第27話【無間紐帯】

「──────ッッッ!!!!」


 東殿の修復にあたっていた陀津羅は、突然、身を裂くような激痛に襲われた。うずくまって床に両手をつくと、吹き出した汗がぽたぽたと落ちて染みを作った。痛みは一瞬だったが、酷い耳鳴りと目眩がする。夕立の身に何かあったことは明白で、その感覚の痛烈さに、心臓がどくどくと厭な音を立てた。


「ハッ……ハッ……っ、そんな……まさか……ッ」


 まだ続く耳鳴りに平衡感覚を狂わされ、よろめきながらも無理に立ち上がる。


「……嘘、嘘だ……有り得ない、絶対に……。こんなの……何かの間違いだ……」


 否定の言葉を呟きながら、壁伝いに北殿を目指す。あの後、「もう少し休んでいて」と言って夕立を部屋に残し、東殿へ向かったのだ。まだ部屋で眠っているか、もしかしたら復旧作業を手伝っているかもしれない。

 歪む視界の中、必死で周囲を見回しながら進んでいると、不意に緑青ろくしょう色が視界に広がった。


「……陀津羅君……大丈夫……?」

「羽衣石、さん……」


 足がもつれ、地に伏す寸前でたくましい腕に支えられる。


「おいおい、こいつ、顔色が真っ青通り越して緑だぞ。なんか気付け薬みたいなの持ってないか?」

「……効くか分からないけど……一応、あるよ……」

「なにこの瓶、飲ませりゃ良いの?」

「……僕がやる……。そのまま寝かせて、頭支えてて……」


 そんなやり取りが聞こえ、鼻と口に白い布が当てられた。布からは薫衣草くぬえそう薄荷はっかが混ざったような匂いがする。


「……ゆっくり、深呼吸して……」


 羽衣石に言われるがまま呼吸を繰り返していると、徐々に耳鳴りが治まっていく。目を開けると、羽衣石と真砂まさごが両側から覗き込んでいた。


「お、顔色マシになったな」

「……効いたみたいだね……良かった……」

「ええ……もう大丈夫です。有難うございました」


 陀津羅は礼を言って立ち上がると、もう一度深く息を吸った。


「ほんとに大丈夫か? 何があったんだよ」

「突然、体が激しく痛んで……。それはすぐ治まったんですが、酷い耳鳴りで気分が悪くなったんです」


 ようやく霧が晴れた思考で羽衣石を見た時、ふと気づく。


「……羽衣石さん、なぜこんな所に居るんです? 夕立を見ているはずでは?」

「……」


 うつむいて答えない姿に、再び心臓がどくりと鳴る。陀津羅は羽衣石の肩を掴んで詰め寄った。


「どうして黙ってるんですか? 夕立はどこです? 知ってますよね、貴方なら。ねえ、何か言ってくださいよ……」

「……落ち着いて……また、具合が悪く──」

「そんなことはどうでもいいッ! 夕立はどうしたか聞いてるんだよ! さっきの感覚はなんだ!? あの人は無事なのか!? なあ! 答えろよ!」

「……」


 噛みつかんばかりに声を張り上げる陀津羅と押し黙る羽衣石に、見かねた真砂が割って入る。


「おい、やめろ。お前がそんなだから、羽衣石も話すに話せないんだろうが。こんな所でヒスるなよ」


 ふと周囲を見ると、修繕にあたっていた獄卒たちが何事かと集まっていた。陀津羅は気まずそうに視線を落とし、羽衣石から手を離して呟いた。


「……すみませんでした、羽衣石さん。お願いですから、何か知っているなら教えて下さい」

「……分かった……場所を変えよう……。ついてきて……」

「なー、俺も行って良い?」

「……大人しくしてられるなら、良いよ……」


 そうして二人が案内されたのは、無間むげん地獄だった。なぜこんな所に、といぶかしみながらついて行くと、巨大な黒い火柱の前に座り込む人影が見えてきた。

 火柱はところどころに見られるが、眼前の物は他と比べ物にならないほど大きく、膨大な妖気を放っている。そしてその妖気は、陀津羅のよく知るものだった。

 羽衣石はそこで立ち止まり、黙って火柱を指さした。陀津羅はその意味する所を即座に解し、呆然と立ち尽くす。いつも五月蝿いほどよく喋る真砂でさえ、薄く口を開いたまま言葉をなくしていた。

