氷の男精は優しい灯りを夢見る
真木
1 受け入れられなかった愛
翼ある人々が支配するこの世界では、女性体がめったに生まれない。
有翼人種たちが獣性を押さえられず、弱い個体に暴力を振るったために、生命の防衛本能が働いたのだと言われている。
哀しみと後悔、それだけでは人々は生きていけなかった。人々は精霊界に踏み込み、精霊をさらってくるようになった。精霊は、女精も男精も子を孕めるからだった。
けれど精霊は人間とは違い、人々の欲も……愛も、たやすくは受け入れてくれない。
「亡骸は精霊界に返しますか? ……それとも領地に葬られますか?」
ここは精霊界にほど近くの湖のほとり。有翼人種たちの言葉で「祈り」と呼ばれる保養所がある。
その呼び名のとおり、ここには有翼人種たちが祈りをこめて伴侶を連れてくる。有翼人種の獣性を受け入れられず、死に至る病にかかった精霊たちを。
一度その病にかかった精霊たちは、ほとんど回復することはない。けれど最後に精霊界に帰りたい、もしそれが叶わないならせめて近いところに行きたいと、精霊たちはここで最期の時を過ごす。
シノンがいつもの問いかけを口にすると、先ほど伴侶を失った有翼人種はうなだれたまま答えた。
「連れて帰る。……魂は精霊界に帰っても、私の伴侶だ」
それをシノンは聞くと、側に控えていた使用人たちに目配せをした。
ここで精霊たちに最後の看護を施し、看取るのがシノンの役目だった。
シノンは銀髪の長い髪を後ろで縛り、冴え冴えとした青い瞳を持つ。背が高いが男性特有の厳つさはどこにもなく、いつも低い温度をまとう。
憔悴した主の側に立つ若い従者は、聞こえよがしにつぶやく。
「男精というのは血が通っていないらしいな」
「よせ、余計なことを言うな。呪いを受けるかもしれん」
年かさの従者が慌てたように制止する。シノンはそれを、顔色一つ変えずに聞いていた。
ふいに有翼人種の主は、弱弱しく声を放つ。
「少し……二人だけにしてほしい」
そう言う有翼人種と、その伴侶であった亡骸を残して、シノンは外に出た。
木道を歩んで半刻ほどで、湖のほとりに立った。銀の盆のような湖面を、微かな風が撫でていく。精霊界から吹く風はいつも変わらず悠としていて、温度がない。
シノンは医師だが、ここに来た患者たちを回復させてやれることはほぼない。その病にかかった精霊たちは、多くが一月ももたずに絶命していく。
ただここに来る患者たちは、その運命を望んでいるように思う。彼らは意識もほとんどないが、眠りにつくときはみな安らかな顔をしている。
「仕方ない。……ろうそくの灯りが、あとひと月だったんだ」
繰り返し同属を看取る生活に、心が痛まないかというと嘘になる。ただもし同属たちが回復したとき、その後に待ち受ける生はたやすくない。だから彼らがこの精霊界近くの保養所で送る最期の日々に少しの手助けをしてやれることに、シノンは意味を感じている。
シノンは温度のない風に吹かれながら、しばらく空を仰いでいた。それが彼なりの、追憶の形だった。
保養所に仕える使用人の一人がやって来たのは、それからまもなくのことだった。
「……勅使付きの患者が来ております」
王家からの命だと聞いても、シノンの表情は変わらなかった。湖面のような青い瞳で使用人に振り向いて言う。
「誰であっても、同属ならば受け入れる。……また、誰の命であっても、回復の保証はできない。そう答えただろうな?」
「は。それでも、できうる限りの回復の手立てを取ってほしい……と」
シノンは既に歩き出しながら、背中ごしに使用人の言葉を聞いていた。
シノンがすべきことは、どんな身の上の精霊であっても変わらない。貧しき者の伴侶であっても、王侯貴族の伴侶であっても、保養所にやって来る精霊に最期の安らかな日々を与えると決めている。
だから心も変わらないと思っていた。……その患者に、会うまでは。
おびただしい数の従者たちに護送されてやって来た馬車、そこに青白い顔で横たわった、少年とも呼べる年の男精。
シノンはその男精をひとめ見るなり、呼吸を止める。
「……イリヤ」
それはシノンが精霊界から出るときに分かたれた、たった一人の弟だった。
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