第2話
「月姫子、感謝しなさい。うちに縁談話がきているわよ。お相手の方は我が家より格式の高い家柄だから、くれぐれも粗相のないように。本来なら、お前にではなく
「あら、お母様ったら、言ったはずよ。私に結婚は早いわ。まだまだ遊び足りないもの」
「困った子ねぇ。まあ、美しい貴女なら、この先、見合い相手には困らないでしょうし」
「そう。だから可哀想なお姉様に譲ってあげるの。優しい妹に感謝してよね」
無邪気な顔でそう告げる血のつながりのない妹を、これまで何度、羨ましいと思ったことだろう。好きなだけ勉強ができて、いつも美しい格好をしていて、友人たちに囲まれて楽しそうで、それでいて自信に満ち溢れている――あげるとキリがない。
――だめよ、月姫子。そんなことを考えては……。
少女神の美しさに嫉妬した母の顔を思い出して、月姫子は唇を噛みしめる。
外見は醜くとも、せめて心だけは美しく健やかでいなければ……。
「月姫子、璃々にお礼を言いなさい」
「ありがとうございます、璃々お嬢様」
畳に手を付いて、深く頭を下げる。
ともあれ、期待はできない。
のこのこ嫁いでいったところで、どうせ追い返されるに決まっていると、月姫子は悲観的だった。
「あ、そうそう。お相手の方は戦時中に視力を失っておいでだから、外見で追い返されることはまずないわ。ただし、大変なわがままでご気性の荒い方だそうよ。気に入らないことがあれば女子どもにも容赦なく手をあげるとか。その点、お前は慣れているから平気ねぇ」
相手が元軍人だと知って内心怖気づいていたものの、今の月姫子には頷くことしかできない。ようやくこの家から離れられるというのに、また暴力を振るわれるのだろうか。これ以上の地獄はないと信じたかったが、現時点では希望を抱くことすら難しい。
「私の分まで幸せになってね、お姉様」
優しい声で残酷なことを言う妹が悪魔に思えた。
***
その後、あれよあれよという間に縁談はまとまり、結婚式当日を迎えた。
結婚が決まったと知らされてからは、継母に折檻されることなく、月姫子は穏やかな時を過ごしていた。これまで一日二食だった食事が三食になり、食後にお茶菓子まで用意されるようになった。また、朝早く起きて使用人のように働かされることもなく、ガリガリだった身体には多少なりとも肉もついてきた。
しかしそれも今日で終わりだと、白無垢姿の月姫子はぼんやりと考えていた。
白い布地がいっそう黒い痣を濃くしているようで、鏡を見る気にもなれない。
「でも大丈夫、私には
家では誰にも相手をされず、独りぼっちの月姫子は寂しさのあまり、神の像に志笑と名付けて、話しかけるようになっていた。夕飯に好きなおかずが出てきて嬉しかったことや、久しぶりに顔を合わせた父が赤の他人を見るような――まるでお化けでも見たような顔をしていたこと、空を自由に飛び回る鳥を眺めて羨ましいと思ったことなど。
――なんでも話せるお友達がいるっていうのは、いいものね。
はたから見れば気味悪がられる光景かもしれないが、月姫子は開き直っていた。
――この先、どうなるかは分からないけれど、家を出られただけでも感謝しなくちゃ。
ふいに馬車が停まり、大きな屋敷の前で下ろされる。使用人たちに手を引かれ、月姫子はしずしずと門をくぐった。継母と妹は先に来ていて、その敷地の広さ、手入れの行き届いたお庭や近代的な建物に圧倒されているようだった。
「さすがは伯爵家のお宅ねぇ」
「見て、お母様、自動車まであるわ。最新型よ」
「触れてはダメよ、璃々。お父様の収入では、とても弁償できませんからね」
屋敷の中へ入ると、親戚一同が集まるだだっ広い部屋に案内され、そこで花婿となる男性が待っていた。その日初めて、月姫子は自分の夫となる男性を目にしたのだが、
――意外と若い?
歳は三十過ぎと聞いていたが、見た目は二十代でも通用しそうだ。長身でありながら姿勢も良く、顔立ちも驚くほど整っている。ただし盲目なのは事実らしく、焦点の定まらない目が、ガラス玉のように透き通って見えた。
「月姫子さん、ですね」
柔らかな口調で訊ねられて、月姫子は慌ててうなずいた。
けれど相手が盲目であることを思い出し、「……はい」と小声で返事する。
「初めまして、
それほど大きな声を出していないのに、彼の声がはっきりと耳に届く。
礼儀正しく挨拶されてて、月姫子は思わず面食らってしまった。
継母から聞いていた話とだいぶ印象が違うような……。
実際、そう感じたのは月姫子だけではなく、後ろで「嘘でしょ」と璃々の愕然とした声も聞こえてきた。
続いて言い争う声も。
「お母様、どういうこと。あんなに素敵な方だったなんて、私聞いてないっ」
「おだまりなさい、璃々。あたしだって詳しくは知らされていなかったのよ。一体どういう……」
そんな二人の声を綺麗に無視して、煌雅は微笑む。
「今日から俺が、貴女の夫になる男です」
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