第4話 静かなる決意


 朝霧が、畑の向こうに低く立ちこめている。

 まだ薄暗い寝間の中で、小瓶と小刀を懐に入れ、約束の場所へ歩き出す。

 

 ――本当に大切な物を置いていかなければならない。


 

 あの日、姉が残して行った簪を一度握りしめ、「行ってきます」と、心の中で唱え、放り投げる。



 攫われたふりをするなら、まず“それらしく”見せなければ。

 

 草履を蹴とばしたかのような位置にずらしておく。

 それから、庭の畑を荒らし、そこに大きめの足跡をわざと付けた。

 昨日見た足跡を思い出しながら、深く沈むように。


 この村の人に余所者の犯行にみせるのは簡単だ。皆がそう思うように、整えればいいだけだから。

 


 部屋の戸を壊されたように傾ける。適当な手ぬぐいを一枚持ち去り、犯行に使ったと見せかける。

 見つけた者が何が起きたのかを勝手に想像できるよう、舞台を創るのだ。


 それから書庫に入り、数冊の書をそっと抜き取って外に出る。

 こうすれば、捜査を錯乱できるだろう。

 

 冷えた土と小石が裸足の足裏にじりじりと食い込む

 今は、それさえも気にならない。もう少ししたら草原にたどり着くのだから。

 崖道だって、裸足の方が歩きやすいかもしれないし。


 


 村の外れ。昨日、誌苑と会ったあの場所。

 そこに、彼は草履を持って立っていた。


「……待ってたよ。さぁ、行こうか」

 

 私の足元に、彼がそっと草履を差し出す。

 それは、所々温もりを帯びていた。

 冷たさを感じていた足裏には温かすぎて、戻るなと言われているような気がした。


 

「……はい、誰かが追ってきたらややこしいですし」


 あの村の人たちが私を追って来るなんて、まずあり得ない。

 むしろ、煙たがられる存在だった私を連れていくなんて、この人はどうかしてる。

 

 私が裸足で来ることを想定していたかのような行動に、込み上げてくる何かを押さえながら、相手に悟られないように表情をつくる。



「攫われた体ですから、それなりの仕込みは必要だったんです。……というか、どうして裸足で来ると分かっていたんですか?」


「どうしてだろうね。無駄にならなくてよかった」


 少し楽しげに話す誌苑の声に、返す言葉が自然と冷ややかになる。


「……笑ってる場合じゃないですよ。私にとっては、人生を賭けるくらいの覚悟なんです。もう、戻れる場所がないかもしれないのに」



 胸の奥が、ギリ、と軋むように痛んだ。

 家族を置いていく選択を、簡単に割り切れるほど私は冷たくない。

 

 拗ねた子供のような言い方になってしまった。

 しかし、この人の前では、村での私を保てなくなる……。

 

 

 誌苑が、ほんの一瞬、視線を落とした。

 何かを思い出しているような、そんな間だった。


「……うん。君ならきっと大丈夫だ」

「“中央”って、そんなにひどい場所ですか?」


「いや、面白い人だなと思っただけだよ。ひどいかどうかは、行ってから判断してもらおう」


 

 意地悪だ。

 ここでは答えてくれないのか。

 昨日の私は、どうしてこの人に興味を持って、ついてこうと決めてしまったんだろう。


 

 

 並んで足を進める。

 

 靄は徐々に薄れはじめ、太陽が東の山から顔を覗かせようとしていた。

 世界が少しずつ明るみに出るなか、私はまだ知らぬ場所へ向けて歩き始めた。

 足元に続く道は、あまりに静かで、そして遠かった。


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