米酒


 ──まあいいや。

 フレッドさんには王都の住居を伝えてあるし、ヘレナさんがまだ頼む気があるなら連絡はつくだろう。

 私は小さな窓から庭のプルナの木を眺めた。

 すっかり葉を落とし、空っぽの鳥の巣だけが目立ってどこか寂しい雰囲気を漂わせている。


「寒っ」


 私は暖房魔道具のスイッチを入れて、居なくなったチュン太夫妻に思いを馳せた。


 (カラスの子育ては春中旬だから、もしかしたら戻ってくる可能性はあるのよね。巣はそのまま置いておこう)


 私はソファーに寝転んでダラダラと数時間すごし、夜になったところで近所の知り合いのお店に行くことにした。

 徒歩数分で行けるジョンの店。

 夜だけ営業の、お酒と軽食の店である。

 扉を開けると、暖かい空気と懐かしい匂い。


「こんばんは……あら、一人なの?」


 久しぶりに顔を合わせたが、ジョンは一人でグラスを磨いていた。

 一番奥のカウンター席に、一組。

 ふたつ空けて一人客。

 私はドアに一番近い場所に陣取ることにした。

 寒いのが嫌だから、暖房が一番近い席がいいのだ。


「おう、久しぶり。セシルは年末で辞めたんだよ」


「あら、そうなの」


「何にする? ──うちで仕入れてる野菜農家が後継ぎ探しててさ、セシルはそっちで身を立てるらしいぞ」


「野菜……確かにこの店の野菜は美味しいものね、廃業は惜しい。あ、米酒で」


「そういうこった。そのままで?」


「ううん、あったかいので」


「今やるから、これ食ってな」


 出されたのは、まさかのオデンだった。

 厳密にはゴコと呼ばれる根菜だが、ほぼ大根と言っていいものと煮卵だ。


 (この懐かしい匂いは、おでんだったか)


「前から思ってたんだけれど。あなたの料理はワフー料理が多いわね」


「ん? ああ、確かにな。うちの家系は飲食店やるヤツが多くてさ、祖母がワフー料理屋だったんだ。俺は違う世界を見たくて、冒険者になったけど」


 目の前に徳利と盃が置かれる。

 酒を注ぐと、ふわりと甘い香りが漂う。


「いい香り。はぁ〜あったまるわぁ」


「まあ、結局料理屋に戻ったわけだが」


 ジョンは肩をすくめ、自嘲のような笑顔を浮かべた。

 ゴコは綺麗に面取りされており、コロリとした可愛らしいフォルム。

 しっかり隠し包丁も入っている。


「良く染みてて美味しい。うーん、引退後に仕事があるのは良いじゃない? お客さんも入ってるわけだし」


「それはそうだなぁ」


 そう言ってジョンは他のお客さんの対応のため、移動していった。


 (ジョンは長年、あの狂ったゴブリン迷宮に囚われて年を取ってしまったけれど。今こうやって自分で生きていける術があるのは、とても幸運だわ)


 ゴブリン迷宮に捕まってたのは、めちゃくちゃ不幸だったけどね。

 多くの冒険者は引退後は苦労する。

 老後も安泰なほど稼げるのは一握りの者だけだし、ちょっと成功してお金を得ても身を持ち崩す人も多い。

 そこまで生きていられれば、が前提だけど。

 冒険者は、決まった場所や日時で拘束されるのを嫌うタイプが多い。

 その自由さに慣れてしまって、定職に就いたときに苦労する話はちょくちょく耳に入ってくる。


 (でも……老後はちゃんと考えたほうが良いと思うわ、本当に)


「──そういや、うちの店に時々ゴブリンが来るんだよ」


 私のいる側に戻ってきたジョンが、ボソリと呟いた。

 思わず盃を落としそうになり、慌てて両手で持ち直す。


「ゴブリンが?」


 可笑しすぎて、手も声もプルプルと震える。

 確かにゴブリンは草食だから、ジョンの店とは相性が良さそうだけど……王都まで、いったいどうやって来てるのだろうか?


「そう、ゴブリン」


 ジョンの声も震えている。


「ダンジョンでさぁ、俺たちが最後に暮らしてたゴブリンの集落で知り合ったゴブリンなんだけどよ」


「えっ、あなたゴブリンの見分けつくの?」


「いや……」


 ジョンは苦笑いをしながら首を振った。


「そいつ、帽子が金ピカなんだよ」


「ブハッ! 金ピカはレアね。なるほど、金ピカで見分けていると」


「多分な。金ピカが他にいるとは思えないし……いや待てよ、交代で来てても俺にはわからんよな?」


「ププッ、そりゃわかんないでしょ。女王ですら他のゴブリンそっくりで、見分けつかないもの」


「だよなぁ〜」


 ゴブリンが来る店って何?

 面白すぎるんだけど。

 

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