第6話【十王と神仏】

 亡者を裁き、六道の行き先を決める十人の裁判官。それが十王と呼ばれる王たちだ。

 十王にはついとなる神仏の姿、本地仏ほんじぶつがある。冥土、もしくは冥府に身を置いて亡者と向き合う十王に対し、本地仏は極楽浄土や天界から生者を見守っているのだ。

 神仏に明確な格付けは無いものの、とくの高さによって尊格そんかくが分けられている。

 極楽浄土のおさは、悟りを開いた者の最高位である如来にょらい釈迦しゃか如来だ。現世でも仏教の開祖、お釈迦様として広く知られており、第二裁判官の初江王しょこうおうと対になっている。

 第七裁判官、泰山王たいざんおう薬師如来やくしにょらい、第十裁判官の五道転輪王ごどうてんりんおう阿弥陀如来あみだにょらいである。

 如来に続く位は菩薩ぼさつだ。閻魔王の本地である地蔵菩薩じぞうぼさつの他に、文殊菩薩もんじゅぼさつ観音菩薩かんのんぼさつなどが名を連ねている。十王のうち、六名の本地仏が菩薩位だ。

 菩薩の次が明王みょうおう。第一裁判官、秦広王しんこうおうの本地仏が不動明王ふどうみょうおうである。

 そして天部てんぶだ。ほとんどが天界に住まう神で、帝釈天の率いる三十三天や四天王なども天部に属する。

 このように神仏は如来、菩薩、明王、天部の順に、徳の高さや能力で区分されている。当然ながら位の高い者ほど法力は強く、立場や発言力の強さも比例するのだ。


 極楽浄土。伽羅香きゃらこうが漂う、美しくはちすの花が咲きほこる池のほとりに、釈迦如来が微笑を浮かべて静かにたたずんでいた。そこへ十大弟子の一人、羅睺羅らごらが歩み寄る。十大弟子とは釈迦の主要な十人の弟子で、浄土の幹部を務める者たちだ。

 羅睺羅は釈迦の実子である。生前、釈迦は一国の王子だった。妻も数人居り、欲に耽る日々を送っていた。その時にできた子が羅睺羅だ。

 出家後、釈迦はこれを罪悪と考え、酷く悔いた。ゆえに、障害や悪魔という意味を持つ羅睺羅と名付けたのだ。

 羅睺羅は母胎に六年間、障蔽しょうへいされた末、釈迦が悟りを開いた月食の晩に産まれたという。面立ちは釈迦に似ておらず、あらゆる不名誉な噂が付きまとった。しかし父の後を追って出家すると、正しく修行を為して大悟に至り、〝密行第一〟と称されるまでになったのだ。

 釈迦の横から蓮池を覗き込んだ羅睺羅は、そこに映し出されている夕立の姿を見ると穏やかな声をかけた。


「夕立殿は随分、良くお育ちになられましたね。すっかり右大臣のお仕事にも馴染んでおられますし。こうして見ていると、並の鬼神よりもよほどご立派です」

「そうですね。人望も厚く、大変に充実しているご様子です。これも、閻魔王の格別なる寵愛の賜物なのでしょう。あの方は思慮深く、慈愛に満ち溢れていらっしゃる。菩薩に置くには、もったいない御仁であらせられますから」

「では、これを機に如来へ格上げなされてはいかがでしょう。おっしゃるように、資質は充分かと存じますが」

「確かに資質は申し分ありません。しかし、残念ながら閻魔王も地蔵菩薩も、それを望んでおられぬのですよ。まだその時ではないとお考えなのか、もしくは、わたくしへの些細な反目かもしれません。なにせ、わたくしたちはその昔、あの子を取り合った仲ですものね」


 愉快そうな笑みをこぼす釈迦に、羅睺羅は眉を曇らせ、声を低くして囁いた。


「しかし、天部の干渉により、夕立殿は己の過去に触れつつございます。いくら自我が定着してしばらく経つとはいえ、それが保てるのは閻魔王のご助力あってのものでございましょう。万が一、あの妖力が暴走などすれば、冥土の破綻を招くやもしれません。念の為、閻魔王のお力を高めておくか、天部を諌めるか、何かしらの策を講じたほうが……」


