勘当手前の悪役令嬢の従魔に転生して~義妹がお好きなようでしたらお好きなように。私は王太子殿下のことなど捨て、悪役令嬢として領民の為に生きますので~
リヒト
第一章 婚約破棄
悪魔
重たく沈む空は、赤錆びた霧に覆われ、太陽も星も存在しない。空気は湿り気を帯び、嗅ぎ慣れぬ鉄と焦げた灰の匂いが鼻を刺す。空間そのものが、微かに呻くような低音を響かせており、静寂さえも生き物のように脈動している。
地面は乾いた土ではなく、ひび割れた石と無数の棘が混ざり合った不規則な地層が広がり、足元を踏みしめるたびに黒く粘つく液体が滲み出る。時折、遠くの地平がゆらめき、熱のような波が視界を歪ませるが、熱源はどこにも見当たらない。
空間の一角には、溶けかけた塔のような影がいくつも連なり、そこから細く、鈍く光る糸のようなものが空へと引かれている。風はないはずなのに、地面の影がゆらりと揺れ、何かが移動しているような錯覚を引き起こす。
どこまでも広がるこの空間に、時間の感覚は存在しない。朝も夜もなく、ただ永遠に続く不気味な赤黒い薄明かりが世界を染めている。音も、光も、温度さえも、現実の法則からは逸脱しており、ここが人の世とは異なる場所であることを肌で悟らせる。
ここは秩序など何もない。
ただ悪魔たちが終わらぬ永遠の戦いを繰り広げている領土。
その無限に広がる領土の一つに極楽があった。
「ふわぁぁぁぁぁ」
灰色の地層の裂け目を越えた先、見渡す限りに広がるのは、柔らかな光に満ちた草原。だがその草は緑ではなく、銀色の糸のようにしなる葉を風もないのにそよがせていた。
空には仄白い光が降り注ぎ、まるでどこか別の次元からこぼれ落ちた昼の残滓のよう。中央には黒曜石のような泉が湛えられ、その水面には訪れる者の姿が映ることはない。静謐で穏やかなその泉の周囲には、音も香りも持たない花々が咲き乱れている。
その極楽の中心には地面から自然にせり上がったような大理石の台座が聳え立っていた。
その表面は白とも灰ともつかぬ曖昧な色をしており、近づくと微細な文様が淡く脈を打つように輝く。それは文字でも絵でもなく、ただ視界の隅で揺らめく“何か”である。
この大理石の台座、そのものが一柱の大悪魔の寝床であった。寝床には枕も布団もない。ただ、無音の霧で編まれたような、淡い光を放つ繭のようなものが横たわっている。触れると体温と同じ温もりを持ち、柔らかいというより“受け入れる”ような感触がある。息をするように、時折ふくらみ、またしぼむ。
「……うぅん」
そんな、大理石の寝床にあは眠気眼を擦る一柱の悪魔が寝っ転がっていた。
肩にまで伸びた長く絹のような黒い髪。血のように赤い瞳に、何も通さないかのような純白の肌。
神が作った。そう思わさせるほどの美貌を持つ男の頭部の上には天使のような、だが、どす黒い色をした輪っかが浮かんでいた。
「……スロース様」
そんな男の名を、彼の前に跪く一体の悪魔が呼ぶ。
雪のように白い髪。白の瞳に白い肌。
彼の名を呼んだ、見ればみるほど白の印象を与えてくる小柄な少年のような悪魔は体を震わせていた。
「例の件。無事に完遂いたしました」
「……ん?あぁ、うん。お疲れ」
声を震わせ、体を震わせながらも絞り出した言葉に対し、スロースと呼ばれた悪魔は軽く流す。
「下がっていいよ。モウ」
「ハッ」
スロースからモウと呼ばれた悪魔は下がっていいという言葉を受け、そそくさと去ろうとする。
だが、ちょうどそのタイミングでスロースの真下で魔法陣が輝き始める。
「……んぁ?」
眩しい魔法陣の光を受け、スロースがゆったりと動き出し、自分に向けられている魔法陣を眺める。
「僕を呼ぶ召喚陣───三千年ぶりか?良いね。せっかくだ。行ってみようか」
その魔法陣が何をしようとしているのか、スロースはそれを一目見ることで看破してみせた。
そして、スロースはその魔法陣に乗っかろうとする。
「なっ!?」
「……何?文句あるの?」
「いえっ、滅相もございません!」
「それじゃあ、行ってくるよ」
薄く、笑みを浮かべてスロースは何時でも破壊出来る魔法陣に揺られ、この悪魔の領土を後とするのだった。
■■■■■
人の世と、悪魔の世は遠く離れている。
だが、人は遠い世界に住まう悪魔の力を欲し、遠い世から悪魔を呼ぶ術を開発した。
禁忌とされ、されど人の世に萬栄する悪魔召喚の儀。
「さぁ!悪魔召喚を初めて頂戴?」
その悪魔召喚の儀を国家行事として建国3000年間繰り返し、悪魔を使役することで国を富ませているアリミア王国では今日もまた、悪魔召喚の儀が行われようとしていた。
「……っごく」
豪華絢爛で、厳かな儀式場の中心に立たされているドレスを身にまとう少女は息を飲みながら、震える手を抑えるようにしながら口を開いて詠唱を開始する。
「我が意に答え、その姿を現せ」
そして、少女はすべての詠唱を話し終え、悪魔召喚の儀を終わりとする。
だが、この場に悪魔が姿を現すことはなかった。
「何よ!お姉さまは、悪魔召喚することさえ出来ないの?本当に、この国の人間なのかしらぁ?」
嘲笑が起き、その中心に立たされている少女は恥辱で震える。
これが一つの現実だった。
少女は悪魔召喚の儀を行えず、周りから嘲笑される。
……。
…………。
しかし、現実は違った。
「(へぇ……彼女が、僕のことを呼んだ術者か)」
悪魔は召喚されていた。
この人の世へと数世紀ぶりに悪魔たちの最頂点。原罪ノ悪魔の一柱が密かに降り立っていた。
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