ばら屋敷の怪事件

s-jhon

1.

 たった今すれ違ったばかりの工事車両が燃え盛る残骸となって、広くもない住宅街の道をふさいだ時に僕の日常は終わりを告げた。

「王ノ封印ヲ解クノダ……。邪魔ヲ……スルデナイ……」

 道幅いっぱいに広がった、黒いナメクジを思わせる何かが、自動車だったものを押しつぶすように乗り越えてくる。右手は入山さんの神社の敷地を囲むブロック塀、左手は隙間なく建てられた古い空き家。道の先にも逃げ込めるような脇道はない。

「王ノ……封印ヲ……我ラ……ぼっかいノ世ヲ造ルタメニ……」

 足が立ちすくんだ僕の上に、ナメクジの化け物が津波のように覆いかぶさる――その寸前、炎をまとった日本刀が怪物を切り裂いた。

「ダメじゃないか、タイミングを合わせて挟み撃ちにするって言ったのはキミだろ。先走って……」

 そういいながら、一人の青年が空き家の壁をすり抜けて現れる。

「……とは言え、おかげでこの少年が死なずに済んだのも事実か。大丈夫かい?」

 だけど、僕の目は、引き裂かれて怒りの声を上げる怪物に馬乗りになった、燃える刀を持った少女に釘付けになっていた。

「姫依……さん……?」


 話は逢魔ヶ時の小道から、朝の教室にまでさかのぼる。

「えー、入山は体調不良で休むそうだ」

 担任の先生がそう告げたとき、僕――鈴木祐一は昨日の放課後、入山綾乃さんに言われたことを思い出した。「明日(つまり、今日ということだ)の放課後、家に来てほしい」。

 僕と入山さんは、いわゆるそういう関係ではない。中学からの同級生で、高校でもクラスメイトというだけの関係だ。特に親しいわけでもない。

 入山さんの家は古くから続く神社で、お父さんの惣佐由さんはその何代目かの由緒正しい神主だ。神社自体は特にお祭りなんかもしない、名前さえ定かでないような小さなものだが、惣佐由さんは地元の行事には必ず顔を出す名士だったので、あの人の上品な白ひげを生やした顔立ちは町の人なら誰でも知っていた。

 惣佐由さんが資産家だというのも町の噂に上っていた。神社に隣接する土地を買って現代的な二階建ての家を建てたのだ。入山さんによれば、惣佐由さんはその家を「ばら屋敷」と呼んでいるらしい。――そして、その資産で、十歳以上年下の入山さんのお母さんと結婚したのだとも。惣佐由さんは落ち着いた品のある人物だったが、たびたび金に飽かせて行動することがあるというのは両親から聞いていた。いったいどこからその稼ぎを得ているのかわからない、とも。

 そんなことを思ったのは、家に来てくれと言った入山さんがいかにも深刻そうだったからだ。それでそんな変な噂のことを思い出してしまった。

「すみません、先生。体調が悪いので早退します」

 そう言って姫依さんが帰ってしまったのが四限のことだった。歴史の先生は「またか」と呟いて見送った。

 姫依比奈さんはあまりなじみのないクラスメイトの一人だ。体が弱いらしく、しょっちゅう早退する。ただ、その割に運動神経はよくて身体能力も高い。意志も強そうで、クラスのほとんどが姫依さんが虚弱だというのは噓だと思っている。早退する前に携帯電話で真剣な顔をして通話している姿が目撃されていて、なにか怪しいアルバイトに励んでいるのではないかという良くない噂もあった。

 そんなこんなで放課後になり、僕は入山さんの家に向かった。

 入山さんの家・「ばら屋敷」は緩やかな丘の上、神社の隣に立っている。そこに通じる道は「ばら屋敷」の辺りで途切れる行き止まりの道だ。右手は神社の裏手の林を取り囲む背の高いブロック塀で囲われていて、左手はいくつか家が建っているがどれもこれも空き家になって長いように見える。

 「ばら屋敷」へ続く分岐のところで箒を持ったお婆さんと出会った。

「そっちに行くんじゃないよ、お若いの。住んでたやつらは皆、いなくなったよ。あの忌まわしい神社と入山だけを残してね。あの神社は忌まわしいものを祭っている。関わったらいけないよ、ここに住んでいた連中は……」

 お婆さんはそこまで行ったところで後ろにある家に入ってしまったので、最後は聞き取れなかった。

 この不吉な予言はほんの数分後にナメクジの化け物に襲われるという形で当たったかに見えた。けれど、その怪物との遭遇は姫依さんたちのおかげで乗り切れた。

 本当に恐ろしい目に会うのはこの後、「忌まわしい神社」の隣に建つ「ばら屋敷」に着いた後のことだった。


 壁抜けの青年――長壁紡さんという名前だそうだ――は僕ごとブロック塀を透過して、僕を神社の林の中に匿ってくれた。そのあと、自分も姫依さんに加勢するために再びブロック塀を抜けて出て行った。