 焦燥を滲ませる羅睺羅の言葉を、釈迦はゆるりと右手を挙げて制した。


「それはいらぬ心配ですよ、羅睺羅。数百年前ならいざ知らず、今の彼ならば大丈夫でしょう。わたくしが彼を浄土へ招こうとしたのは、あくまで当時の状況が危険だと判断したからです。あれから様々な物事が移り変わってきました。閻魔王も傍におられますし、静かに見守ることもまた、愛というものです」


 諭すような深い声音に、羅睺羅はこうべを垂れて謝意を示す。


左様さようでございますね。差し出がましいことを申し上げ、失礼致しました」

「よいのですよ。それも、あなたの持ちうる美徳からの思いなのですからね。それよりも……」


 釈迦が水面をすっと撫でると、今度は帝釈天の姿が映った。目を細めてそれを眺めながら、釈迦は抑揚のない声で呟く。


憍尸迦きょうしか、憐れな神よ。その魂の曇り無きゆえに救われぬ。今はあちらより、こちらに目を向けてやってください。もう、あまり長くは持たないでしょうから」

「それは重々、承知しておりますが……何があろうと、手出ししてはならないと?」

「ええ。わたくしたちは、あくまで見守る立場です。一線を超え、均衡を崩してはなりません」

「……承知致しました」


 苦い顔をする羅睺羅へ、釈迦は柔和に微笑みかける。


「安心なさい。いざとなれば、わたくしも知らぬふりはいたしませんよ。冥土の安寧と均衡を保つことは、わたくしの大切な務めですからね」

「はい。すべては貴方様の御心のままに」


 芳醇な伽羅の香りに満ち、閑々かんかんたる音楽がほのかに奏でられる極楽浄土は、十王省や六道の干渉を受けない不可侵領域。絶対的中立世界だ。しかし、そんな浄土にさえ、波紋は確実に広がりを見せているのであった。



 これはまだ、夕立と陀津羅が大臣になって間も無い頃の話。


〝天知る地知る、鬼が知る。

 閻魔庁の右大臣は、王の情夫いろらしい〟


「見ろよ、あれが夕立様だぜ。なんでもすげぇ妖力の持ち主だってんで、新人りのくせに異例の大出世だ」

「ふん、本当かねぇ。なまっちろいし、顔もまるで女みたいだ。あながち、あの噂もまったくの出鱈目でたらめとは言いきれないんじゃないか?」

「確かになぁ。聞いた話じゃ、夜更けに閻魔様の部屋から出てくるところを見たってヤツが、何人も居るんだと」

「へぇ……一体、なにをやってるんだかな」

「なにってそりゃお前、ナニだろうよ」

「はははっ! 違いねぇ!」


 突如、降って湧いた得体の知れぬ鬼の成り上がりに、世間は下卑た噂をくちさがなく囁きあい、嫉妬と疑念の眼差しを向けていた。


「──この亡者は幼い頃から素行が悪く、乱暴者でいさかいが絶えなかったようですね」

「下っ端のごろつきで、小競り合いの末に刺殺された。これは修羅だな」

「よかろう、判決は修羅道じゃ。次の亡者を呼べ」


 裁きの間にて玉座の両脇に立ち、てきぱきと亡者を裁いていく夕立と陀津羅は、嫌でも目を引く存在だ。二人の姿を遠巻きに眺める獄卒たちは苦い顔をしつつ、声を潜めてこんな話をしていた。


