第二章 月永ひなはずっと見ていた

第二章 ①

 ゴールデンウィークまでもうすぐという四月末の今の時期、クラスの中は早くも浮かれた空気に満たされていた。

 高校生になってから初めての大型連休、家族とどこかにいく人もいれば、仲のいいグループで遠出をする予定の人もいるだろう。梅雨に入る手前、最も過ごしやすい気候の今の時期、外出するにはうってつけの季節だ。


 そんな中、ウタは自分の身の周りに起きている様々な違和感を感じていた。


 ――昨日から、皆の様子がおかしい……。


 先日来花が鞄を置いたままどこかに行き、ひなと一緒になって探し回っていた辺りから何か普段と違うなと肌感覚で思っていたのだが、それが今日になって決定的に浮き彫りになっていた。なんというか、何人か普段とテンションがおかしい人達がいる。


「なあ四条……ちょっといいか?」

「え?」


 机に座って考え込んでいた詩に話しかけてきたのは、同じクラスの敷島シキシマだった。普段はうるさいぐらいに明るい彼だったが、今日はなんだか表情が曇っている。いつもワックスで立体的に整えている髪も、今日は何もつけていないのか随分と髪型も大人しい。


「実は昨日からひなが口きいてくれなくてさ……俺なんか怒らせるような事したか?」


 不安そうに問いかける敷島。その視線はちらちらと後ろに座るひなの方を何度も見ている。


 普段は細い目にニコニコと笑みを絶やさないひなだが、今日は無表情のままじっと自分の席に座っていた。身じろぎ一つしないその様子は見ようによっては芸術品の様でもあるのだが、普段の人当たりがいいだけに妙な冷たさを感じてしまう。


「敷島君のせいとかじゃないと思うよ……昨日からなんだか様子がおかしかったし」


 そう。昨日の放課後、来花を探す為に学校の中を探し回った三人だったがなかなか見つからず、そろそろ最終下校時刻を過ぎようというタイミングで唐突に「帰ろっか」とひなが口にし、そのまま帰ってしまったのである。


 ちょうどスマホに何かの通知が入って、それを見た瞬間に表情が消えていたので、夕方のそのタイミングで何かあったのかもしれない。


「なあ、ちょっと四条から話しかけてみてくれないか? 俺が話しかけてもガン無視でよ」

「……いいけど」


 少し気が進まないが本当に困っている様子だった敷島を見かねて、詩は立ち上がりひなの席の横に立つ。


「四条さん、あの……おはよう! 今日もいい天気だね!」

「……」

「こんなに天気がいいのにそんな暗い顔してたらもったいないよ! あはは!」

「……」

「……えっと、あはは。それじゃ」


 苦笑いしながら自分の席へと戻る詩。不安そうな表情で待っていた敷島に向かって、首を横に振る。


「敷島君あれは駄目だよ……氷に話しかけたかと思ったよ」

「ちくしょう……四条でも駄目か」


 ひなの視線は一ミリもこちらに向かなかった。人間はあそこまで誰かからの声に無反応を貫けるものなのか。

 そしてその視線の先には、教室の外の廊下で何やら楽し気に談笑している来花と緑の姿があった。


 そう、あの二人は今までろくに会話もしていなかった筈なのに、今日になって急に仲良くなっていたのだ。話している内容までは聞こえてこないが、来花は何やら緑に話しかけ、身体を揺らして楽しそうに笑っている。


 というか来花が一方的に喋り倒しているようにも見えた。緑の方は困ったような泣きそうなような表情で曖昧に笑い、何故だかへこへこと頭を下げている。


 ――緑くんと烏丸さんって同じ中学だったけど友達じゃないよね……どうしたんだろ?


 頭の中で解けない疑問が過る中、緑はもう一度深々と頭を下げてその場を後にしていった。残された来花は、緑が去っていくのを「えー?」と不服そうに見送っていたが、そこで詩の視線に気づいて再び笑顔を浮かべ教室に入ってきた。


「詩、どうしたのこっち見て。何か用事?」

「あ、えっと……」


 本来隣のクラスである筈の来花だったがお構いなしに入ってきて詩に向かって言葉をかける。話す相手の立場や人柄を選ばない人懐っこい笑顔だったが、その後ろでは何故かひなが感情のない視線をこちらに向けていてちょっと怖かった。


「ごめんね。烏丸さんって……緑くんと仲良かったっけって思って」

「勿論じゃん! 緑はアタシの大事な友達だしね!」


 そうだったっけ? と首を傾げる詩。と、そこで来花の顔を見て詩は気づく。


「烏丸さん、何だか今日肌色がいいような……なんだか調子良さそうだね?」

「ああ確かに。昨日まで死にそうだったもんな」


 詩の言葉に敷島も同調する。その二人の言葉を聞いて、来花は得意げに胸を張った。


「でしょ? ふふん、昨日までとはもう別人だから」

「別人って。何かいいことでもあったのかよ烏丸」


 笑う敷島に来花は元気よく頷いた。


「昨日、めっちゃ運命の再会があったんだよね」

「運命の再会……ってもしかして、前に言ってた街中で出会ったかっこいい男の人の事?」

「違う違う。まあそこに繋がる話でもあるんだけど……一言で言うんなら」


 んーと唸り少し考える。そしてピンとくる表現だったのか来花は笑顔で言った。


「人生の相棒って感じ!」


 太陽のような明るい来花の言葉。しかしその瞬間詩は、自分の脊椎に氷柱をぶち込まれたような寒気を感じた。

 ひなが感情の全くない目でこちらを真っすぐに見ている。


「どしたの詩? 顔真っ青じゃん」

「バケモンでも見たか?」

「な、なんでもないよ……」


 来夏と敷島が怪訝な顔をする中、詩はぎこちなく首を横に振る。

 その時、詩のスマホにメッセージが届いた。ひなからである。


『私よりその人の方が相棒にふさわしいのかって聞いて』


 思わず「ひえっ」と声が漏れた。


「詩? マジ大丈夫? 冗談抜きで化け物見たって感じの顔色なんだけど」


 心配そうに問いかける来花。優しさはありがたいが生憎化け物は当の本人の真後ろにいる。


「ええっと……か、烏丸さん、相棒ってあれかな……? 四条さんよりも相棒って感じなのかな?」


 頼む、違うと言ってくれと願う詩に来花はあっけらかんと答えた。


「そりゃそうじゃん。ひなは相棒って感じじゃないし」


 一瞬、詩は終わったと思った。しかし来花はにかっと笑い続ける。


「ひなは超親友だし! ジャンルが全然違ってるんだけど!」


 その瞬間ひなから放たれていた殺気が引っ込む。どうやらお気に召す答えだったらしい。

 そこで予鈴が鳴る。来花は「そんじゃーねー」と手をひらひらと振り教室を去っていった。

 その背中を見送って、詩は急いで緑にメッセージを送る。


『緑くんこれどういう状態? 烏丸さんと昨日何かあったの?』


 メッセージを送った瞬間、緑からメッセージが二連投で即座に返ってきた。


『僕は多分前世が悪徳転売ヤーとかだったと思うんだよ』

『じゃなきゃこんな仕打ち受けるわけがない』


 もう全然意味が分からなかった。


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