 神社の林はあのお婆さんの予言のためか、おぞましいものに思えた。どの木も細く、発育不良に見える。

 しばらくして怪物の断末魔が響いた。

 長壁さんが迎えに来てくれて、ブスッとしている姫依さんと一緒に事情を説明してくれた(主に長壁さんが)。

 あのナメクジの化け物はボッカイというらしい。人間を無差別に襲うんだとか。姫依さんと長壁さんはボッカイと戦う能力者の秘密組織・スメラギ衆に属しているのだという。

 そんなこんなの間にスメラギ衆のバックアップ要員だという清掃班がクリーニング店のバンに乗ってやってきて、ボッカイとの戦いの痕跡を隠蔽し始めた。これも能力によるもののようで、焼け焦げひび割れた道路が経年劣化で傷んだくらいに見えるようになっていた。瓦礫はブラックホールのようなもので圧縮して消し去る。

「ねぇ、こいつも消すべきじゃない?」

姫依さんが恐ろしいことを言った。

「記憶をね、消す方法があるんだよ。ボッカイのことが知れたらパニックになるからね。

でも、キミの記憶を消すつもりはないよ。こんなことをむやみにしゃべったりするような人には思えないし、聞きたいこともあるからね」

 長壁さんがとりなすように言った。

「あの、聞きたいことってなんでしょうか」

「いえね、この道の先、宮司の入山さんしか住んでないんだけど、ひょっとして彼にご用事?」

「いえ、惣佐由さんじゃなくてクラスメイトの綾乃さんに呼ばれたんです。昨日に」

 そう言うと長壁さんも姫依さんも怪訝な顔をした。

「あ、あの、なにか……?」

「いや、俺たちは惣佐由さんの方と会う約束があって、向かってる途中にあのボッカイを見つけてね。

 ただ、惣佐由さんは奥さんと娘さん――つまり綾乃さんは留守にさせておくって言ってたんだよ。もちろん、キミと約束した時点では綾乃さんがその話をしらなかった可能性はある、けどね」


 そのあと、なんにせよ「ばら屋敷」へは一緒に行こうという話になって僕は姫依さん長壁さんとともに丘の上に向かった。

 「ばら屋敷」は上からみたら正方形に見える現代的な二階建ての家だ。隣に建つ木造の小さくてボロっちい神社の本殿(というより祠といった代物)と比べるとはるかに立派だ。

 インターホンに反応はなく、玄関の鍵は開いていた。

 玄関に入ると左手に水回りをまとめた部屋があって、正面には階段室が、右手には曇りガラスが嵌ったドアがあった。

 左手にある風呂場とトイレ、洗面所には人の気配はなかった。

 右手にあるドアは開かない。鍵穴はないので中から掛け金がかかっているのだろうと後回しにした。階段室から左にリビングダイニングがあり、そこから裏に回り込めば右手の部屋(凝った扉と玄関わきにある配置から、応接室じゃないかと思う)に通じるもう一つの扉があるんじゃないか、とは長壁さんの弁だった。(「壁抜けで掛け金を外せば良いじゃない」という姫依さんに対し、緊急事態でもないのにそういうことをするのは避けたいというのが長壁さんの考えだった。)

 急な金属階段が部屋の真ん中にあるだけの薄暗い階段室を抜け、西日が差し込むリビングダイニングの右奥にあるドアを抜けると台所があった。リビングダイニングと同じくらい広いが、窓が東にある勝手口ドアのすりガラスとその横の小さな採光窓くらいしかないため、とても暗い。ひょっとしたら北向きの窓があるのかもしれないが、あったとしても天井まである巨大な食器棚でおおわれていた。

 勝手口の横に応接室のもう一つのドア(おそらくお茶なんかをふるまうために便利がいいのだろう)があったがこちらも内側から掛け金がかかっていた。

「やっぱり、誰か中にいるんじゃない?」

「なら、ノックに返事くらいあるはずだぜ?」

 姫依さんにそう返事をしながら長壁さんがドアを叩いた。

「……ねぇ、中から何か音しない?」

 そう言ったのは姫依さんだった。たしかになにかガタガタ音がしている。

 長壁さんがドアを抜けて顔を突っ込んで中を見た。

 そして、飛びのくように顔を引き抜いた。

「中で女の人が殺されてる」

 僕の頭の中にあったのは綾乃さんのことだった。勝手口の内鍵を開けて応接間の窓に向かう。

 応接室の窓辺にアンティークの長持が置かれていた。そしてその上で、頭から血を流した中年の女性が死んでいた。死体の下敷きになった長持の中から、ドンドンドンと箱を叩く音がした。

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