第8話

一人で受付へ行った。


寺尾さんはいない。


円状になっている建物内部の、隅から隅まで電話を探す。


一台だけ、古いダイヤル式の電話が置いてある。受話器を取る。


私の携帯と同じく、ウンともスンとも言わない。


ダイヤルしてみるが、全く機能を果たしていない。


駅前のスーパーを思い出した。あそこへ行けば、なんとかなるかもしれない。


タクシーで隣町の病院を探すこともできるかも。


大学を出る。徒歩四十分であることを思い出してぞっとした。


事情を説明する時間、往復する時間を考えると、大庭君の生存は絶望的に思えた。


それでも一縷の望みに賭けて坂道を下る。心臓が破裂しそうなほどのスピードで動いている。


自分の靴音が不気味に響いていた。汗が額から背中から脇から、幾筋も垂れていく。


カーブに差し掛かった時、グレーの車を見かけて足を止めた。


ガードレールがねじ曲がっている。車はフロント部分がぺしゃんこになっており、どう衝撃を受けたのか、外れたパネルが道の真ん中にまで転がり出ていた。


榊原教授の乗っていた車だ。


昨日話をしたことが嘘のようだった。大破した車に近づこうと思ったが、やめた。



榊原教授は亡くなった。優先順位をつけるなら、今は大庭君が先。


私はまた坂道を下った。走り続けて息が苦しい。


人一人通らない道を延々と駆け下りているうちに、この山から逃げ出したい思いに駆られていた。


もうこのまま大学へ戻らずに、帰ってしまおうか。大庭君も助けなんか必要ないと言っていた。


講座の初日に人が二人も死んだ挙句、誰かが刺されるなんてこと、来る前は考えもしなかった。


電車に乗って、今日起きたことはすべて忘れて、このまま都会へ戻ってしまおうか。


頭の中では繰り返しそう考えるのに、気持ちはできないと言っている。


見捨てられない。見捨てて逃げ帰っても、一生後悔する。


これは私の性格。帰ってから何事もなかったように生きていくことなんてできない。


やっぱりきちんと助けを呼ばなければ。


途中、貧血を起こしながらどうにか駅前に辿り着いた。スーパーに駆け込む。


「どうしたんだい」


昨日の女性――薫さんが目に入った。驚いた顔をして休憩所らしいところに入っていく。


しばらくして、コップを手に私の前にやってきた。


「汗だくじゃないか。ほら、水だよ」


半ば奪い取るようにして喉を潤した。生き返る心地だった。


「大学で人が刺されたんです……電話を貸して下さい」


「うちに電話はないよ」


「早く手当てしないと、死んでしまうかもしれないんです」


「そう言われてもねえ。諦めたら。多分もう死んでいるよ」 


薫さんもあまり協力的ではなさそうだ。


ここなら電波は通るだろうか。再び携帯を取り出し、ディスプレイを見て親指が跳ねた。


時間が一時だ。

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