 しばらく火柱を凝視して硬直していた陀津羅は、ゆっくり視線を地面に移した。静かに座しているのは閻魔で、その手元を見て愕然とする。


「……降魔印……? まさか……」

「ああ。わしが封印した、この手でな」

「そん、な──……」


 陀津羅は閻魔の隣に、力無くくずおれた。


「……何故、貴方がこんなことを……」

「釈迦が……十王会議が決定したからじゃ」

「どうして、話して下さらなかったんですか……」

「話したところで、ぬしが取り乱すだけじゃろう。泣こうが喚こうが、この決定は誰にも変えられん。わしはもう、怒るのも嘆くのも疲れた。あやつには最期くらい、心静かに過ごさせてやりたかったのじゃ」


 陀津羅はそれ以上、何も聞けなかった。淡々と話す閻魔の声が掠れているのは、熱風のせいではないと分かるからだ。惜しみない愛と慈しみを注ぎ、大切に育ててきた者を、その手にかけねばならなかった傷心は、ただ失っただけの自分には計り知れない。この人の前でだけは、前後不覚に取り乱すことはできないのだ。

 ひっそりと慟哭しているような二人の背を、羽衣石と真砂は燃え盛る業火と共に見つめていた。


 しばらくして、閻魔はふところから何かを取り出した。


「事が済んだら渡してほしいと、形見分けを預かっておる。はからずも、顔ぶれが揃うた今が機であろう。これは真砂へ」

「あ、俺があげた腕輪念珠だ。ええ……? こういうのって普通、もらった相手に返さないですよね? 形見分けの意味よ……」

「意味なら充分あるぞ。あやつは妖気が落ち着いた後も、それを肌身離さず付けておった。効力もあったじゃろうが、ぬしの思いを大事にしておったのであろうよ」

「へぇ……そう言われると、かなり嬉しいもんですね。じゃあサイズ直して、今後は俺が付けることにしますよ」

「それが良かろう」


 ほろ苦く笑って念珠を受け取った真砂に頷くと、閻魔は羽衣石へ顔を向けた。


「次はぬしじゃ」

「え……僕にも……? これは、髪留めですか……」

「あやつはよく前髪を結わえるから、山のように髪飾りをもろうておった。中でも、それはあやつが可愛がっておった獄卒の手製でな。好んで付けておった物じゃ。前髪が鬱陶しいからどうにかしろ、と言付ことづかったぞ」

「……有難う、ございます……。大切にします……」


 そして閻魔は、枯れた地に視線を落として座り込んでいる陀津羅を見やった。


「陀津羅よ」

「……要りません……。形見なんて必要ない……。彼は、死んでなどいませんから……」

「よいから聞け。ぬしに残されたのは物ではない。心じゃ」

「──は、い? おっしゃる意味が、分かりません……」

「あやつは、ようやく解ったと言っておった。愛し、愛される喜びを知り、生まれて初めて満たされたとな。あやつは最期に、ぬしへの愛に気づいたのじゃ」

「愛……? 彼が、私を……?」

「ああ。あやつはぬしを愛しておったよ」


 閻魔の言葉を肯定するように、ごう、と火柱が揺れて風が吹く。焼けるほど熱いはずのそれは、まるで陽だまりのような優しい温もりで皆を包んだ。

 陀津羅の目から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出る。風にあおられて覗いた羽衣石の瞳からも同じ物が流れ、頬を伝っていた。真砂だけは僅かに眉をひそめて閻魔を見たが、何も言わずに視線を火柱へ戻した。

 他人を騙し、自分を騙し、嘘偽りを重畳ちょうじょうとせねばならぬほど、この喪失は大きすぎたのだ。それぞれの想いを胸に抱き、皆、静かに黒い炎を見つめていた。


──出逢ったことに悔いはない。

 愛したことに悔いはない。

 愛されたこと、愛されなかったことに悔いはない。

 夕立ぬし・貴方・お前・君が救われたのならば、この千年に後悔など微塵もない──


 祟り神とは思えないほど美しく、穏やかに燃え続ける炎は、まるで無垢な魂の輝きそのもののようだった。

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