図書委員さまのヒミツの初恋

りねん翠

【距離の章】

<Chapter 1:静寂>

Section_1_1a「はい、返却は三冊でお間違いないですか?」

## 1


五月の陽ざしが旧館図書室の窓辺に踊っている。


「はい、返却は三冊でお間違いないですか?」


私、綾瀬奏は図書委員長として、昼休みのカウンター当番をこなしていた。貸し出しカードをピッと機械に通して、本の背表紙のバーコードをスキャンする。この作業、なんだか好きだった。規則正しいビープ音が、静寂な図書室の空気に小さなリズムを刻んでくれる。


「ありがとうございました」


二年生の女子が軽やかな足取りで去っていく。彼女が借りていたのは恋愛小説ばかり。なんというか、まっすぐで眩しい。


私だって十七歳の女子高生だから、そういう本に興味がないわけじゃない。ただ、借りるとなると話は別だ。図書委員がそんな分かりやすい本ばかり借りてたら、なんだか恥ずかしい。


だから私の読書傾向は、もう少しひねくれている。


「——奏ちゃん、お疲れさま」


振り返ると、親友の花村彩乃が軽音部のTシャツ姿でカウンターに肘をついていた。栗色のショートボブが、いつものように元気よく跳ねている。


「お疲れさま。部活は?」


「ちょっと休憩。のど飴買いにコンビニ行こうと思ったんだけど、奏の顔見たくなって」


そう言って、彩乃は人懐っこい笑顔を向けてくる。この子はいつもそうだ。思ったことを素直に口にして、周りの人をほっこりさせる天才。私とは正反対のタイプだった。


「顔見るだけ? 何か企んでない?」


「ひどいなー。純粋に奏ちゃんに会いたかっただけだよ」


彩乃はそう言いながら、視線をちらちらと館内に泳がせている。なんだか落ち着かない。


「……で、本当は何?」


「えー、バレた?」


案の定。


「奏ちゃんって、観察力鋭いよね。さすが図書委員長」


「それ、褒めてる?」


「褒めてる褒めてる。あのね——」


彩乃が身を乗り出してきたとき、カウンターの向こうから声がした。


「あの、すみません」


二人して振り返る。


立っていたのは、中村航だった。


## 2


時が止まった。


正確には、私の時が止まった。世界は何事もなく回り続けているのに、私だけが一瞬、呼吸を忘れた。


中村航。同じクラスの図書委員。無口で、いつも本を読んでいて、話しかけづらい雰囲気を纏っている男子。そして——顔が、超、好み。


「返却をお願いします」


航は相変わらず表情を変えず、淡々と本を差し出してくる。三冊の文庫本。背表紙を見ると、どれも詩集だった。谷川俊太郎に萩原朔太郎、それから中原中也。


渋い。というか、高校生でこんなの読むんだ。


「は、はい。返却ですね」


我ながら、声が上ずっている。やばい。カウンター当番なんて何度もやってるのに、なんでこんなに緊張するんだろう。


手が震えそうになるのを必死に押さえて、本のバーコードをスキャンする。ピッ、ピッ、ピッ。いつものリズムなのに、なぜか心臓の音の方が大きく聞こえる。


「返却手続き、完了です」


「ありがとうございます」


航は小さく頭を下げて、そのまま立ち去ろうとする。


その時だった。


「あー、そういうことね」


隣で彩乃が、やけに納得したような声を出した。


「え?」


私が振り返ると、彩乃は「やっぱり」とでも言いたげな顔で私を見ていた。その視線の意味がわからず、きょとんとしていると——


「奏ちゃん、顔に出てるよ?」


「顔って、何が?」


「『あー、今日も素敵だなあ、中村くん』って」


「え?」


私の声が裏返った。同時に、頬に熱が集まってくる。


「そ、そんなこと思ってないよ!」


「本当に? じゃあなんで真っ赤になってるの?」


「暑いからだよ! 五月だし!」


必死に弁明する私を見て、彩乃はくすくす笑い始めた。その笑い声が妙に大きく感じられて、思わず周りを見回す。


そして、固まった。


航が、振り返っていた。


私たちから数メートル離れた書架の前で、手に持った本を見つめるような素振りをしながら、確実にこちらを見ている。


聞こえた?


まさか、今の会話が?


私の脳内でアラームが鳴り響く。図書室は静かな場所だ。普通の声で話していても、思っているより遠くまで聞こえてしまう。特に彩乃は軽音部だけあって、声がよく通る。


航の表情は相変わらず読めない。でも、確実に私たちの方を見ていた。いや、私の方を見ていた。


気まずい。


すごく、気まずい。


「あー……」


私は思わず、机に突っ伏した。

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