第17話【叫喚地獄】※
ある日。裁きの間では、
「どうしたんですか、陀津羅様。随分とお悩みのご様子ですけど」
「陀津羅さまが怖い顔するなんて珍しいですねー。そんなに厄介な案件なんですか?」
「ええ、まあ……。仕事なので致し方ないのですが、できるだけ関わりたくない人が居ましてね……」
夕立は陀津羅が睨んでいた書類を覗き込むと、「ああ」と納得した声を上げた。
「
「叫喚って、お酒関係の地獄ですよね。陀津羅様、酔ってやらかした亡者がお嫌いなんですか?」
「いえ、亡者ではなくてですね……」
「あそこの副獄長は、ちょっと癖が強くてな。陀津羅が唯一、顔も見たくないほど合わない奴なんだよ」
夕立の説明に、丑生たちは驚きに顔を見合わせた。
陀津羅といえば、どんな業務もそつ無くこなし、人当たりも良いオールラウンダーというイメージが定着している。そんな陀津羅でさえ手を焼く鬼とは、いったいどれほどの悪鬼なのかと月出が考えていると、夕立が取り上げた書類をひらひらさせながら言った。
「代わってやるよ。視察なんて、別にお前じゃなきゃ駄目ってわけでもねぇし」
「うーん……でもなぁ……それはそれで、逃げてるみたいで癪に障るんですよねぇ」
「お前も大概、負けず嫌いだよな。良いじゃねぇか、いつも俺が行ってるんだから。暇なら丑生と月出も行くか?」
「わーい! 行きまーす!」
「お供します。その副長さんも気になりますし、叫喚地獄は行ったことがないので、見学したいです」
「二人もこう言ってるし、任せろよ」
「そうですか……。では、お言葉に甘えてお願いします」
獄卒とひとくちに言っても、職場によって性質は大きく異なる。
閻魔庁で業務をこなす者は、デスクワークや掃除などの軽作業が主で、頭脳派の鬼が就く。一方、地獄で亡者の
勤務地も役割も異なるため、職務上の交流はほとんどない。夕立や陀津羅の視察などに同行しない限り、丑生らが刑場へ赴く機会はないのだ。
「着いたぞ「ヒーハー! 亡者ぶっころーす!」ここが「ぎゃああああー!」叫喚「逃げんなコラァ!」地獄だ」
「おお……「助けてくれぇえええ!」なんと言うか「死んで死んで死に晒せェエ!」凄まじいな……」
「耳が「ひぎゃぁ゙あ゙あ゙ア゙ァ゙あ゙!」痛い「ぎィ゙い゙イ゙イ゙ア゙ァ゙ぁ゙ア゙!」ですー!」
会話もままならないほど、獄卒の怒号と亡者の悲鳴が飛び交っている。文字通りの叫喚に、月出らはドン引きしながら血しぶきを避けていた。夕立は会話を諦め、手振りで行く先を示して先に進む。
周囲の喧騒が薄れた辺りで、岩肌が剥き出しになった小山が現れた。山頂近くに入口らしき穴があいており、そこから細い道が下まで続いている。
夕立は登り口の前で足を止め、煙管を取り出して一服する。
「相変わらずうるせぇな、ここは」
「……なんか、ただ歩いてるだけでめちゃくちゃ疲れました……。叫喚地獄でこれなら、
「まぁな。けど、こことはまたちょっと違う。叫喚は亡者より獄卒がやかましいんだよな。奇声あげなきゃ呵責できねぇのか、あいつら」
「確かに、ヒャッハーしてましたね! ちょっと楽しそう!」
「おやぁ、新入りを連れてきてくれたのかい? 夕立くん」
「うわあっ!」
突然、細い三日月のように口角を吊り上げてにんまり笑う鬼が、月出の背後から気配もなく現れた。夕立は面倒そうに紫煙を吐きつつ、月出を自分のほうへ引き寄せて答える。
「ちげーよ。こいつらは俺の連れだ。ちょっかいかけんな」
「なぁんだ。久々に赤毛が来たから、ちょいと味見しようと思ったのに。近頃はめっきり純色が減っちまって、退屈な時代になったもんだよねぇ」
「ぼ、僕は純色じゃありませんよ!」
怪しげな鬼の登場に、月出は夕立の背後から動揺しつつ反論する。
冴えた瑠璃色の髪に涼しげな目、黒光りする二本角、白煙のような白い肌。すらりと長い手足に均整の取れた筋肉、と肉体美の集大成のような美しい鬼は、しゃなりと夕立に
「こいつが叫喚の副獄長、
「……この方が、あの有名な茨木童子様……」
「うわぁ、すっごい綺麗な髪と目! 五蓋の青だ、珍しいー!」
「可愛い子たちだねぇ。夕立くんも、良い玩具を手に入れたようじゃないか」
「玩具じゃなくて部下な。俺にはお前みたいな趣味はねぇんだよ」
蛇のようにまとわりつく茨木童子に、夕立は鬱陶しげに顔をしかめながらも拒絶しない。
「じゃあ、今日も君が私の遊び相手になってくれるのかな?」
