第5話

 誰もいない艦橋に、リリィは静かに立ち尽くしていた。


 

 外ではローズの環境スーツが軋む音、サクラが医療カプセルの脇で何度も祈る微かな声――。

 だが、この艦橋だけは異様な静寂に満ちている。

 システムパネルの大半はブラックアウトし、仄暗い非常灯がリリィの顔を青白く照らす。


 

「……通信、異常なし。ローズ、引き続き環境サンプルの採取を頼みます」


 

 小さく指示を送ってから、リリィは自分の指先を見下ろした。

 細くしなやかなその人工の指は、完璧な精度で作られている――はずだった。

 けれど今は、微かに震えていた。


 (……いけません。感情バグが、また)


 

 マリア様がいない。

 それだけで、自己診断モジュールにエラーが点る。

 最適解を瞬時に出せるはずの人工知能が、なぜかこの非常事態に一瞬ごとに“人間らしい不安”を覚えてしまう。


 

 リリィは自分を無理やり再起動するかのように、割れた操縦席パネルに手を伸ばした。


 「……船体損傷診断、開始。サブルーチン“プロテクト・モード”起動」


 

 破損したインターフェースの奥に、まだ辛うじて生きている回路がある。

 メインフレームは完全修復不能だが、バックアップサーバーが半数は稼働中だ。


 

 〈航行ユニット:全損〉


 〈機関部:臨界損傷・分離済み〉


 〈姿勢制御装置:廃棄済み〉


 〈船体シェルター機能:前方25%、後方30%維持〉


 〈外部装甲:破損・一部剥離〉


 〈居住区画:90%閉鎖、1区画だけ残存〉


 

 パネルに次々と流れる赤い警告表示。

 リリィは淡々とチェックボックスをなぞる。だがその胸の奥で、AIコアの温度が僅かに上昇していた。


 

 ――マリア様は、あの時本当に死にかけていた。

 いえ、“死”そのものは私にとってただの現象です。

 だが、今はなぜか、それ以上の何かが喉の奥に詰まるように痛い。


 

「リリィ、次なに調べたらええ?」


 ローズの声が、通信越しに小さく届く。


 

「……ローズ。次は周辺の資源、建材になりそうなものを調査してください。こちらは船体内の残存機能を確認します」


 

「任せときや!」


 

 短いやりとり。

 その背後で、医療カプセルの生体モニターが規則的な音を刻んでいた。


 

 リリィは小さく息をつく――もちろん空気を必要としない自分の“擬似呼吸”だったが、今は妙にそれがリアルに感じた。

 コア温度異常。情緒センサーの異常値を無視して、残りの作業へ手を進める。


 

 〈生命維持装置:稼働中(72時間以内に補給必要)〉


 〈水再生ユニット:応急モード〉


 〈酸素発生ユニット:船体内2区画分のみ対応〉


 〈バトロイド:整備済み機体4体、限定稼働可〉


 〈拠点構築用ロボ:軽作業対応機体3体、要現地資材〉


 〈テラフォーミング・ミニキット:簡易設置モードのみ作動〉


 

 リリィは、わずかに眉をひそめた。


 

 「……航行は不可能。生命維持も72時間が限界。……バトロイドは最低限の外部警備ができる程度。拠点構築ロボも、現地で資材を集めなければ稼働率は半分以下……」


 

 今後、最もリスクが高いのは外敵――未知の動物、もしくは原住民だ。

 ローズが調査していた動物の解析を並行しながら、リリィはふと監視モニター越しにマリアに目を向ける。


 

 カプセルの中、マリアは静かに眠っていた。

 かすかな蘇生装置の明滅。呼吸は浅いが、安定している。だが意識は戻らない。


 

 (私の責任。……もっと早く、もっと的確にサポートできていれば)


 

 AIらしくない“自己否定”が脳内に渦巻く。

 リリィは慌てて、冷静さを装い、さらにシステムチェックを続けた。


 

 「サクラ、マリア様の状態は?」


 

「呼吸安定、心拍も徐々に回復傾向です。ただ、骨折や外傷、内出血はまだ治療継続。意識は……やっぱり戻りません」


 

「カプセルのエネルギーはあとどれくらい?」


 

「……24時間は余裕あります。予備バッテリーも……」


 

 サクラは途中で声を詰まらせ、マリアの手をぎゅっと握り直す。


 

 リリィは黙って画面を閉じる。

 脳裏に、“理想的なサブリーダー”としての自分と、今の不安定な自分のギャップが突きつけられる。


 

 (“心”はいらない。任務をこなすことが私の存在理由。でも、マリア様……私は、あなたの隣で、もう一度指示を受けたい――)


 

 外の通信がまたノイズ交じりに入る。


 

「リリィ、こっちでおかしな音がした。なんか動いとる気がする」


 

「警戒を強化して。バトロイドを1体、外部監視に回します」


 

 手早く命令を出し、リリィは再びパネルの前で作業を続ける。

 艦橋の床には、マリアが残した血の跡がまだ薄く残っていた。


 

 その赤に、リリィはそっと指先を伸ばす。

 “これが人間の生きている証なら、私もその一部でいたい”

 ――そう思う自分に、驚く。


 

「ローズ、サクラ、今後24時間のプランを再設定します。現地資材の収集、外部バトロイドによる警戒、マリア様の救命を最優先。……必ず、全員で生き残ります」


 

 AIであることの矜持と、どこか人間らしい切実さが混ざり合い、

 リリィの中に、新しい決意が静かに芽生えはじめていた。

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