第3話

 焼け焦げた鋼鉄と、断熱材が溶ける独特の刺激臭が、艦橋の隅々にまで染みついている。


 宇宙船は、もはやただの瓦礫と化していた。傾いた艦体の中、わずかに残る非常灯が赤く点滅し、煙の向こうで折れた配線が火花を散らしている。


 重力制御は完全に失われ、天井と床の区別すら曖昧になっていた。各所に血と油のような液体が入り混じり、崩れかけた機材の下敷きになった無数のケーブルが、まるで生き物のようにのたうっていた。


 そこは、もはや人間の生存を拒む無秩序の坩堝だった。


 

 ローズは、額から黒い液体を流しながら、呆然としたまま身を起こす。頬に残る火傷の痕は、皮膚の下で淡く光る粒子――ナノマシンによって、じわじわと修復されていく最中だった。だが、痛覚センサーが何度も警告を鳴らし続ける。


「……ちっ、派手にやられたわ」


 片腕はほとんど骨組みまで露出し、合成皮膚は裂け、精密なサーボモーターのひとつが焦げた臭いを発していた。


 それでも彼女は、関西訛りの呟きと共に、強引に自壊した回路を押さえ込む。

 体内のナノマシンが、破損箇所をスキャンし、分子レベルで合成修復を始める。壊れた筋繊維の代わりに高分子ゲルが流し込まれ、破れた皮膚がゆっくりと再生していく。


 痛みと熱の波が何度も身体を襲うが、それでもローズは目を閉じて、無言で耐えた。


 

 一方、サクラは倒れた計器卓の下、両膝を抱え込むようにして蹲っていた。

 ピンク色の髪には煤が付着し、制服の裾は裂け、あちこちに火傷の痕が浮かんでいる。彼女の体内ナノマシンもまた、熱と衝撃で暴走しかけた神経回路の修復に追われていた。


「……通信ユニット、再起動できる……はず……」


 細い指先が、震えながらも正確に自分の首元へ触れる。鎖骨の内側、人工骨の隙間に埋め込まれたインターフェースに、ナノマシンが集中投与されていく。


 僅かな電気的ノイズが脳裏に流れ、壊れたデバイスを解析しながら、自己修復用プログラムが静かに実行される。


 しかし痛みは消えない。彼女の表情には、うっすらと涙が滲んでいた。

 それでもサクラは、懸命に自らを励ますように、小さく呟いた。


「マリアちゃん……みんな……無事、かな……」


 短い言葉の隙間に、機械らしからぬ祈りが混じっていた。


 

 リリィは、冷静だった。いや、冷静でいようと、無理やり自己を制御していた。

 左脚は膝下から大きく損傷し、骨格を構成するカーボンフレームが剥き出しになっている。白く煙る油圧オイルが、滴り落ちるたびに床へ小さな水たまりを作っていた。


 リリィはすぐさま、自分の体内管理モジュールへ命令を下した。

 傷口に集まったナノマシンが、ダメージ部位を瞬時にスキャンし、必要な修復工程を算出していく。彼女の脳内に、赤いエラーコードがいくつも点滅したが、それを一つずつ最適化し、痛みを麻痺させるように自己制御する。


 マリアの意識が、船内のどこかで微かにでも感じ取れる限り、自分が倒れるわけにはいかない。


「……稼働率、あと47パーセント。十分、動ける」


 静かな声で、そう自分に言い聞かせる。

 そして、手元に残った応急修理キットを握りしめ、艦橋の中央――マリアの座席を目指した。


 

 艦内の空気は、焦げ臭く濁っている。呼吸をするたびに、センサーが警告音を発する。酸素濃度は下限ギリギリ。二酸化炭素は閾値を超えていた。


 ローズが身をよじって艦橋の天井パネルを蹴り飛ばすと、上からは更に大量の埃と断熱材のくずが降り注いだ。


「サクラ、生きてるか?」


 くぐもった声でローズが呼びかける。

 サクラは、かろうじて顔を上げ、小さく手を挙げて応えた。


「だ、大丈夫……データ回線、復旧した……たぶん……」


 その声はかすれていたが、確かに生気を取り戻しつつあった。


「よっしゃ。リリィ、お前も無事か?」


 リリィは一瞬だけ目を閉じ、ローズに向かってわずかに頷いた。


「問題ありません。マリア様の状態を優先します」


 即答するリリィの声には、機械的な冷静さと、どこか切実な響きが混在していた。


 

 艦橋の中央――マリアは、シートに縫い付けられるようにして横たわっていた。

 その顔は頭部からの出血で赤く染まり、右足からは鮮血が勢いよく溢れ出ている。


 リリィはローズと目配せを交わし、二人で慎重にマリアの身体を持ち上げる。

 ナノマシンは、マリアの体内に入れない。だからこそ、彼女たち自身の手で守るしかなかった。

 サクラは手早く医療キットを持ってくると、マリアの傷口を押さえながらデータパネルを覗き込む。


「出血多量……ショック状態。急がないと……!」


 震える声に、ローズが応じる。


「運ぶで、リリィ!」


「了解。マリア様、ご安心ください。すぐに医療区画へ」


 ローズの腕が、ギシギシと軋む音を立てる。内蔵ナノマシンが、損傷した筋肉繊維を強制的に補修しながら、無理やり腕力を引き出していた。

 リリィも、片脚を引きずりつつ、ローズの動きを正確にサポートする。

 火花が舞う通路を、三人は全力で駆け抜ける。


 

 焼け焦げた医療区画に、わずかに生き残った自動医療カプセルが静かに佇んでいる。

 サクラがカプセルの蓋を開き、必要なセンサーを次々と取り付けていく。


「カプセル、全自動蘇生モード……起動します!」


 白いガスが噴き出し、冷たい金属のアームがマリアの身体を優しく受け入れる。

 ローズとリリィは、そっとマリアを横たえると、その手を一瞬だけ握りしめた。

 サクラは涙ぐみながらも、冷静に手順を進めていく。


 

 医療カプセルが作動し、無数の細いアームがマリアの全身をスキャンし、薬液を注入し始める。

 ガラス越しに、サクラは両手を組んで祈るような仕草を見せた。


「お願い……マリアちゃん、絶対、戻ってきて……」


 リリィはデータパネルを凝視し、ローズはサクラの肩を支える。

 

 船内にはまだ、危険が満ちていた。

 酸素は薄く、煙は立ち込め、どこかで小さな爆発音が響いている。

 それでも、三人のセクサロイドは、必死に主を守ろうと、機械の身体を酷使し続けていた。

 

 医療カプセルのガラスに、曇った息が淡く残る。

 誰も言葉を発せず、ただ静かに、マリアの生還を祈るばかりだった。

 

 嵐の後の、静寂。

 宇宙船の外では、焼けた森と黒煙が、風に流されていく。

 艦内には、蘇生装置の電子音だけが、不安げに鳴り響いていた。

 

 危機は、まだ終わっていなかった。

 

 だが、三人のセクサロイドの眼差しには、微かな希望が宿り始めていた――。

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