「ところでよ、あの陀津羅様ってのは、閻魔王の眷属だって話は本当か?」

「ああ、そうらしい。そんな鬼神がいたなんて、聞いたこともなかったがな」

「妙な右大臣が現れた途端に、今度は眷属の左大臣たぁ……どうもキナくせぇ」

「閻魔王は一体、何をお考えなのかね」

「もしかすると、王はあの右大臣にそそのかされてるんじゃねぇか? 噂じゃあいつ、九尾の妖狐とやけに親しいらしいぜ」

「そうだな、確かにあの鬼は怪しい……。こりゃあ、ちと探ってみる必要がありそうだな」

「ああ……」


 休憩に入った夕立がかわやで用を足して個室から出ると、二人の獄卒が行く手を阻むように立ち塞がっていた。先ほど夕立らを見てひそひそと話していた連中だ。とても穏やかでない雰囲気の中、夕立は眉尻を下げたまま、つまらなそうな顔で首をかしげた。


「なんだ、てめぇら。そんなとこに突っ立ってられっと、邪魔なんだが」

「ふん……まだ生まれたてのひよっこのくせに、右大臣様となりゃあ態度がでかいな」

「どうせ王の前では猫かぶってんだろ? なぁ、俺たちにも教えてくれよ。どんな手練手管で冥府の王をたぶらかしたかをよ」


 またそれか、と夕立は小さく溜め息をついた。右大臣になってからというもの、嫌がらせを受けたり、こうした輩に絡まれることが格段に増えたのだ。いつもなら無視してやり過ごすところだが、進路を塞がれていてはそうもいかない。面倒に思いつつ、夕立は首の後ろへ手をやった。


「俺は口も巧くねぇし、妖力の加減もできねぇんだ。なんで大臣なんかに任命されたのか、俺のほうが知りてぇよ」

「謙遜のつもりか? 笑わせる。そんな出来損ないが、右大臣になれるはずないだろうが」

「もったいぶってないで吐けよ。そんな嘘で誤魔化せるほど、俺たちは馬鹿じゃねぇぞ」

「……ったく、めんどくせぇな。謙遜でもねぇし、誤魔化してもねぇ。すべて事実だ。信じねぇのは勝手だが、これ以上話しても時間の無駄だ。さっさとそこを退きやがれ」


 夕立は獄卒の肩を押して立ち去ろうと試みたが、逆にその腕を捕まれ、背後へ投げ飛ばされた。したたかに後頭部を壁にぶつけ、個室に逆戻りの格好である。打ち付けた頭の痛みの中で、ボットンしなくて良かったな、などと的はずれなことを思った。座りこんでいる夕立の髪を、獄卒の片方が掴みあげた。


「口が巧くないと言ったな。ならば、やはり色か。天人みてぇな小綺麗なツラしやがって。この顔と体で、王を骨抜きにしたんだろう」

「……」


 相変わらず退屈そうな表情で黙り込む夕立を、獄卒たちはにわかに下卑た視線で眺めまわす。


「どれほどのタマなのか、俺たちにも味見させてくれよ。なぁ、夕立サマよ」

「やめとけ。たぶん死ぬぞ、お前ら」

「ははっ、死ぬときたか。具合がすぎてか? そりゃあ、ますます期待が膨らむねぇ」


 いやらしくわらいながら夕立の腕をひとつにまとめて押さえつけ、はだけた着物の合わせから首元へ顔を近づけてきた。耳や首を生温かいぬめった舌が這い回り、ゴツゴツとした手のひらが太ももを撫で上げてくる。


「上等の絹みてぇな肌だ……。こいつ、本当に男か?」

「すげぇな、この色気。そこいらの女よりゾクゾクくるぜ……」


 夕立はぼんやりと天井を見上げた。武力行使すればいつでも逃げられる。しかし、ここは厠の狭い個室だ。妖力の加減ができない自分が暴れるには、場所が悪すぎる。厠の崩壊程度で済めば良いが、下手をすると上の階にまで被害が及ぶ可能性があった。かと言ってされるがままになっても、この獄卒らではこちらの妖気にあてられ、命を落とすだろう。

