第2話 猫と星/ハンター
木の扉を叩くこもった音が2回、響いた。執務室の主は扉の向こうに立っているであろう新人騎士に問いかける。
「ボポニェの獣人はどうだった?」
「狡猾で残忍で、凶暴でした。まったく手がつけられません」
「そうか、それは大変だったろう。入るといい」
ぎぃ、という音と共に扉が開け放たれ、小包を抱えた少年がつかつかと執務室の主、騎士団団長であるコウに歩み寄る。少年は騎士団の白い制服に身を包んではいたが、顔や手にはかすり傷が走り、服は盛大に汚れ、髪は乱れて木の葉が刺さっていた。それにもかかわらず、小包には汚れ一つ付いていない。コウは小包を受け取ると中を確認し、一瞬柔らかい表情を浮かべた。
「極秘任務ご苦労様、ハンター君。これは僕にとってとても重要なものだが、あまり伝達使の連中には見られたくなくてね。」
「お役に立てて光栄です!」
ハンターと呼ばれた少年は、琥珀色の瞳を輝かせた。誰かの役に立てたという事実が、たまらなく嬉しい。
「ただ……その格好はどうしたんだ?」
ハンターのひどい有様を見て呆れ交じりに問う。
「すいません……途中でひどい通り雨に遭ったり
「飛竜か……特徴はわかるか?」
「緑色で、結構大きかったです。炎を吐かれるかとひやひやしましたけど、結局大丈夫でした」
「ルゥヒルドまでの道中というと、ミザールか。いや、だとしたら武器は持たせていたはずだが……。とにかく情報ありがとう、明日の会議で議題に挙げて対策を練るよ」
「……それで、何か最近変わったことはあったかい?何か思い出したことは」
いきなりの痛い質問に、先程まで小さな喜びに舞い上がっていたハンターは萎んだ果実のようになってしまった。藍色の頭を掻きながら、気まずそうに眼を逸らす。
「それがまだ……全然何も思い出せなくて」
「そうだよなぁ……」
コウは溜まった息を吐き出し、身体をぼす、と革張りの椅子に沈み込ませた。長めの栗毛がふわりと風を受ける。
「すいません……」
「いやいや、謝る必要はないよ。ゆっくり思い出せばいいさ」
「……そういえば、やつはしっかり教えているか?」
「はい!ベクターさんにはいろいろ教わってます!」
「そうか、それは良かった。彼に頼めば問題ないとは思っていたが、些か心配だったのでな。安心したよ」
「実戦はまだなんですけどね。基礎をしっかり叩き込んでからだ、って」
「大事なことだ。なんだ、思ったよりしっかり教えているじゃないか」
2人の会話はがちゃりという音に中断された。
「お邪魔するニャよ〜」
ころころとした可愛らしい声と共に、猫のような外観の獣人が執務室に入ってきた。手入れされた藤色の毛並みを白い騎士団制服に包んだその姿は、コウにとって見慣れたものだった。
「やぁ、ドル。頼んでいた件かな?」
ドルは側にいるハンターに軽く挨拶すると、少し乱れた赤いマントを手で直しながら答えた。
「そうニャ。詳細をまとめた資料があるから、目を通しておくといいニャ」
ドルはそう言うと、辞書とそう変わらない厚さの紙の束を机の上にどさりと置いた。
「ありがとう、ドル。君が放浪から戻って来てくれて本当に助かってるよ。今はとにかく、人手が足りない」
「気にすんニャ。これも拾ってくれた騎士団への恩返し。ただ、ある程度事態が収まったらボクはまた旅に出るから、それまでに代わりは用意しておくとよいニャね。ボクは師匠を探しに行かねばならんニャ」
コウはドルのまっすぐな青い瞳から目を軽く逸らし、舌の先まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。
「……そうか。善処しよう」
「しかし、まさか記憶喪失の旦那もいるとは思わなかったニャね」
ドルはハンターの腰(
「うん。ちょっと極秘任務でね!!」
「それはお疲れ様だったニャね!後で話をじっくり聞かせてもらうかニャ。ボクはまだ仕事が残ってるから、旦那は先に帰るといいニャ」
「そうする!ではコウ団長、これで失礼します!」
「ああ、道中気をつけて」
ハンターが元気よくドアの向こうに消える。足音が十分遠ざかったのを確認すると、コウが口を開いた。
「……君が彼を終の地から拾ってきて、もう1年になるか」
「そうニャね」
「彼には様々な任務を通して刺激を与えてきたが、今のところ成果はない」
「今日の極秘任務とやらもその一環かニャ?」
「……そうだ」
ドルは呆れ顔でため息をつくと、はーやれやれといったジェスチャーをとった。
「まったく、奥さんからか娘さんからかはわかんないけど家族からの手紙くらい普通に受け取れニャ」
痛いところを突かれたコウは早口で反論する。
「仕方ないだろう!?どうしても……その、にやけてしまうんだ。これでは騎士団の長としての示しがつかない!第一」
「わかったわかった、それに別にそういうことだけやらせてるわけでもないニャろうし」
「その通りだ。魔物の討伐任務以外は概ねやってもらった」
「……新しい刺激が欲しいなら、討伐もそろそろやらせるかニャ?」
コウは予想通りのドルからの提案に対し、用意していた回答を吐き出した。
「……今は時期が悪いように思う。現在ナミリアではモンスターや魔物の活動が活発化している。“黒い霧”の件も解決していないし、まだ確認できていないが未知の怪物の件もある。もう少し落ち着いてからでいいだろう。それまでに彼にはしっかりと実力をつけてもらう」
「まぁ、それが一番安全なのは間違いないニャね。旦那になにかあったら本末転倒だし」
「あぁ。彼は、我々の前に降って湧いた最後の希望というやつだ」
終の地。かの惨劇によって焦土と化した旧王都で発見された少年。この少年の記憶を手掛かりにすれば、あの時起こったことについて手掛かりが得られるかもしれない。
「…………」
コウの脳裏に苦いという言葉では言い尽くせない敗戦の記憶が蘇る。かつて、ナミリア王都はとある怪物に襲撃された。騎士団はこれをテラと命名、討伐に挑んだ。しかし、その結果は悲惨なものだった。テラ1体のために騎士団は半壊。騎士団最高戦力である“孤高の7騎士”も現在はコウ、ベクター、そして単独任務中のアインしか残っていない。王都は燃やされ、瘴気に汚された。半身を失った騎士団にできたことは、王族を護衛し、民を逃がすことだけだった。
「あれから、もう3年が経つのだな……」
コウは、窓から新たに生まれ変わったバニキスの街を見下ろす。人々の表情は明るいが、いまだに建設中の建物もまばらにあり、復興しきったとは言えない。
ドルの師匠、ライラによる捨て身の作戦でかろうじてテラを退けることには成功したが、怪物の絶命が確認されていない以上いつ2度目の襲撃があっても不思議ではない。明日にでも、来るかもしれない。そうなれば当然最後の一人になっても戦い続ける覚悟だが、結果はわかりきっている。
「……我々騎士団には、この街のすべてを守る義務がある」
「言われるまでもないニャ。ボクはこの街を守るためだったら、やれることは全部やるニャ」
「ありがとう、心強いよ」
「師匠が愛した街だからニャ」
二人はそうしてしばらく窓の外を眺めていたのだが、ふと、ドルが口を開いた。
「……そういえば。身近に旦那を観察してて一個気づいたことがあるニャよ」
「ほう」
「何かを『守る』ことに異常な執着がある気がするのニャ。大きいことから些細なことまで」
=続く=
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