その翡翠き彷徨い【第49話 死霊の窖】

七海ポルカ

第1話






 階下に降りて行くと宿の主人が明るい顔で声を掛けて来た。


「おや。お兄さん目が覚めたかい?」


 ここは一階がカウンターのある酒場と、食事場になっている宿屋のようだ。

「すみません。これ……ごちそうになりました」

 スープの入った食器を持って現われた青年に、主人は気のいい表情を浮かべる。

「ああ、わざわざ持って来てくれたのか。ありがとう。具合はどうだい?」

「はい。後頭部にたんこぶあるんですけど、平気です」

「そうか良かった」

 お客から声が掛かる。

「ああ、すまないね。ちょっとそこに座って待っていてくれ」

「はい」


 青年はカウンターに座った。

 店をぐるりと見回す。

 二階建ての、カウンターから全体を見回せるくらいの店内。

 一般的な規模の街の酒場という感じだ。

 客はどの人も顔なじみのようで、街に住んでいる人が一日の終わりに、ここに集っているのだろう。

 穏やかに賑わういい雰囲気の酒場だ。


 青年はふと気付いた。

 酒場の隅に置かれた貯蔵用の樽の上に座って、一人の青年が手琴を弾いていた。

 ここでは吟遊詩人は珍しいようだ。

 人々は青年の方に視線を向けて会話を続けている。

 しかし青年はそういう視線には慣れているらしい。目を閉じ無心に弾くことに没頭している。



「やぁ、すまんね」



 主人がやって来た。青年は首を振る。

「本当にありがとうございます。俺は旅をしている、エドアルトといいます。エドと呼んで下さい」

「エドか。よろしく。ここはヨークという街だよ。俺はこの酒場の主人のグレン。二階で宿屋もしてる。礼はあそこの吟遊詩人のお兄さんに言いな。あんたをあの細腕で街まで背負って来た」

 エドアルトは振り返る。

「あの人は……この街の人ですか?」

「いんや旅の吟遊詩人さ。この南にあるローディスって街から来た。そこにいる俺の友人の商人を、旅の途中で助けてくれたらしいんだ」

「へぇ……」

「不死者に襲われた時に助けてもらったそうだ」

「俺もそうだったんです」


「そうかい。若いのに大したもんだね。魔術師っていうのかな。ここらじゃ珍しいけど……北のアレンダール王国にゃ結構魔力の強い人間が生まれるっていうよ。あそこは神官も優秀だからね。もしかしたらそのあたりの人なのかな。何か飲むかいお兄さん」


「あ……じゃあ、珈琲を頂けますか」

 主人のグレンは酒じゃなくていいのかい、と笑いながら珈琲をいれてくれた。

「お兄さんはどこから来たんだい? 旅の途中なんだろう?」

「ここへはアレンダールの方から来ました。出身はアリステア王国です。父が戦士だったので俺も剣を学んで……神官戦士なんです。全然まだ見習いですけど。母が、実戦で色んなことを学びえた方がいいって言ってくれて」

「へぇ、心配に違いないだろうに、それはしっかりしたお母さんだねぇ」

「母も、国の神官だったんです」

「なるほど」

 グレンは頷いた。


「アレンダール王国のドラモントという貴族の人に、エルシドの森の異変のことを聞いたんです」


「異変て……不死者のことかい?」

「はい。ドラモント伯爵の別荘がエルシド湖畔にあるそうなんです。でも最近不死者が多くて困ってるから、その調査と、出来るなら退治を依頼されました」

「ドラモント伯爵。アレンダール王国でも有力な貴族じゃないか」

 エドアルトはポケットから指輪を取り出す。

 月の紋章を刻んだ、それは確かにアレンダール王国の有力貴族の家紋だった。


「エルシドの古代遺跡がありますよね。そこに何か異変が起きているんじゃないかと」

「エルシドの古代遺跡⁉ よしなよしな! 

 あんな所、街の人間は決して近づかない場所だよ」


「でも最近この辺りでも不死者の徘徊が増えてるって聞きました。実害も出てるって」

「そりゃそうだが……しかし俺らみたいな一商人には不死者なんかどうにもならんよ。

 まぁそれでもエルシドの森以外にも使える街道はあるし、商隊なら護衛に魔術師をつけたりも出来る。エルシドの古代遺跡とは関わらず付き合って行くのがヨークの民のやり方だ」

「そうなんですか?」

「そうさ。不死者が増えてるって言っても以前に比べればって話さ。そういう類いの話はエデンじゃ珍しくもないだろう?」

 エドアルトは首を傾げる。

「【有翼の蛇戦争】は【オルフェーヴ大戦】とは違う。多くの英雄が競い合った英雄譚じゃなく、暴走したエルバト王国がしでかしたただの殺戮だ。

 たった十年ほど前のことだよ。

 無念のまま死んだ人間の魂が地上に留まることがあるのなら、そんな人間の魂はまだそのへんにうようよしてるだろうよ」


「……不死者って時間が経てば消えるんですか?」


 エドアルトは素朴な疑問だったのだろう。首を傾げる。

 主人はもっと首を傾げた。

「いんや知らん」

「……。」


 カタン、と音がした。


 隣の方を見ると吟遊詩人が演奏を終えて、カウンターの席に座った。

「やぁお兄さん。ご苦労さん。ありがとう。

 この街じゃ吟遊詩人は珍しいんで皆、楽しんでるよ」

「いえ」

「ロクなお礼は出来ないけどうまい飯食ってゆっくり休んで行ってくれ」

「ありがとうございます。助かります」

「今、料理を出すね」

 エドアルトはそっちへ視線を向けた。


 ――やっぱりまだ若い。


(すごい魔法を使っていたのに……)


 エドアルトは感心した。

 十五歳の彼にとって歳が近く、同じように一人で旅をしているという人に会うのは珍しいし初めてのことだった。

 なんだかそれだけでもエドアルトは嬉しくなる。


「あの……ありがとうございました」


 水を飲んでいた吟遊詩人の青年はチラ、とエドアルトの出した手を見た。

 それから彼の顔も見ると満面の笑みで握手を! とそこに書いてある。


 吟遊詩人の青年は手を握り返して来た。

 今までずっと手琴を演奏していたとは思えない、ひやりとした感触だった。


 青年は手を放すと手琴の手入れを始めた。

「聞きました。ここに連れて来てくれたって」

「あそこに置いて行くわけにもいかないよ」

「あの、少し話を聞いてもいいですか?」

「……別に構わないけど……食べながらでもいいかな」

 構わないと言ったわりには、あまり乗り気ではないように青年は見えた。

「さぁたくさん食べてくれ!」

 主人が料理を持って来る。

「あ、はい構いませ……」

 言った途端、ぐ~~~~~~きゅるきゅる……と暢気な音がした。

 青年が目を丸くしてエドアルトを見る。

「あ、う……、その……すみません」

 思わず赤面してしまった。

 するとそれまで涼しい表情をしていた吟遊詩人が一瞬表情を緩めた。


「君も食べる?」


(あ……笑った)


 あまり表情の変わらない人なのかなと思ったが思いの外、柔らかい笑顔だった。

「すみません、彼にも食事いただけますか。お支払いしますから」

「はっはっは! 構わんよ」

 主人が笑ってる。

「ようし、任せなさい! うまい飯を食わせてやるからなー」

 わしわしっと髪を混ぜられた。

 すっかり子供扱いに変わってしまった。

「す、すみません……」

 エドアルトは赤面しつつ、身体を小さくして着席したのだった。

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