Section_1_3a「二人一組になって作業してください。古い本の状態をチェックして、リストと照合してもらいます」
## 1
次の図書委員会は、一週間後だった。
その一週間が、妙に長く感じられた。普段なら特に意識しない時間の流れが、今回はやけにゆっくりに思える。授業中も、ふと航の横顔を見てしまったり、廊下で彼とすれ違うときにドキドキしたりする自分がいた。
そして、ついにその日がやってきた。
「今日は蔵書点検の準備をお願いします」
田村先生が資料を配りながら説明する。
「年に一度の蔵書点検まで、あと一か月。今日は事前準備として、書庫の整理をしてもらいます」
書庫。
図書室の奥にある、普段は関係者しか入れない部屋だ。古い本や使用頻度の低い資料が保管されている。
「二人一組になって作業してください。古い本の状態をチェックして、リストと照合してもらいます」
田村先生が委員たちを見回す。
「えーっと、綾瀬さんと中村くん。それから木下くんと佐藤さん……」
私と航が、同じペアになった。
偶然? それとも先生の配慮?
どちらにしても、心臓がドキドキし始める。
「よろしくお願いします」
航が私に向かって軽く頭を下げる。いつもの無表情だけれど、なんとなく今日は少し柔らかい雰囲気がするような気がした。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
私も慌てて頭を下げ返す。
書庫での作業。二人きり。
考えただけで緊張してしまう。
## 2
書庫は思っていたより薄暗かった。
天井の蛍光灯はついているものの、窓がないので外の光が入らない。古い本特有の、少し湿った匂いが鼻をくすぐる。
「けっこう古い本がありますね」
航が書架を見上げながら言う。確かに、背表紙を見ると昭和の年号が並んでいる。
「この学校、創立が古いから」
「そうなんですか」
「明治時代からあるらしいです。だから蔵書もかなり歴史があって……」
説明しながら、リストを確認する。今日チェックする本は主に文学関係。小説から詩集、古典まで幅広い。
「分担しましょうか。私が小説を、航くんが詩集を担当するとか」
「それでお願いします」
航が快く引き受けてくれる。彼に詩集を任せるのは、なんとなく合っている気がした。
作業を始めて十分ほど経った頃、思わぬ発見があった。
「わあ、これ……」
私が手に取ったのは、かなり古い詩集だった。表紙は少し傷んでいるけれど、装丁が美しい。
「中原中也の初版本ですね」
いつの間にか航が隣に来ていた。私の手元を覗き込んでいる。
「初版本って、貴重なんですか?」
「はい。この版は昭和九年発行だから……もう九十年近く前のものです」
九十年前。私たちが生まれるずっと前から、この本はここにあったということだ。
「すごいですね。きっと、たくさんの人がこの本を読んだんでしょうね」
「そうですね」
航が本を受け取って、丁寧にページをめくる。その手つきが、とても慎重で優しい。
「昔の人も、今の僕たちと同じように、詩を読んでときめいたり悩んだりしてたんでしょうね」
「ときめいたり、悩んだり」
私がその言葉を繰り返すと、航がちょっと照れたような顔をした。
「あ、えーっと……詩を読むと、色々な感情が湧いてくるので」
「わかります。私も小説を読んでいると、登場人物の気持ちが自分のことみたいに感じることがあります」
「本当ですか?」
「はい。特に恋愛小説とか……」
そこまで言って、慌てて口をつぐんだ。恋愛の話なんて、なんで出してしまったんだろう。
「僕も読みますよ」
え?
航が恋愛小説を?
「意外です。航くんが恋愛小説を読むなんて」
「意外、ですか?」
「だって、いつも詩集ばかり借りてるから……」
「詩も恋愛も、根っこは同じだと思うんです」
根っこは同じ。
「どういう意味ですか?」
「言葉で気持ちを表現するという点で」
航が中原中也の詩集をそっと閉じる。
「詩人も小説家も、自分の心の中にある感情を、言葉にして人に伝えようとしている。恋愛小説も同じですよね」
「確かに……」
言われてみれば、その通りかもしれない。
「航くんは、恋愛小説を読んでどう思いました?」
「どう、というと?」
「例えば、『君の膵臓をたべたい』の主人公の気持ちとか」
航が少し考え込む。そして、ゆっくりと口を開いた。
「羨ましいと思いました」
「羨ましい?」
「はい。あんなふうに、素直に気持ちを伝えられたらいいなって」
素直に気持ちを伝える。
その言葉に、なぜか胸がきゅっとした。
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