第24話 会議
この時期、街は日が暮れる時間が遅い。だから、まだ、夜、暗くなるまでには時間がある。
鍵屋を出たふたりは、ミズメがよく行くという、とあるチェーン店の一席で向かい合う。
マカロン専門店だった、店内での飲食も、持ち帰りもできるらしい。店の外観は、ペパーミント色で、店内も同色で統一されていた。客層は、女性が多い。わたしは生前、利用したことがない店だった。土産にもらって食べたことはある、ひどく甘かった。そして、嫌いではない。
ふたりは店内の座席で向かい合う。テーブルには、五色、十個のマカロンが置かれている。すなわち、ひとり五マカロンの消費だった。飲み物はふたりとも、ソイ・テェだった。
そして、マキノのスマートフォンも画面を天井に向け、同テーブルに置かれていた。
そこには、以前として、あの数値表示が表示されている。
落ち着きのある抑えた配色の店内のひととき。しかし、その店内の一席で、ふたりは、黙り込んでいた。
すごく考え込んでいる。
やがて、マキノが「どう………しますか」と、相手の反応をためすような、ふわりとしたことをいった。
ミズメは、自分の鼻を指でかるく押しながら「それは」と、いった。だが、言葉は続かず、そのまま、鼻を指で、ぐいぐい、押す。考えるときの、ちょっとしたくせらしい。
「わたし、こんなにお金もってません」
という。ここまでに、七回同じようなことをいった。
マキノの方は「………はい」と、返事をしてみることしか出来ずにいた。そもそも、他者の財布に中身については、コメントしにくい。そして、当人が知らないうちに、自身のアカウントで、途方もない数値の残金が使用可能になっている。
で、ミズメは「やっぱり、コワれているんですかね………」といった。
すると、マキノは「でも、このマカロンも払えました、買えました」そう答えた。
それから、ふたりの視線は五色十個のマカロンへと落ちる。配色ゆたかな丸い菓子は、表面に皹一つない、つくりだった。
マキノは言う。「表示さている金額から、マカロン代ぶんはひかれましたし」
ちなみに、鍵屋の代金は、マキノが払った。金額表示の件で、動揺して、実際使えるか試そうという発想が、あの時点では思いつかなかった。
「そうですね………買えてしまいましたね、マカロン」
「はい、謎のお金で、マカロンが買えました」
「謎のお金で買ったマカロンを、わたしたちは、これから食べようとしているのですね」
「飲み物もつけて」
ソイ・ラテからは、ふわふわと湯気が立ち上る。
ふたりは神妙な面持ちをしている。他者が、店内のこの小さなテーブルに座して向かい合っているふたりの様子を目にすれば、きっと思いだろう、別れ話かな。
しかし、実際は、会議だった。
そして、会議は開始そうそう、はかどらない。マキノは「食べてみます、マカロン」と提案してみた。「謎マネーで買ってしまった、マカロンを」
「あまいですよ」と、ミズメが忠告する。
「あまいものは得意です」
「それはいいことです」
そこを評価した。
会議は早くも脱線する。そして、ふたりは、むしゃむしゃとマカロンを食べる。思えば、ふたりが事務所ではじめて出会ってから、固形物を口にしていない。わたしには空腹はないので、すっかり失念していた。生きるとは、腹が減る。
またたくまにマカロンを完食し、ふたりはソイ・ラテで流し込む。ひと息ついた。胃に高密度なカロリーと投入して、多少は落ちついたらしい。
そこでマキノはいった。「あまい」華の無い感想だった。
それから、ふたりはテーブルの上へ置かれたスマートフォンへ視線を落とす。ふたたび現実問題に挑みかかる。非現実みたいな、現実に向き合う。
ミズメは「なんでこんなにお金が」そういって「コワれてるでしょうか、アプリが」といった。
「でも、使えましたね、マカロンに」
「はい、あ、もちろん、マカロンを買うには充分な金額が、しっかりしたお金は最初から入れてありました」
「まってください、ということは―――」
マキノは神妙な表情を浮かべた。
「おれは、ミズメさんにおごられたのか―――」
うれしいらしい。
「あ、でも、鍵屋さんでマキノさんに代金を立て替えていただいたので、ひきわけかと」
