誰かがガラス戸を叩くから

1 無題


 サンドイッチと夫を手に抱えて、私は川辺にピクニックに行った。喧騒がすさまじい。ホームレスや学生が、よいしょよいしょと踊っている。泥棒が堂々と盗みをしているし、みんなTikTokを撮っている。

 私はサンドイッチを夫の口に入れながら、そんな光景を驚きを持って見つめていた。

「ねぇ、今日は騒がしいね」

「うん」

──そうした時だった。

 私は空を見ていたら、空が落ちてきている事に気づいた。妙に明るいな、と思っていたら……。

 空は「昼」と「夜」の層が連なっていて、昼の上には夜があった。本来は、地球の大気にゆっくりと溶けていくはずが、ある時から落ち始めたらしい。

 青い空から、黒い液体が漏れ出して、星々が輝きを持って降りていく。

 私は夫とそんな光景を見つめながら、泣きながらサンドイッチを食べていた。


2 誰かがガラス戸を叩くから


 真っ逆さまに落ちる中で

 じっと畳の上に縮こまっていた

 誰かがガラス戸を叩いている

 知らない、赤の他人が、

 紅い光を放ち、叫んでいる


3 無題


 淡い光に包まれて

 溺れながら叫んでいた

 喉に詰まったガラス片が吐き出され

 血反吐とともに内臓が出てくる

 血はゆったりと尾を引いて文字を作る

「Ꮝ」「Q」「時」「△」……「。」


 言葉が記憶を奪っていく

 忘却されられたわたしが

 忘却した言葉を追いかけていく

 紅いアカツの人に奪われた

 水中に浮かんだ

 わたしのことば


 ――助けて。

 の言い方を忘れてしまった

 ――愛して。奪わないで。死なないで。

 言葉は螺旋状に引き出されていく

 血の尾を引いて


 ゆっくりと天国を目指して

 果てしない宇宙に旅に出て

 誰も見ぬ王国を目指して

 それから、ゆっくりと眠るために


 そんなの目指さなくていい……

 ただ、今は優しく、包みこんでほしかった

 でも、そんな言葉も今は失われて

 動けず、酸素と血を失った体は、

 ゆっくりと、朽ちて、痛みだけが、

 私を証明し続けていた。

 わたしは、わたしだけは地獄にいた――


4 無題


 線香の煙が私を目覚めさせる、

 今はただ、黙祷していたいのに――

 真っ暗闇の中、

 星の下で、

 わたしは故人を拝している。

 こんな事になるなんて、

 わたしはただ黙っていたかった。


 こんなにも思っているのに、

 気持ちが伝わらないのはなぜだろう。

 言葉を支配するサトゥルヌの神よ、

 わたしはなぜ、こんなにも、

 責められなければならないのだろうか。

 

 星はこんなにも静かに見守っている。

 地球の自転に惑わされて、

 みんなは狂ってしまった。

 自転にも公転にも、時の流れにも……

 思いだけは実直であるのに、

 なぜ分かってくれないのだろう。


 心は……なぜ死人にしか、

 伝わらないのだろうか。

 線香の煙もいらない。

 弟も親戚もいらない。

 わたしだけが必要だ。

 この真夜中に気持ちを伝えるわたしが。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る