第6話 後宮への道
歩を進めるにつれて、靄が薄れ、鳥の声が風に乗ってきた。
足元には、さっき渡された草履。
あのときにはまだ温もりが残っていたけれど、今はただ、黙って細い山道歩く誌苑の背を追っている。
どこまで行くのだろう。
村にいるときの返答から、この人は中央から来たということはわかっているが、私にあるのは書籍の中で知った地理と情報だけ。実際に村の外に出たことがない私にとってはどの方角に何があるかという程度しかわからない。
彼が進むこの先に、何があるのか私は何も知らない。
「すみません、ところで……」
と、ふと思い出した疑問を口にする。
「これは、どこへ向かっているんですか?」
誌苑の背中がぴたりと止まった。
間があって、彼はこちらを振り返る。
「……え? 今、それを聞くの?」
ゆっくりと、そしてなぜか恐る恐る近づいてきて、目をじっと覗き込んでくる。
「君、知らないでついてきたの……」
「ええ、まぁ……誘われましたし、興味もありましたし」
「言葉巧みに!?本気で?」
「……そこまで強調されると、たしかに、自分の判断を信じられなくなりますね」
誌苑は、軽く額を押さえて天を仰いだ。
そして、なぜかそのまましゃがみこみ、地面に向かって静かに語り出す。
「……知らない人について行ってはいけませんって、教わらなかった……?」
まるで、子供を叱る母親のような口ぶりだな。
怒っているというより、呆れて、心配して、情けなくなっている。そんな声音。
「……すみません。たしかに、あまり考えていませんでした」
「いや、ほんとに……。こんな山の中で、いきなり連れてこられて……。普通はもっと警戒心とか、ね……」
彼は草をむしりながらぶつぶつ言っている。
さて、この間どうしていればいいというのか。
何かで読んだな。人と同じ動きをすればなんとやら、と書いてあった気がする。
私は黙って、彼と同じようにしゃがみ込む。なんとなく、目についた草を一本引き抜いてみた。
やがて、彼がふぅと息をついて立ち上がるのが見えた。
変な奴だなと思いながら一緒に腰を上げる。
「……今さらだけど、言っておきますね。これから行くのは、後宮です」
「……後宮?」
「えー、てっきり君のお父さんから何か聞いてるのかと思ったんだけど」
「いえ、父からは特に……。昔の話をしたがらない人だったので」
なぜそこで父の話が出てくるのか。
これでは、私の父が中央や後宮に関係していると言っているようなものじゃないか。
「そうですか……でも、今さら引き返せませんよ? 後宮って、そう気軽に出入りできる場所じゃないですから」
「大丈夫です。引き返す気は、ありませんから」
私は答える。自分の声が、思っていたよりも静かで、はっきりしていることに気づいた。
「……どうして?」
「なんとなくです。あと――」
ふいに視線をそらして、少し目尻を下げる。
「私、知らないことを知るの、好きなんです。たぶん、それだけです」
いつもそうだった。知らないことを知りたくなる。
怪しい痕跡があれば、無意識のうちにそちらへ足を進めているし、相手の言動に違和感があるといつでも聞いてしまう。
村の者ならだれでも知ってる私の悪い癖。
治そうとしたのだが、どうにもこの癖は抜けないらしい。
「……やっぱり、変わってる」
また静かに歩き出す。
私も後を追うように草履の音を立てて進む。
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