霞の目 ~僕だけが見えなくて、僕だけが見えるもの~
齊藤 車
第1章
第1話 目覚め
何か夢を見ていたような気がする。だけど、よく思い出せない。
目を開けると視界が霞がかかったように白いモヤで埋め尽くされていた。
目をこする。治らない。
もう一度念入りにこすってみる。
何も変わらない。
失明? いや、何も見えないけれど真っ暗なわけではない。目を閉じると暗くなるし、目を開ければ白くなる。
白内障? 詳しい症状はよく知らないけれど、さすがにこんなに視界が真っ白にはならないと思う。
そもそも、ここがどこだか分からない。昨日の記憶もない。おまけに自分の名前も分からない。
冷たい汗が背中を伝う。
助けを呼ぼうと思ったら、助けてくれそうな人どころか誰一人として人物が頭に浮かばなかった。
パニック寸前のところで、扉が開くようなガチャリという音がして寿命が300年くらい縮まった。
「良かった、気が付いたんですね」
女の人の声がした。同年代、と直感的に思ったけれど自分がいくつなのか覚えていない。
「……もしかして、目が見えないんですか?」
目をこすったり焦点が合っていなかったからか、女の人が気付いてくれた。
「そうみたいです……何も見えなくて、白いモヤだけが広がっていて」
声が震え、言葉に詰まる。自分の声のはずなのに初めて聞く声のような気がして気持ちが悪い。
「じっとしててください。ヒールをかけてみます」
ヒール? 回復魔法のこと?
衣擦れの音と床が軋む音がして、女の人が近づいてくる気配がする。
目の近くに手をかざされて、女の人は何やら呪文のようなものを唱え始めた。聞いたことのない国の言葉のようで、何一つ言葉を聞き取ることができなかった。
手からかどうか分からないけど、花のような甘い香りがかすかに届いた。
目を閉じていた方がいいのか、開けていた方がいいのか分からなかったのでとりあえず閉じておく。
まぶたの裏側にふわりと温かい光が差し込んだような感覚があった。
「……どう、ですか?」
目を開けると、モヤが不思議な形に渦を巻いて、隙間から女の人の顔がぼんやりと見えるようになっていた。
整ったかわいらしい顔だ。そして耳がとがっている。エルフ?
「……少しだけ、見えます。モヤが少しだけ薄くなりました」
もしかして、と思って自分の耳を確かめてみた。僕の耳は普通の耳のようだ。
「耳がどうかしましたか?」
問いかけに僕は一瞬迷ったあと、思い切って聞いてみた。
「エルフ、なんでしょうか?」
「そうですけど……」
それが何か? というような反応だ。
ヒールをかけ終わったのか、女の人が腕を下ろすとモヤがたちまち視界を埋め尽くした。
「あっ、また何も見えなくなっちゃいました……」
絶望的な状態なのは変わらないけど、完全に失明したわけではなさそうなので、少しだけ気持ちが楽になった。
「ごめんなさい、私の魔力が弱いからかもしれません……」
「あ、いえ、そんなことは……」
あまりにも申し訳なさそうに言うからフォローしようとしたけど、『ヒール』の予備知識がないから何も言えなかった。
「あとで他の方にも試してもらいますね」
そういえば、今日は何月何日で何時なんだろう。『ここはどこ? 私は誰?』そんなフレーズが頭に浮かんだ。
「まだ、名乗っていなかったですね。私はナリア・エルセア。ナリアとお呼びください」
「僕は……その、えっと……」
ポロっと自分の名前くらい出てきてくれればいいものの、何も出てこない。人名もナリア・エルセア以外ひとつも出ない。
「ナリアさん、どうやら僕、記憶喪失ってやつみたいです。何も覚えてないんです……」
ナリアさんが息を飲むのが分かった。
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