46怖目 『にっき』
おかあさんは、おばあちゃんにいじめられています。
おばあちゃんは、おかあさんの おかあさん ではなくて、おとうさんの おかあさんです。
おばあちゃんは、うちにすんでいる、おかあさんのことがきらいみたいです。
でも、ぼくには、とてもやさしくて、おかしや おもちゃを、たくさん、かってくれます。
だけど、おばあちゃんは、ぼくに なにか かうたびに、「おまえは、ははらしい ことが 一つも できない」、といって、おかあさんを おこります。
ある日、おばあちゃんが たおれました。
あたまの びょうきが みつかった みたいです。
はやく びょういんに いったので、たすかりました。
でも、おばあちゃんの足がわるくなってしまいました。
ほとんど ふとんの 上に います。
そして、おばあちゃんは、もっと おかあさんを いじめるように なりました。
おかあさんが ごはんを もっていくと、「まずい、こんなのたべない」といって、おちゃわんを なげます。
おちゃを もっていくと、「あつい、のめない」といって、こっぷを なげます。
まえの、おかあさんなら、ごめんなさいと あたまをさげて、なにも いわずに かたづけます。
でも、さいきんの、おかあさんはちがいます。
ねたままの おばあちゃんの 口に、むりやり、ごはんをつめこんだり、みそしるや、おちゃを、かおに かけたり します。
おばあちゃんの口には、入らず、かおは、ベトベトです。
おばあちゃんは、一人で おふろに 入れません。
おかあさんが、からだをふきますが、きれいになっていないみたいで、おばあちゃんは、だんだん、くさくなっていきました。
まえは、まい日、きれいなふくを、きていたのに、いまは、まい日、おばあちゃんは、ボロボロです。
おとうさんに、はなそうとおもったけど、おとうさんは、まい日しごとで、なかなか、いえに、かえってきません。
おばあちゃんが しにました。
おとうさんは、
わんわん ないていました。ぼくは、
おかあさんのことを、いおうと おもったけど、こわくて、いえませんでした。
おかあさんは、なみだを、ぜんぜん、みせませんでした。
みんなに、「かいごが、たいへんだったね」
といわれていました。
でも、ぼくは、しっています。おかあさんが、だれもいないところで、にこにこしていたこと。
くちを、おおきくあけて、くすくす、わらったこと。
おばあちゃんは、もう、いないのに。
いとう ゆうだい
――――――
押し入れの奥、古い布団の下に押し潰されるようにして、小さな自由帳が眠っていた。
表紙は色褪せ、角はちぎれ、めくるたびに紙がふるりと震える。
『いとう ゆうだい』というのは、私の父の名前だ。
日記に登場する『おばあちゃん』とは、父の母ではなく、さらにその上の代。
私が生まれるより前に亡くなった曽祖母――写真の中の、会ったことのない女性。
仏壇に飾られているものの、遺影は埃をかぶったまま、供え物さえほとんど置かれていない。
必要最低限の位牌と、りんだけが、寂しくそこにある。
私のお婆ちゃん――父の母が、仏壇に手を合わせている姿を、一度として見たことがなかった。
そして今、私のお婆ちゃんは、母に虐められている。
お婆ちゃんは、一人息子の父を、母に取られたのが気に食わなかったのだろう。
お婆ちゃんから、母に向けられた言葉は、棘と毒ばかりだった。
母がどれほど気をつけても、埃一つ見つければ怒鳴り散らす。母が作った料理は、一口も口を付けずに味を酷評する。
外に出れば「仕事もできない」「家事もできない」と、嘲笑するように周囲や親戚に、吹聴して歩いた。
だがある日、階段から落ち、寝たきりになってからはすべてが逆転した。
父は出張続きで家にいないことをいいことに、母は――静かに復讐を始めた。
食事は、拒む口をこじあけ、むりやり流し込む。
熱いお茶を顔へ、ときには皮膚が赤くなるほどこぼす。
トイレにも行けない身体なのに、オムツを替えず放置する。
私は、代わりに世話をしようとした。
しかし、お婆ちゃんはいつも顔をそむけ、かすれた声で言う。
「……ほっといてくれ」
孫に介護されるのが屈辱的なのか、それとも自暴自棄になっているのか。
お婆ちゃんは何もできない。
この日記に書いてある、曽祖母と同じように。
日記を閉じて、私は息を呑んだ。
そこに記されていたのは、今まさに私の目の前でくり返されている現実だったから。
お婆ちゃんにしたことが、曽祖母に返ってきた。
母にしたことが、お婆ちゃんに返ってきた。
――巡り巡って、同じ苦しみが繰り返される。
私は思った。
次は、私の番なのだろうか、と。
けれど、私は女だ。
いつかここを出て、別の家の人間になるはずだ。
この家に縛られたまま、一生を過ごすことはない……はずだ。
だったら、誰が残る?
ふと、弟の顔が浮かんだ。
無邪気に友達とゲームをする弟。
今はまだ子どもで、何も知らない。
でも、やがて中学生になり、高校生になり、大人になり、結婚して――。
その頃には、お婆ちゃんはもういないだろう。
そのとき、母がこの家を仕切っていたら?
もし、母が曽祖母やお婆ちゃんと同じようになってしまったら?
弟を奪われたと思った母が、弟の妻を追い詰めてしまったら?
そしてその嫁が、やがて……。
いや、弟だけではない。
私だって、どこか別の家で、嫁として、姑と暮らす未来があるのかもしれない。
もし私が、その姑を――。
……考えすぎだ。
こんな日記を読んだから、変に連鎖を想像してしまうだけ。
まだ、どうなるのかもわからない、未来に怯えて、どうしようというのか。
「ただいまー」
何も知らない弟の足音が、廊下に響いた。
私は、父の自由帳を、元あった場所よりもさらに奥へ押し込み、ゆっくりと押し入れの戸を閉める。
その奥から、今日も、母に責められるお婆ちゃんの声が、くぐもって聞こえてきた。
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