 規模の分からぬ建物破壊と獄卒二人の命、被害が少なく済むのは後者であると判断した夕立は、身を任せるように体の力を抜いた。


「……お? 急に大人しくなりやがった。観念したようだな」

「悲鳴も上げないとは、さすが王の情夫いろだと噂されるだけはある。じっくり楽しませてもらうぜ」

「しかし、やっぱり便所じゃ狭いな。抵抗する様子もないし、一人ずつにしねぇか?」

「そうだな。お前が先でいいぜ。その代わり、さっさと回せよ」

「へへっ、分かってるっての」


 すっかり下品な表情になりさがった獄卒が夕立の帯に手をかけた時、どすっと鈍い音と共に、順番をゆずった男が床に崩れ落ちた。


「げえ゙ぇ゙ッ──! お゙ェ、っぇ゙……ッ! ぐ、ゔぅ……ッ」


 嘔吐しながら腹部を抱えてうずくまり、呻き声を上げている。続けて、おおいかぶさっていた獄卒の体が夕立から引き剥がされ、真後ろの手洗い場へ叩きつけられた。


「ガハッ……! っ……く、そ……一体、なにが……ッ」


 満身創痍の獄卒らが見上げた先には、鉄大太刀をたずさえた陀津羅が立っていた。塵埃じんあいでも見るような侮蔑と酷薄をたたえた視線と、感情のない声音で告げる。


「この人に手を出すとは、ほとほと救いようのない痴れ者どもだな。貴様らの生き死になど心底、興味は無いが、彼をけがす行為だけは仮借かしゃくしないぞ」


 獄卒たちは怒りをあらわにして陀津羅を睨んだ。


「くそ……ッ! ぽっと出のくせに偉そうなことぬかしやがって……。眷属だかなんだか知らねぇが、図に乗るなよ!」

「てめぇらなんぞ、ただの七光りじゃねぇか! でけぇツラしてられんのも今のうちだぞ、いぬっころが!」

「好きにほざけ。王と彼のためならば、狗でも何でもなってやる。さっさと失せろ。そして二度とこの人に近づくな。できないなら今すぐ死ね」


 陀津羅はぞっとするほどの殺気を放ちながら、冷ややかに言った。


「……狂ってやがる……ッ。なんでそこまで……」

「も、もう行こうぜ……。こんな連中に付き合ってらんねぇよ……!」

「おう……」


 陀津羅に恐れをなした獄卒たちは、慌ててその場から逃げていった。

 ふう、と息をついて鉄刀を帯に戻し、陀津羅は夕立の押し込められている個室へ入った。中では夕立が先ほどの格好のまま、ぼんやり座っている。


「大丈夫ですか?」

「おー」

「来るのが遅れてしまって、本当にすみません……。貴方を下賎げせんの者に触れさせてしまった……」

「どうってことねぇよ、これくらい。無駄な死人を出さずに済んだぜ、ありがとな」


 陀津羅は沈痛な面持ちのまま、夕立を立たせると乱れた着物を整えた。


「貴方はこのまま風呂へ行って下さい。閻魔王には、私から事情を説明しておきますから」

「いらねぇよ、審理に戻る」

「駄目だッ! 一刻もはやくその穢れを清めないと……君が君でなくなってしまう……!」


 血が滲みそうなほどこぶしを握り締めて叫ぶ陀津羅の肩に、夕立はそっと手を置いた。


「分かったよ。言う通りにするから、そんなに思い詰めんな。俺はいつもお前に助けられてばかりだな」

「……私は不具者だから、君のすべてを守りきれない……。それでも、私にそんなことを言ってくれるのかい……?」

「当たり前だ。だいたい、不具だってんならお互い様だろ。お前に足りない所は俺が補えばいいし、俺に足りない物はお前が補ってくれる。それで良いじゃねぇか」


 そう言って微かに笑った夕立の顔を、陀津羅は生涯、忘れはしないだろうと思った。


「……なら、君と私は二人で一人だ……。この先、何があろうとそれだけは忘れないでくれ。お願いだよ、夕立」

「ああ。忘れねぇよ」


 そうして、夕立と陀津羅は固い約束を交わした。どれくらい昔のことかも分からぬほど長い時を過ごす二人の、ほんの始まりの話だった。

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