。だがな――これだけは確かだ。……


 “嫌な予感”がするのだ」


 その言葉がやけに重く響いた。



 嫌な予感――



 不穏というには漠然としすぎているのに、なぜか確信に近い。


 この人がここまで強く断言するなら、きっと“それ”は本当に、もうどこかに近づいてきてるんだろう。


「分かりました。俺でよければ、お力になります」

 俺は胸を軽く叩き、そう答えた。



 ……というわけで今、俺は王宮のベッドでふかふかに埋もれているってわけだ。



2-2 それは突然やってきた


 夜も更け、城下が静寂に包まれていたころ。



――それは、突然だった。


ブオオオオオーーーーン!!


 耳に突き刺さるような不快な音が王宮全体に響き渡り、同時に空気が重くよどむ。


 俺はベッドから飛び起きた。

「……何が起こった!? なっ……!!」

 慌てて窓際に駆け寄り、外を覗いた瞬間、息が止まりかけた。



――黒い。


 城を覆い隠すように、禍々まがまがしい漆黒の“幕”が空間を包んでいた。

 下に広がっていたはずの石畳の街並みも、きらめいていた城下町の灯りも、何もかもが黒に塗りつぶされていた。


 空を見上げても、星一つない。ただただ、闇。

 まるで空間そのものが塗りつぶされたような――“世界の外側”に来てしまったかのような錯覚さえ覚える。


 しかも、幕から立ち上る『黒いモヤ』はただの魔力じゃない。

 それは暗黒系の魔術師が扱う術とも違い、明確な“悪意”と“憎悪”を帯びていた。


 気配に圧され、喉が焼けつきそうになる。

 呼吸をするだけで内側から削られていくような、そんな感覚だった。


『うわああああっ!!』『ぎゃあああ!!』『ぐわああああっ!!』

 城下から一斉に叫び声が上がる。


 慌てて視線を下げると、兵士たちが次々と倒れ込んでいくのが見えた。


 泡を吹き、目を見開き、顔は恐怖で引きつっている――

 まるで目に見えない“何か”を見てしまったかのように、みな首元を掴み、もがきながら地面に崩れ落ちていく。


(……これは、いけない)

 俺はただ事ではないと確信した。


「くっ……!」

 迷っている時間はない。


 俺は窓ガラスを蹴破ると、夜の空へと跳び出した。


『風の精霊よ、我が翼となれ――フライ!』

 飛行魔法を展開し、そのまま一直線に“黒い幕”めがけて突進する。


「うおおおおおおおおおおっ!!」

 ソウルドラグナーを構え、勢いのままに漆黒しっこくの壁へと突き立てた――


 瞬間、空間がきしむような悲鳴が走る。

「――おおおおおおおおおっ!!」

 刃が突き刺さった場所から、光が弾けるように拡がる。


 ソウルドラグナーの輝きが、黒を喰らうようにして吸収していく。

 この手の“幕”は、だいたい高位の防御結界だ。


 だが、ソウルドラグナーには“魔力吸収”の能力がある。


 だからこそ、この手の結界には相性が良い。

 幕は刀身を中心にして、みるみる薄れていく。


 そして次の瞬間――



パリンッ!!


 一点が砕けたその刹那、シャボン玉が割れるように――黒い幕は一気に弾け飛んだ。



――静寂が戻る。


 幕の外、城下町はいつものように静まり返っていた。

 まるで最初から何もなかったかのように。灯りも、人の気配も、確かにそこにある。


……だが中だけが、“切り離されていた”。


 何が、起こったんだ?

 俺は、未だ胸の奥にまとわりつく嫌な感覚を拭えず、じっと夜空をにらみ続けていた。


……その声は、頭上から響いてきた。


「――何者だ。我が結界を破ったのは」

 低く、乾いた声。だが確かに、人のものではない。


「城の者どもをゆるやかに呪い殺したのち、状況に気づいた者たちへ絶望を与えながら、恐怖の中でほふる。

 それが、我のかてとなる計画だったというのに……!」


 その言葉だけで、確信した。


――こいつは、“人間を恐怖で喰らう”存在。

 俺は反射的に空をにらみ上げ、視線の先に“それ”を捉えた。


 漆喰しっくいめいた土色つちいろのローブ。背には爬虫類のような翼が広がっている。

 顔つきはトカゲにも似て、毒々しい色合いの肌が剥き出しの腕から覗く。


 とても“人”とは呼べない、異形の存在。


「……貴様、魔族か」

 冷気を帯びたような声が自然に漏れていた。


 魔族は俺を見下ろしながら、ぶつぶつと呪詛じゅそのような言葉をつぶやき始める。


『貴様……許さん……許さんぞ……せっかくの我が計画を……!』



 そして、それは低く不気味な詠唱を始めた。

『يا إله الفوضى والظلام، أنا مختلف. سأنقش مخاوفي هنا.......』



(まずい……!)



 呪文はただの攻撃魔法じゃない。

 その響き、周囲に満ちる力、何より感じる“密度”が違う。


 これは、確実に上位魔族――雑魚とは格が違う。


 下手に動けば、王宮どころか城下町まで巻き添えになる。



(……戦える。だが、それで済むか?)


