第28話 家出娘の帰還

 馬車は夕方になると宿場町に泊まり、そこで一番高級な宿を当たり前のようにとった。

 貴族の力はすごいものだ――とこれから公爵令嬢に戻るリュシアは他人事のように思った。


 さらに凄いことに、辻馬車を乗り継いで15日かかるところを、ロッシュ家の黒塗りの馬車は10日で走破した。やはり専用の馬車は速い。

 しかも乗り心地が抜群に良くて酔うこともないのだから、これも、さすがロッシュ家である。


 そんなこんなで王都セレフィアにたどり着いたのだが、リュシアは久しぶりの王都の風景を見ながら、胸が重くなっていた。


 家族にどんな顔をして会えばいいか、分からないのだ。

 リュシアは家出をした身なわけだし、きっとたいそう怒られるに違いない。とくに父などは心配性だから、死ぬほどリュシアを心配していただろうし、反動で叱ってくるだろう。


 だが、そんな心配はすぐに吹き飛んだ。

 馬車があっという間に王都の大通りを抜けて、ウォルレイン家の前に到着して――黒い鉄格子の大きな門を通り抜けて、芝生が植えられた前庭を両脇にして中央に噴水をそなえた花壇を避けて進み、邸の前に来ると。


 父と母と姉が、今か今かと首を長くして待ち構えていたのだった。


 そして馬車の扉が開かれるやいなや、リュシアは母に抱きしめられた。


「リュシア! よく帰ってきたわね!」


 涙声の母が、抱きしめながら背中をさすってくれた。


 父はすぐ側まで駆け寄ってきたが娘に抱きつこうとはせず、真顔のまま突っ立って真っ赤になって滂沱の涙を流している。


 派手なドレスを着た姉は、一歩離れたところでしきりにうんうんと頷きながら、なんどもなんどもハンカチで目元をぬぐっていた。


(ぜったい、叱られるとと思ってたのに。なのにこんな歓迎されるだなんて……)


 リュシアは胸にせり上がってくる感情に、目を細めた。視界が滲む。


「あの、私……」


 なんとか絞り出した言葉だったが、続かない。

 冒険者として生活しているときは、こんなこと考えもしなかった。自分は窮屈な家を飛び出してきたのだ、だから自由なんだ、と、そればかりを考えていた。……残された家族の気持ちなんか想像もしなかった。


 で、いざこうして家族の心配そうな顔を見ると、この人たちをこれだけ悲しませていたという事実に、リュシアの胸は、初めて締め付けられた。


 ぽろりと、涙ぐんだ瞳から涙が勝手に零れ落ちた。


 自分勝手に家出した自分に泣く資格なんてないかもしれないけど。それでも、言わなきゃ、と震える喉で息を吸う。


「ただいま」


 小さな声で呟くと、リュシアは更にぎゅっと母に力強く抱きしめられた。


「ルネさん、ありがとうございます」


 父が、あとから続いて馬車を降りた男二人に向かって頭を下げている。


「おかげで娘は帰ってきました。お約束通り、娘の婚約者はあなたに――」


「そっ、それは話が別よ!」


 母に抱きすくめられながら、リュシアは首だけを振り返らせて声を荒げた。


 そういうことだったのか、と悟る。つまりリュシアを取り戻したらリュシアを嫁がせるとか、そういう約束をルネとしていたのだ。


「あのね、私は自分の意志で帰ってきたんだからね! ルネは関係ないの!」


 そのリュシアに母が涙声で抗議する。


「そんなことをいってたら、お姉様みたいになっちゃいますよ」


 母に名指しされた姉は、ちーんとハンカチで鼻をかんでから朗らかに微笑んだ。


「それは大いに結構じゃなくて? 相応しい殿方がいたらすぐに結婚するってことなんだから。で? そちらの素晴らしい体格の紳士はどなた? リュシアとはどういったご関係なのかしら。よろしければお近づきになりたいわ」


 姉が扇で顔を隠しながら流し目を送ったのは、頭に深緑のターバンを巻いて砂色の長衣を羽織った、褐色の大男――ザフィルである。


「あ、この人はザフィルっていうの。私のバディで――」


「まさか、リュシアをかどわかしたのはお前か!?」


 父がザフィルの腕をつかんで声を荒げる。だが、意外なことにルネがその腕に手を掛けて止めた。


「ウォルレイン卿、誤解しないでください。彼はリュシアの恩人ですよ」


「恩人?」


 父だけではない。母も、姉も――そしてリュシアと当のザフィルまでもが、一斉に首を傾げる。


「そうです。彼は出奔したリュシアを今日まで守ってくれていたのです。彼がいたからこそリュシアは無事でいられたのですよ」


 ――驚いた。どこかザフィルを目の敵にしていたルネが、ザフィルを助けるだなんて。リュシアはちょっとだけルネを見直した。

 一方父は腕を握ったまま、驚いた表情で褐色の大男を見上げている。


「それは本当なのか、君?」


「……まあ、そういう感じだな。というか、俺の方があんたの娘さんに世話になったんだが……」


 ザフィルがもごもごと訂正するのも聞かず、父は雨上がりのような輝く視線をザフィルに向けた。


「そうか。リュシアを守ってくれたのなら感謝せねばならぬな!」


 言うが早いか、身を翻して使用人たちを振り向いた。


「お前たち、すぐに歓待の準備をせよ! リュシアを守ってくれた恩人と、リュシアを連れ戻してくれた恩人を歓待しようではないか!」


 父の号令を受けた使用人たちが、一斉にパッと散る。

 だが、ルネが苦笑したように首を振った。


「ウォルレイン卿、お気持ちは嬉しいのですが、我々はこれからすることがあるのです」


「なんと、それは残念な。いったいなんのご用事が?」


「9日後の国王主催の舞踏会の準備を整えなければならないのですよ。私ももちろんそうですが、主にこのザフィルのね。ご令嬢方よりはすることは少ないとはいえ、初めての試みにはなにかと手間暇がかかるものでして」


「そうですか……」


 父の顔は顔にあからさまな落胆を浮かべてがっくりと肩を落とすと、ザフィルの腕を放した。


 そんな父に、ルネは丁寧に頭を下げる。


「では、我々はこれにて失礼いたします。9日後に舞踏会でお会いいたしましょう」


 それで、踵を返して馬車に乗ってしまう。

 ザフィルも目礼し、そのルネのあとに続こうとし――。


「あ……」


 リュシアの声に、ザフィルは振り返った。


「ザフィル、あの……」


 これで、二人旅の冒険はお終いなのか。

 半年前、冒険者ギルドで出会い、ともにゴブリンの群れを屠り、それから苦楽をともにしてきた相棒と、こんなあっさり……。




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