38ダンス 

 ゆっくりと首を動かしてその方向を見れば、サリア専属執事〈テッツォ〉が、こちらに心配そうな瞳を注いでいた。


「お加減がよろしくなければ──」


「ああ……大丈夫よ。ありがとう」


 我に帰り周囲を見渡す。皆が会場の脇にはけて、ダンスパーティーの時間に備えていた。そのホールに一人呆然と立っていれば、否応なく心配されてしまうか。


「ごめんなさい。サリアとの思い出に耽って、ボーッとしてたみたい」


「ああ、考え深いものがあったんですね」


 テッツォが安堵するように胸を撫で下ろす。

 モンカーである彼は、嫌いじゃない。むしろ、マリアは彼に関心さえ寄せている。

 使用人として間もないというのに、サリアを『赦す者』と称した審美眼は、尊敬に値するものだ。


「テッツォ、少し話をしましょう」


 言いながら、マリアが会場の隅まで歩き、控えめにその後ろへ続くテッツォを誘った。


「あなたともっと話してみたかったの」


 言うと、テッツォは瞠目して首を傾げる。


「私と、ですか? 大変光栄なのですが、よろしいのでしょうか?」


 チラリ、とテッツォが会場を見回し、マリアに視線を送ってくる男性陣を捉える。

 彼らと交流しなくて良いのか、と暗に言いたいのだろう。

 

「ええ、大丈夫」


 公爵令嬢の立場であるから、ああいう手合いが絶えずいとまがない。

 両親も会場にいるため、後で体裁を繕うためにダンスの相手をする必要はあるが──


「今はいいわ。気分が乗らないの」


「そうですか。では、しょうがありませんね」


 あっさり首肯したテッツォに、マリアは思わず笑ってしまう。

 まるで貴族社会から半歩外にいるようなスタンスだ。


「普通、こういう場合、使用人は焦るものなのよ?」


「えッ、そ、そうなんですか? 私は何かおかしなことしてます?」


「使用人である立場で、公爵令嬢のわたしと話し込むなんて、周りからどんな風に見られるか怖くなったりしない?」


 少し意地悪く尋ねて見ると、テッツォはむしろ微笑みながら肩を竦めて言うのだ。


「まったくなりません。一度死んでますからね。もう〝そちら側の常識〟には縛られないんです」


「へ……?」


 どういう類の冗談かわからず、マリアの頭に大きな疑問符が打たれる。


「それは──」


 どういう意味? そう聞き返そうとした。

 瞬間だった。テッツォの手が素早く蛇のように伸びて、マリアの右手を強引に掴み取る。


「私が怖いと思うのは、こういう〝手段〟です」


 低声を落とし、ぐりっとテッツォの親指がマリアの手首をなぞる。

 薄い手袋越しでも分かる、歪んだ傷痕を確かめるように。


「──ッ!」


 マリアの心臓が跳ね上がる。

 誰にも触れられたくなかった場所を、知られている。

 テッツォの親指がなぞった一瞬の感触が、皮膚の奥でじくじくと疼いた。

 咄嗟に腕を引き、マリアは反射的に手首を胸の前に隠す。


「やめて──ッ」


 その声は思っていたより強く出てしまった。

 叫んだ自分に気づき、ほんの瞬きの間だけ空気がひやりと凍った。

 周囲の視線が一気にこちらに集まり、ざわめきが波打つ。


「何事だ!?」


 様子を聞きつけた数名の男たちが、こちらに駆け寄ってくる。

 すると、テッツォが申し訳ない顔を取り繕い、急いで頭を下げる。

 

「失礼致しました……虫が付いていましたので。毒を持つ種類の害虫ならば大変であると、強引にマリア様の手を取ってしまいました」


 その言い訳に納得しかねたのか、一人の男がマリアの前に身を滑らせた。


「マリア様、こちらの使用人に何か──」


「いいえ、何でもないの」


 マリアは食い気味に遮り、張り付けた微笑を浮かべる。

 先ほど自分の身体を走った激震を隠すように。


「本当に、虫に驚いただけです。テッツォはそれを慌てて払ってくれただけなのです。過度に声を上げてしまったため、お騒がせしてしまいました」


 丁寧に、淑女たる柔らかい態度で応対し、男性陣を宥める。

 男たちは半信半疑の気配を残しつつも、一礼して持ち場へ散っていく。


「……なるほど。しかし、以後は姫君に触れる際、必ず許可を」

「虫、ですか……そうですか」


 テッツォはサリア・グレゴドールの専属執事であるため、半端な貴族では強い態度に出られない。そんな空気に乗るように、テッツォは折り目正しく一礼し、退散を告げるのだ。


「では、私もこれにて失礼致します」


 巧みに人ごみを縫って歩き、煙に撒くようにそそくさと逃げてゆく。

 マリアはただ、その背中を見つめて大いに動揺し、疑念を踊らせるのだった。

 