「……後にしろ。こっちは仕事しに来てんだ」
茨木童子は夕立の耳へぴったりと唇を付け、
「で、獄長は居るのか?」
「ああ、居るよ。どうぞお上がり」
茨木童子がふうっと紫煙を吐くと、夕立らの体が煙に巻かれて押し上げられ、あっという間に岩窟の入口に着いた。中は無数の蝋燭に照らされて明るく、洒落た天蓋と敷布の中心に、一人の鬼が机に向かって座している。
「邪魔するぞ」
「おお、夕立殿。来られていたか。気付かずに申し訳ない」
「いや、忙しい所へ悪ぃな。視察に来た」
「こいつが獄長の
「は、初めまして。月出と申します」
「こんにちは! 丑生です!」
「うむ。礼儀正しく、気骨のありそうな若者だな。やはり、夕立殿は見る目が肥えておられる」
「確かにこいつらはよくやってるが、俺の目は関係ねぇよ」
酒呑童子は
「それで、何か変わったことや
「ない、と言いたいが、深刻な人手不足に悩まされているのは事実だな。年々、亡者が増え過ぎて、獄卒の手が回っていない。この問題は、次の
「ああ、そりゃどこも同じだから、争点になるだろう。いつも苦労ばかりかけてすまんな」
「なんの。夕立殿はわざわざ現場に足を運び、下々の声を聞いて下さっている。そんな官僚は少ない。万事が上手く行かずとも、その心遣いは感謝に尽きる」
「相変わらず
夕立と酒呑童子の醸し出す雰囲気に、月出らは圧倒されていた。閻魔庁の右大臣と高名な獄長が
「じゃあな、また来る」
「夕立殿」
と、踵を返しかけた夕立を、酒呑童子が思案げに呼び止めた。
「その……茨木には、会って行かれるのか」
「ああ、さっき出くわしちまったからな。今日は連れも居るし、なんとか巻けりゃいいんだが、期待できねぇわ」
「そうか……。いつも夕立殿には申し訳ないと思っているのだが、あれは俺にも止められんのだ。陀津羅殿も、さぞ気分を害しておられるだろうな」
「なんてことねぇよ。こっちは気にしなくて良い。あんたはあんまりストレス溜めんなよ。今度、また飲みに行こうぜ」
「是非とも。心遣い、痛み入る」
「おう」
ひらひらと片手を振り、今度こそ夕立らは岩窟を出た。
山を下りるなり、月出が盛大に息をつく。
「はぁー……半端ないですね……。圧に萎縮しっぱなしでした……」
「さすがだよね、酒呑童子さま! かっこよくて男らしくて、アニキって感じだった!」
「そうだな。もとは悪鬼だが、あいつには武士より武士らしい
「へえー、すごい! 男前ーっ!」
「確かに格好良いですけど、そんなに真っ直ぐなのに、なんで悪さばかりしてたのかという疑問が湧く話ですね……」
「さあ? 若気の至りってやつじゃねぇの」
「酒呑童子様の凄さはよく分かりましたが、改めて夕立様の
「煽ててもなんも出ねぇって、いつも言ってんだろ。さて、仕事は済んだし、あいつに出くわさねぇうちに戻るか」
ふと、丑生が不思議そうな声を上げた。
「あれ? 叫喚地獄にも女性がいるんですねー。しかもすっごい美人!」
「げ、あいつは……」
「夕立様のお知り合いですか?」
「お前ら、あんま見んな。しばらくメシ食えなくなっても知らねぇぞ。つーか、さっき食ったもんが出るのが先かもな」
「え? それってどう言う……」
夕立がげっそりする視線の先には、艶やかな瑠璃色の髪を結った美女が
悲鳴を上げて逃げる亡者の背にのしかかり、手足をあらぬ方向へ折り曲げ、鋭い爪で皮膚を肉ごと削ぎ、それを食いながら犯している。恍惚とした表情で甲高く笑う姿は、まさに悪鬼そのものだ。
亡者の断末魔と茨木童子の高笑いが混ざるおぞましい光景に、月出は口元をおおって目を逸らした。さすがの丑生も顔色を悪くしている。
「あいつは鬼の中でも飛び抜けた鬼畜外道でな。相手が嫌がれば嫌がるほど、苦しめば苦しむほど高揚する。人の絶望で勃起する変態だ。陀津羅は仏の眷属だから、あそこまでの品性下劣には我慢ならねぇのさ。逆に、茨木はそういう高邁なモンを
「ああ……。だから陀津羅様、あんなに渋ってらしたんですね……」
「まあ、鬼らしいと言えばらしいですけどねー。絵に描いたような人喰い鬼って感じ」
「あいつの厄介なとこは、変態ってだけじゃな──」
と、夕立の言葉がふっつり途切れた。
「夕立くーん、遊んでくれるって言ったよねぇ? 私、もう待てないよぉ」
粘着質な声音で言う茨木童子の腕が、背後から夕立の腹部を貫いていた。その手には内蔵の一部が握られており、辺りがいっきに錆臭くなった。丑生らが呆然と立ち尽くす前で、夕立の口と腹からごぼごぼと血が溢れる。