どうして、イーブンに持ち込もうとする。
「ミズメさん、なにか心当たりはないんですか」
「こころあたり」と、ミズメはいって、あごに手をそえる。「こころあたり」
「もしかして、これが、ミズメさんが手錠つけて誘拐されそうなことと、かんけいあったりして」
「え、なぜですか」
「いや、おれにもわかりません………」と、マキノはいった。「ごめんなさい………」 それから、なんとなく謝罪した。
いっぽうでミズメは「こころあたり、こころあたり」と、呪文のように唱えて、情報の召喚を試みている。
「なにかさいきん、変わったことかはありせんでしたか」
おっと、我が孫が、探偵っぽいこと言っている。
「ニセモノのおまわりさんに手錠をつけられたこと以上に、かわったことはないですね」
「でしょうね」
「あ」ミズメはふと、何かを思いあたるふりがあるように声をあげた。「そういえば」
「スマートフォン、買い換えました、昨日」
と、いってあらためて、スマートフォンを掲げてみせる。たしかに、彼女のスマートフォンはピカピカだった。おろしたての輝きがある。
「なら、昨日までは古いスマートフォンを使ってたと」
「はい」
「古い方も、そんなにお金はいっぱい入ってたと」
「いいえ、でも、データはそのまま引き継いだだけです。アプリもそのまま」
「手がかりはスマホしかないか」と、マキノは独り言ふうにつぶやいた。「スマホ自体になにか、ありませんか、前に使ってたのと、ここが違いそう、だとか」
「ちがい」いいながらミズメはスマートフォンの画面を操作する。やがれ「あれ」と、いった。
「なにごとですか」
「入れたおぼえのないアプリが入ってます」
で、ふたりそろって、井戸をのぞき込むように、額を近づけて視線を向ける。
すると、マキノは「え、これ、あれじゃないですか」と、いった。「みんなおなじみの、つぶやきアプリじゃないですか」
「おなじみ」
「ミズメさん、やってないんですか」
そういってマキノは自分のスマートフォンを取り出し、画面を見せる。そこには、ミズメのスマートフォンに表示されたアプリのアイコンが表示されている。
「おれは情報収集によく見てます、タダで使えるし。自分ではつぶやかいないけど。炎上をさけて」
「炎上」
「そうです、炎上はさけなければ。下手なこといって、ネット上で、妙なひとにからまてたりすると、精神のカロリー消費しますし」
「わたし、むかし登録だけしました」
と、ミズメはいって顔をあげる。
「ともだちに教えてもらって、登録だけして、でも、ぜんぜん使ってなかったです」
「前のスマホではアプリも消したんですか」
「いいえ、アイコンはー………気づいたときにはなくなってました」
「まあ、最近のスマホは使ってないアプリとか、オートで消してくれたりするんで」
「どうしてそんな身勝手なことを」
「メモリを確保するためです」
「なるほど、そういうものなのですね」
ミズメはひどく感心していた。
「でもあれ? ミズメさんが昨日買ったスマホにデータをうつすときに、復活したんですね、このアプリ、ゾンビみたいに」
「そうなんですか」
「システムの不具合とかかな?」
「マキノさん、くわしいですね。ちょっと見直しました」
「え、あ、いやいや、あー………で、どういう状態だったものを、どう見直したんですか、それ」
「でも、こんなへんなアプリが出ちゃっただけで、他におかしなことはないですけど」言いながらミズメはスマートフォンを手にし、そのアプリを指でタップする。そして「わ」と、いった。
「ミズメさん?」
「あの、このアプリなんですが」
「はい」
「メッセージが五十万件以上、着てます」
画面を見せる。そこには、着信メッセージがたしかに、五十万件以上の数値で表示されている。
そして、マキノはと叫ぶ。「五万っ件!」聞き間違えていた。しかし、聞き間違えたとて、凄まじい件数だった。
「いえ、あの、五十万件です」
訂正されると、マキノは「わああああ!」と、頭を抱えた。パニック勃発だった。「え、え、なん、なんなんですか、そ、その、到達点は!」