(何故、私の傷を知っているの……一体、何者なのあの男は……)


   ◆


[ちょっと……テツオさん、大胆なことしますね。焦りましたよ]


 マリア嬢から距離を取ったテツオに、すかさずミカゲの脳内通信が飛んできた。

 何も言わずに彼女に接近したから、どうやらひどく心配させてしまったらしい。


[ごめんごめん。ちょっとマリア嬢がやばそうな顔してたからね。時間稼ぎだけやらせてもらいました。心配かけて本当にごめんね]


[いえ、お見事です。おかげで、マリア嬢の意識が逸れたんじゃないかと]


 ミカゲの言う通り、マリア嬢は煮えたぎるような相貌でテツオに鋭い眼光で飛ばしてきている。


[おー、怖い怖い]


 テーブルに置かれたグラスを片付けながら、背中でその熱視線を受け流す。

 先ほど、今にも刃物を振り回しかねないほどに思い詰めた顔をしていたが、揺さぶった甲斐もあり、彼女はこちらに意識を分散させてくれているようだ。

 後は、適度にマリア嬢の視界をウロウロしていれば、ほどよく気を逸らすことができるだろう。


「皆様、お待たせしました。ダンスパーティーの開演でございます!」


 筆頭執事ダニエルが声を打ち上げると、弦楽器が三拍子のリズムを刻み、美しいワルツが会場に響く。

 主役のサリア嬢が父であるドミニクスとダンスホールの中央まで進み、優雅にステップを踏み始めた。皆がその華麗なダンスに釘付けとなり、感嘆の声がそこらで打ち上がる。

 一曲目は形式的なお披露目だ。美しい所作を披露して、家格を誇示する場であるとか。


 そして、続く二曲目──。

 招待客の男性陣が「お相手をお願いできますか?」と女性に声をかけ、手を取り合ってダンスホールに進み出る。

 その様子を横目で見て、テツオは貴族としての潜入じゃなくてよかったと安堵してしまう。


[凄いよね。女性に声かけて衆目の前で踊るって。改めて考えると凄い勇気じゃない? 断られたら……ドラえもんに泣きつくしかないよ]


[ふふ、確かにそうですね。でも女性の方も大変です。誘われないと傷ついちゃいますから、一度は誘ってほしいと思いますよ?]


 そんな両者が心を軋ませるダンスパーティー。

 色恋が駆け巡る華やかな場に見えるが、政治的な思惑の方が色濃い。

 誰が誰と踊るかで、家同士の交流が可視化されやすい。


 サリア嬢もマリア嬢も、次から次へと男性に声をかけられている。

 そして、次から次へと首を横に振るうのだ。

 ミカゲから聞く話によれば、第二曲目に踊るのは本命候補の相手とされるらしい。

 

[じゃあ、あれって軒並みフラられ続けてるってこと?]


[そうなりますね。お二人ともこの場でお披露目する婚約候補がいないのでしょう]


 断られた男性の反応は様々で、努めて動揺を見せない者もいる一方で、心底と肩を落とす者もいる。

 その中の何人か、別働隊が集めてくれた情報で顔を知っている。確か、テツオが代筆した手紙の受け取り手たちだ。彼らは熱いラブレターをサリア嬢に送っていたのだが。


(ごめんね……君たちは、こんなおじさんと文通してたんだよ……)


 罪悪感が凄い。若者を陰ながら傷つけるようなことをさせられていた、と改めて自覚してしまう。まあ、向こうも代筆である可能性もある。そうなって来ると、おじさん同士で心のない文通をしていたことになる。


 なんだか物悲しい気持ちで雑務をこなしていると、第二から第四曲目が終わり、ダンスパーティーは中盤に差し掛かって来る。

 サリア嬢は茶会に招いた親しい友人たちと手を取り合い、談笑しながらステップを踏む。

 そこに、マリア嬢と踊る場面もあったのだが──


「サリア、本当におめでとう。すごく綺麗よ」


「ありがとう。マリア……あなた……なんだか疲れてない? 大丈夫? 目がギラギラしているわ」


「ええ、今日が楽しみで、寝れなかったの」


 テツオは会場の端でウロチョロしながら〈盗聴スキル〉を駆使して、二人の会話に全力集中する。かなり危うい状況ではある。いつ爆発するかわからないダイナマイトとサリア嬢が踊っているのだから。

 しかし、テツオが鬱陶しく視界に横切っているせいか、マリアは気もそぞろに意識をあっちこっちに散らしている。

 

「マリア? 本当に大丈夫? 少し休まないと……」


「大丈夫よ。今は、あなたを堪能させて頂戴」


 ゆったりとしたリズムに揺れながら、マリアはサリアの肩に頭を預ける。テツオを視界に入れないように、目まで瞑り出した。


「ねえ、サリア……後で二人っきりで話せる?」


   ◆

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