 敵の魔力キャパシティは、あの幕を張った時点で化け物レベルだ。


 このまま衝突すれば、人間の街がどれだけ持つか分からない。


 俺自身も……勝てる保証はない。



 焦燥しょうそう葛藤かっとうに思考が濁ったそのとき――

『レフィガー! 今すぐ防御魔法を!!』


――女の声が、頭の後ろからせんれつに飛び込んできた。


2-3 助け


『レフィガー! 今すぐ防御魔法を!!』


 女性の声が飛び込んできた瞬間、俺は躊躇ちゅうちょなくソウルドラグナーに魔力を込めた。


 握った剣が淡く輝きはじめる。心臓が一度、大きく脈打った。


『守護の力よ、

  我が身を包め

   ――シールディング!』


 光が炸裂するように広がり、白魔法の結界が瞬く間に張り巡らされる。


 聖魔法剣せいまほうけんソウルドラグナーに蓄積された魔力は、俺ひとりの魔力量を遥かに超えていた。



――展開された防御壁は、俺の立つ空間と足元の地を、柔らかな白い光で包み込んでいく。


 とはいえ、守れているのは王宮の半分と、城下町のほんの一部――

 せいぜい王の私室や術師団の詰所つめしょあたりが範囲内、という程度。



――街全体を覆うには到底足りない。



……その刹那。魔族の詠唱が完了し、空から黒い矢が無数に降り注いできた。



 同時に、別方向――あの声の主から、ふたたび声が響く。


『ホーリー・シールディング!!』


 光の球が飛来した。


――俺の張った結界に触れた瞬間、白がさらに白く輝き始めた。

 ソウルドラグナーが魔力を吸収し、内部からうねるように魔力が膨れ上がっていく。


 共鳴が起きた――。

 白魔法と聖魔法剣せいまほうけんが、まるで互いを媒介にして連鎖反応を起こしたかのように。

 防御壁は一気に範囲を広げ、強く輝きながら王宮の大部分、そして城下町にまで及んでいく。


 降り注ぐ黒い矢は、バシュッ、バシュッ、と空気を裂いて直撃したにもかかわらず、触れた途端に霧散むさんし、ただの影となって消えていった。



――攻撃は、完全に防ぎきった。


 だが、現状が不利であることに変わりはない。

 上位魔族、ソウルドラグナーの力、そして謎の援護者。


 盤面はギリギリのバランスで成り立っている。



……どこまで持つ――?


 再び、あの女性の魔法名が響く。

『メガパワーメロード!!』

 眩い白の球体が、先ほどと同じく――いや、それ以上の速度でくうを裂いて迫ってきた。


『レフィガー! 敵はあなたの真上よ!

 私のメガパワーメロードを吸収して、打ち込んで!!』

その声を聞いた瞬間、俺の体は反射で動いていた。


「うぉりゃあああああああ!!」


 一気に羽ばたき、黒煙の残る夜空を突き抜けるように急上昇。

 目前に迫る光球を剣で捉え――ソウルドラグナーが、それを吸収する。


――たった一拍ののち。


 そのまま、剣は魔族の胸へと突き刺さる。

 そして、それと同時に、俺は叫ぶ。


「開放ッ!!」

 剣が眩く輝き、吸収した白魔法が魔族の胸元で――炸裂する。



ドンッ!!!



 重低音の衝撃と共に、爆発的な光が周囲を包み込む。

 白の奔流ほんりゅうが魔族の身体内部から爆ぜ、まるで闇を中から焼き払うかのように炸裂した。


「ぐがああああああああっ!!」

 断末魔にも似た声を上げながら、魔族は漆黒の煙を引きながら宙を吹き飛ばされた。


 その姿が弧を描いて夜空に浮かぶ。

 胸元には明らかな損傷――大きくえぐられた跡。


 だが、それでもまだ――落ちない。

 空中にとどまり続けているということは、奴は“死んでいない”。


 動きは止まったが、消えたわけじゃない。


 むしろ、ここからが正念場かもしれなかった。


 傷を負った魔族は、忌々いまいましげに空をにらみつけていた。


『き、貴様……何をした!

 我は肉体に損傷を受けようと、このような反応にはならぬはず!

 一体、何をしたというのだ……!?』

 声が怒気どきに震え、喉の奥から濁った唸りが漏れる。


『……一時撤退する。

 人間――覚えていろ。次に会ったとき、貴様は必ず殺す。』


 叫びと同時に、魔族の姿が黒煙とともに消えた。



 ……やはり、仕留めきれなかったか。


「アレでは……やっぱり、死にはしないか」

 空に漂う魔力の残滓ざんしにらみながら、俺は息を整える。


 魔族――しかも、あの魔力量。

 間違いなく“上級”の類だ。あんなのが王城にまで現れた事実だけでも、重大な異変の兆しといえる。


 そして、あの王の“嫌な予感”が的中した。

 偶然とは思えない。これはもう、運命に針を刺されたような気配すらあった。


 そんな思考を巡らせていると、前方からすさまじい速度の魔力が迫る。



「って、うおっ――!?」


ドンッ!!


 まるで弾丸のような勢いで何かが飛び込んできて、俺の身体が一瞬ぐらつく。


 柔らかな感触。華奢きゃしゃな腕に思いきり抱きつかれると、耳元で炸裂音のような元気な声が響いた。


「レフィガーーーっ!! 久しぶりーー!!」


……このテンション。忘れるわけがない。

 俺は、半分呆れたように、けれどどこか安心した気持ちで答える。


「よ……よう。久しぶりだな、エルナー……(汗」

 汗が一筋、こめかみを伝った。

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