「………わかりません」ミズメも、数値が数値だけに、微塵もうまく状況を受け止めていないらしい。「………なにも、わからない」
「ええっと、あ、だったら、そのどんなメッセージが来てるんですか、じっさい?」
「メッセージの内容ですか、はい」
応じて、ミズメはスマートフォンを操作する。あまり使ったことのないアプリらしく、操作には少し手間取りがあった。
それでもやがて「これ、かな」と、いって、タップする。
そこに届いていたメッセージは、まず音声して口にすることを、大きく躊躇したく なるほどの、誹謗中傷の言葉だった。完全な個人攻撃だった。
どうやら、ミズメのことを侮辱しているらしい。
「な、にこれ」
ミズメは茫然とした。ただ、自分へ向けられているとは、キャッチできていない。
マキノもひいていた。「ひどい」と、いって彼女の様子をうかがう。ショックを受けている感じではなく、やはり、茫然だった。「あの、ミズメさん?」
「あ、はい………えっと、あの、わたし」
「勇気とか、まだありますか」
「勇気?」
「その、他のメッセージも、見てみるとか」
「………あー」言われて、ミズメは「やって、みましょうか」といって、タップした。別のメッセージを開く。
すると、それも罵詈雑言だった。しかも、さっきのメッセージを送ってアカウントとは、別のアカウントの者らしい。
それを目にして、再度、ミズメは固まる。やがて、いった。「ひどい。こんなの、死んじゃいますよ、言われたら、その人」
と。
その発言から、ミズメは自身が攻撃されていると、思えていないと見受けられる。それがまだ、実感がないだけか、否かはわからない。さらにいくかの別のメッセージも読む、どれも似たような最悪さだった。その最悪なメッセージが、おそらく五十万件以上、ミズメのアカウントへ届いている。
ふたりはあらためて絶句した。そして、マキノの方が先に我へ返り「つかってなかったんですよね、このアカウント」と、訊ねた。
「はい」
「ちょっと、調べていいですか」
「はい、どうぞ」
スマートフォンを渡られると、マキノはミズメにも画面が見えるような角度で操作した。
「なにか、つぶやいた履歴がありますよ、ミズメさんのアカウント」
「つぶやいている、いいえ、わたしはまったく」
「という話でしたよね。なんだろ?」マキノはスマートフォンを一時、自身へ引き寄せて調べ出す。彼女のアカウントでつぶやかれている内容を観覧した。とたん「うっ」と、息を詰まらせた。
「マキノさん?」
「あ、なんか、すごい攻撃力のある発言が」
「こうげきりょく」
つぶやきの内容が表示された画面を見せる。すると、ミズメは「うっ」と、パンを喉につまらせたみたいな反応をした。
そのつぶやきというのが、過激な内容だった。わたしからは、ふわっとした言い方をするが、この世界のありとあらゆることに、発言で戦争をしかけている。たとえば、著名人、映画、音楽、コミックについての多岐にわたる批判、さらには、政治、経済に至るまで、攻撃するようなつぶやきが、無数に投稿されていた。
そして、それらの投稿に、多くの人が怒り、狂っている。その相手から殺人予告まで返されていた。
あのニセ警官がミズメへいっていた、世界中からきらわれている。
これのことか。
しかし、なぜ。
「これ、おそらく、アカウントがのっとられてます」
と、マキノがいった。
そうなのか。だとすると、納得できる。いや、わたしもこの方面は、さほど詳しくないが。
だとしても、アカウントが盗まれたことと、ミズメのスマートフォンに入った莫大な金額は関係あるのか。
もし、わたしが探偵として依頼を受け、調査するにしても、なかなか真相究明までは、時間がかかりそうな案件だった。
「ミズメさん、ごめんなさい」ふと、マキノはあやまった。「ミズメさんの名前で、検索したら、こんな動画がいちばんにヒットしました」
検索、動画、はて。
マキノが画面を見えるような位置に掲げる。そこには、再生前の動画が表示されていた。動画のタイトルは『稀代のからめとりミズメ、解説動画!』となっている。
むむ。
なんだ、これは。
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