第13話
振りだしに戻った。
空はよく晴れていた。体の痛みは一瞬で消えたけれど、精神的な重圧がのしかかってくる。
私はぼんやりと遠くにそびえる山を見つめていた。
大学へ行けば、また始まるのだ。また。それを思うと、足が前へ進まない。
頭の中の引き出しをいくら開けても、自分がここへ死ぬために来たことを思い出すことができなかった。
記憶の一部が抜けている感覚もない。思い出す余地すら与えられていないのだと思った。
戊大橋。
名前の意味を考える。答えは簡単だ。
この駅は、橋なのだ。殺し合いの舞台に行くための、橋。決して戻ることができない。
ベンチに腰をかけた。少しくらいなら、ここにいるのも自由だろう。
卵が先か。ニワトリが先か。異論はあっても証明はされた。
信仰が先か。神が先か。答えは出ない。榊原教授が伝えたかったことが今ならわかっる気がする。
スーパーから薫さんが出てきた。
「なんだか元気がないね」
「私たちは、いつまでこの山にいればいいんでしょう」
「その様子だと、この山のことは、大体把握したみたいだね」
薫さんは私の隣に腰をかける。無愛想だけれど、いつになく穏やかな表情をしていた。
「死んだという記憶がありません。でも、ここへ来る前は精神的に苦しい日々を送っていました。死んでもまだ苦しむなんて……」
泣き出したくなる。
「人間であるということは、そんなに苦しいものなのかい」
「一概にそうとは言い切れませんが……」
「食べるかい」
薫さんは、アイスバーを差し出してくれた。私は素直に受け取った。
「これはどこで仕入れたものですか」
薫さんは自分のアイスを口に運んだ。
私もいただく。バニラに似た味だったけれど、苦味があった。
冷たさが喉にすっとと溶けていって、心地よかった。
「市場だよ」
「市場? 近くにあるんですか」
「あるよ。人間には入れない。この輪の対象外にいる連中が、新鮮な食べ物を売りに来るのさ」
「ではこれは、人間が作った食べ物ではないのですね」
「そうだよ。まぁ人間が食べても害はない。我々の間には通貨というものが存在しない。けれど人間が使っている紙幣というのは結構な価値があってね。あれほど精巧に作られた紙もそうそうないのさ。そこに美を求めて欲しがる輩も結構いるから、我々は紙幣を対価に、食べ物を調達しているのさ」
薫さんや白尾さんもまた、私とは別の世界に住む人々だった。
けれど彼女たちも、一度死んでいるはず。こうしてまた人間の姿形をしているということは……。疑問を口にしてみる。
「薫さんや白尾さんも、この輪の中にいるのですか」
「そうだよ。この山にどのような人間が入ってくるか、その監視役を主から仰せつかっている。だから我々も同じように時間の輪の中にいるのさ」
「……苦しくないんですか」
「あんたはやっぱり苦しいんだね」
アイスの欠片が落ち、地面に染みを作る。薫さんは私の背中を慰めるように軽く撫で、続けた。
「我々は人の子より何倍も長い時間を生きる。だからこんなことも人生の一部だと、気楽に構えている部分はあっても苦しくない。苦しみなんて本当はどこにも存在しないんだよ」
「そう言われても苦しいです。ループから抜ける方法はありませんか」
もう何度目だろう。これを訊くのは。
「主には逆らえないよ」
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