第4話 手錠

 ドアでの押し問答は、それなりに長引いたが、結果的に、ドアは開かれた。事務所内の応接セットにて、ふたりの対面図が完成した。

 少女は可憐だった。しかし、膝の上においた両手には、黒い手錠がはめられている。

 マキノはその手錠をじっと見てしまっていた。実物の手錠を、しかも、実際に人がそれを手にはめている状態を目にするのは、はじめてなのだろう。ムリもないが、その凝視は、礼儀を欠いていると気づいてほしい。まあ、いかんせん修行不足のマキノだし、ムリだろう。なんの修業をすれば、その不足分を補えるか、という話はおいといて、とにかく、実物の手錠、実際にそれを手首にはめている人、このふたつが目の前にある。

 手錠については、とうぜん、マキノも見てわかっていた、気づかない方が無理がるし、気づかないとすれば、問題だった。いまも見ている。凝視している。それでついに、見過ぎたと思ったのか、慌てて顔をあげて少女の顔を見て、しかし、少女の顔は顔で、ばつぐんな可憐さがあり、うねりの利いた髪もさらさらのつやつやだった。彼女の背景にピンクのバラをちりばめたくなる勢いがあり、しかも、着ている制服もこのあたりでは、有名なお嬢様学校だった。生地もあきらに高品位だった。

 そんな少女と、小さなテーブルを挟んで対面している状態で、すぐに、孫の心の耐久性は潰えて、耐えきれなくなり、視線をさげて、また手錠へ戻す。

 そして、我が孫がようやく口をひらいた。

「手錠ですね」

 君はどこへ向かおうとして、その言葉をはじめに選んだ。

考え方によっては、見ものともいえる。

 少女は「手錠です」と答えた。時間差で「手錠なんです」といった。

「あの………」マキノはさらに続けて話そうとして、そくざに、言葉につまって「あのー」と、長く語尾を伸ばす。

 発声練習みたいだった。

「はい」

 少女の方は、もう凛としていた。鈴の音のような返事をする。

 そして、マキノは訊ねた。

「げんき、ですか」

 彼方からの、お手紙のようなことを問い放つ。わたしにはない発想だった。

 で、彼女はいう。

「どうしろと」

「あ、すいません、ごめんなさい。なんかその、ベストを尽くしたんですが、けっきょく、小さなパニック発言に」

「いいえ、こちらこそ、ごめんなさい」少女は顔を左右に振る。同時に、うねった前髪もゆれた。「パニック発生源は、とうぜん、わたしですし」

「あ、ええっと、その」マキノはまた手錠を見る。

 黒い手錠のはめた少女の両手は、指に力が込められ拳になっている。

 それに気づいて、マキノの目が少しかわった。わたしの目に似たものに。

「あの、オレでよければ。その………、なにかチカラなど………発揮させてていただいたり………」

「手錠、外したりできますか」

 と、少女はぐい、っと手錠のはまった両手を持ちあがる。

 ぜったいにプラスチック製品ではない、頑丈そうな手錠だった。

「それは不可能です………」

「ですよね」

「ごめんなさい」マキノはあやまり「手錠の外し方は、がっこうで教えてもらってないので………」と、この世界で最高にかっこわるい言い訳をほざいた。

「そういう学校ってあるですか」

 で、少女もそこを深堀しに行く。なぜだ。

 マキノは言う。「あると思います、世界は広いですので、きっと」

「あの、この手錠、どう思いますか」

「じっくり見るにはマナー違反かと感じて、直視しないようにしてます」

「チラ見はしたんですね」

「チラ見はしました」

「どうぞ、見てください」

 彼女は自分の顔の高さまで手錠を掲げた。細い腕に、輪がしっかりとはめられていている。

 そうまでされるので、マキノは手錠を直視した。しかし、手錠と並行して、そこには彼女の顔がある。目がある。視線と視線がぶつかる高さだった。

 髪はうねりがいきいているし、このあたりでは有名なお嬢様高校の制服だし、可憐な少女の顔がある。

 孫に与える、攻撃力は高いだろう。

「………CGみたいだ」

 しかし、けっきょく、孫はまたそれだった。言語表現の在庫が少ない生命体だった。自分の使える言葉を増やせ、孫よ、本とか読んで。

 すると、少女は手錠つきの両手を膝の上へおろし、うつむいた。

 前髪が覆った顔の下で、唇をはんでいる。なにか、悔しいことでもあるらしい。

 でも、マキノは気づきもしない。「あ、そういえば、名前」と、相手の状態より、状況の進行を気にした。「オレはその、マキノっていいます。『イシ マキノ』」

「いし、マキノさん?」

「はい、名前はマキノです」孫はうなずいて、笑った。「母親が出産直前に好きなアニメキャラクターからとってつけた名前です、マキノ」

 その我が名に関する付属情報は、いま必要だろうか。新学期のクラス替え時の自己紹介でもあるまいし。

「なんて斬新な!」

 あれ、この娘、けっこう感激したぞ。

「わたしは、曾祖母の名前をそのままで、ミズメ」

「ミズメ、さん」

「はい」

「ミズメさん」

「はい」呼ばれて彼女は返事した。そして「マキノさん」と、呼び返す。

「はい」と、孫は返事する

 うれしそうだった。可憐な娘に名前を呼ばれたんだ、無理はない。うれしいなら、なによりだ。

 それはそうと、マキノよ、さっきから開け放った窓の外、なにやら、よからぬ気配がするぞ。

 おお、マキノも何かを感じとったらしい。表情から歓喜が、消え、代わりに、口があいたままの、やや間の抜けた顔で、窓の外を見た。で、椅子から立ち立ち上がる。

 ミズメさんの方も。

 いや、ここは敬称は省略。

 ミズメの方も、マキノの動きを目にして、きょとんとした。それから、同じように開け放った窓の方を見る。そこへ、マキノは近づいた。

 窓から見下ろす。すると、事務所の階段のすぐそばで、下のカフェの店員と、警察官の男が話しをしていた。

 ミズメが「どうしたの」と、問いかけてきた。

「いや、事務所の下に、おまわりさんが」いって、マキノは窓の外を指さす。「下のカフェの人と話してるんです」

 説明し、マキノはふたたび窓から下をのぞき込む。

 帽子を被り、警察官の制服に身を包んだ男が、こちらを見上げていた。三十歳ほどか、黒い髪をべったりとオールバックにしていて、口には、巨大なブーメランのような髭を果たしている。

 しかも、その警察官は、こちらを見上げていた。

 マキノと目もあった。

 ミズメが問いかける。

「………けいさつの人、ですか?」

「はい」

「どんな風貌の、でしょうか………」

「顔半分がブーメランみたいな髭の人です」

「あっ」と、ミズメはいって、表情を変えた。「それ、ニセ警官です」

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