「……っせめて、ひと声かけろよ……。マナー違反は嫌われるぞ……早漏野郎……ッ」
「あァ……良いなぁ、とても良い。その顔、声、反応、妖力……何もかも完璧だ。最高に
「ぐぅッ……ぁ゙、あ゙っ!」
茨木童子は
そんな中、丑生はおもむろに懐から端末を取り出し、何やら操作すると落ち着き払った声で言った。
「茨木童子さま、獄卒への暴力行為は、冥土条例に抵触します。特に官職への暴行は、現行犯なら俺たちでも逮捕できるんですよねー。知ってました?」
「条例? アハハッ、なに可愛いこと言ってんだか。これは合意の上なの。暴行じゃなくて和姦なの。そうだよねぇ、夕立くん。君もこうされるのが、好きでたまらないだろ?」
「……んなワケ、ねぇだろ……ッ」
「あらら、君って本当に素直じゃないなぁ。ま、そういう所がまた良いんだけどさ。でも、あんまり小うるさいのが居ると、興が削がれちまうんだよねぇ。見学者は見学者らしく、静かにしててもらおうか」
「っ!? ま、て……ッ!」
夕立を
「これ録画中なんですよー。ちなみに、さっきのやり取りは保存済みなので、端末壊してもサーバーにデータが残ってるんです。テクノロジーの進化って凄いですよねー」
「ふうん、面白いことしてくれるね。でも、それは牽制どころか交渉材料にすらならないよ。私の遊び方ならみんな知ってる。あの潔癖症の左大臣でさえ黙認してるんだ。今更そんなもの見せたって、なんの意味もないのさ」
「うーん、陀津羅さまは、夕立さまが乱暴されてるって知らないと思うんですよねー。知ってたら絶対、黙ってるワケないですもん。あと、もちろん閻魔さまにも知らせます! 違反報告は獄卒の義務ですからね!」
丑生の言葉に、茨木童子は醜く顔を歪めて舌打ちした。陀津羅だけならともかく、閻魔まで出てきては面倒なことになる。しばし押し黙った後、茨木童子は両手を上げて降参の仕草を取り、夕立から離れた。
「参った、参った。分かったよ、もう何もしない」
解放された夕立に、すぐさま月出が駆け寄って抱き起こす。腹部に空いた穴は既に塞がり始めており、回復力の高さに驚かされた。
「やれやれ。近頃の若いのは、やたら
「夕立さまは玩具じゃないですよー! そんなの亡者相手で十分でしょ。殺してもすぐ元に戻るんですからー」
「人は脆くて駄目なんだよ、心がさ。ひぃひぃ泣き喚くばかりで、ちっとも面白くない。その点、夕立くんは体も心も頑丈だし、何より美しい。気をやる時の顔なんて、もう最高でねぇ。私はそれを見るために、彼以外の鬼には手を出さないと約束したほどなんだよ。どうだい? 君も見てみたくないかい?」
「それはちょっと見てみた「くないですッ! もう黙ってろ、バカ丑生!」
本気で答えかけた丑生の言葉を月出が遮り、茨木童子は楽しそうな笑い声を立てた。
「面白いなぁ、気に入った。夕立くん、今度から茶色の子も連れてきておくれよ。もっと楽しくなりそうだから」
「お断りだ、くそ野郎。来るたびズタボロにしやがって、針子に怒られるの俺なんだぞ。てめぇもちったぁ、反省と学習しろよ」
「ごめん、ごめん。今日こそちゃんと脱がせようと思ってたんだよ? でも、君が焦らすからさぁ」
すっかり回復した夕立が、破れて血塗れの着物をつまみながら文句を言う姿に、月出は愕然としていた。
「え、着物の話してる……? この状況で……?」
「夕立さまも結構、ズレてるからなぁー。録画して脅すより、優しく見守ったほうが良かったのかも?」
「そんなワケないだろ。それにしても、よくあの状況で冷静に対処できたよなぁ。僕は頭が真っ白になっちゃって、吐かないようにするだけで精一杯だったよ……。情けない……」
「なにかあったら撮影か録画って、社会の基本だからね!」
「初耳だよ。どこの社会の基本なの、それ」
こうして、なんだかんだありつつ、叫喚地獄の視察は終了したのだった。
◇
帰庁後。
「夕立、その着物は何ごとです?」
「……転んだ」
「嘘おっしゃい。あのゴミムシにやられたんですね」
「……未遂だ」
「丑生、月出、ちょっと来なさい」
「「ひぇ」」
着替え忘れた血塗れの着物ですべて露見し、夕立は陀津羅にめちゃくちゃ怒られた。
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