第17話 父

 五年前のてんねい討ちの時、城門前でのあの敗戦はそんとんの一生のじょくくつじょくとして記憶されている。一日たりとて、忘れた瞬間はない。


 相対する王宮の兵たちの士気は高くない。それも現国王の利勇を守るためではなく、はんの急先鋒として現れた尊敦個人への反発から向かって来ているに等しかった。


 だが、尊敦は止まらない。馬を駆り、刀を振り、矢の雨を駆け抜けて先を目指す。刀のぎをわざと甘く済ませていた。不殺をこころざす一団は流れのままに、丘の上の宮殿へと駆け抜ける。


 しかし誰一人も傷つけずに、たおさずにれる国などこの世のどこにもありはしない。いくらなまくらの一閃でも、尊敦の刃は少しずつ誰かの命を吸って重くなる。そのたびに尊敦は心の中で、かつてのゆうの言葉の重さを噛み締めていた。


『情に流されるな、国を預かる者ならば───』


「伏せろっ、近寄るなっ! 道を開けろおおおっー!」





 宮殿にはすでに火が回っていた。


 尊敦たちがここに来る前から燃えていた。すでに、最初からすべては終わり始めていた。尊敦は見届けに来させられたのである。


 全員を待たせ、尊敦は燃え盛る王宮に一人で踏み込んだ。


「利勇様っ! どこにいるのですか、利勇様っ!」


 王の名を呼ぶ。ふんじんは肺を塗りつぶし、身体の奥で粉を吹く。目は熱でふっとうしそうだった。全身にまとわりつく炎を振り払い、焼け落ちてくる木材を刀で切り払い、尊敦は走る。奥御殿はそこだった。


「利勇様っ!」


 扉を開けた瞬間、ちょうとうが飛んできた。


 間一髪でかわし、尊敦は前を見る。そこには利勇がいたのだった。


 利勇はすでにカイに手をかけており、床は血の赤で染め上げられていた。そこにハルの姿はない。炎の中で尊敦が叫ぶ。


「利勇様、今すぐお逃げください! 今の内に裏手からのがれれば、兵には見つかりません!」


「ふん、孤児の分際で偉くなったものだな。お前ごときが余を殺せると思うな。余はこの世の全てをべる神である。これさえあれば余は……」


 そして利勇は喜色満面に、阿片の煙管きせるを口にくわえる。


 尊敦は刀を抜き、走り出していた。


「それを吸うな、吸うんじゃないっ! やめろおおおおおおっ!」


 煙管を叩き斬るべく、刀を振った。


「ぐお……」


 そしてその一閃は煙管だけでなく、利勇の首までを斬りいたのだった。


「あ、あぁ……!」


 間合いや目測を間違えるような尊敦ではない。利勇がのだった。


 利勇の首から阿片の煙と共に血のきりが舞う。尊敦は刀を落とした。


 天井のはりが崩れ落ちる。最後、尊敦は利勇を見つめた。炎を間に挟んで利勇もまた、身体の上に乗っているだけの首で尊敦を見ていた。二人の視線は真っ直ぐに重なっていた。血と煙と炎に包まれながら、利勇は言った。


「息子よ……」


「利勇様っ! 利勇様あああっ!」


 壁の肖像画が燃え落ち、利勇の上に降り注いだ。


 てん二十五人の炎に焼かれ、利勇の姿はごうまれて消えた。


 最後、利勇は笑っていた。按司屋敷で過ごしたあの日々のように───


 かぶとを脱いだ尊敦はかしずき、床にひたいをこすりつけて一人呟いた。


 その声は震えていた。


「お世話になりました、父上……!」


 れんの炎が、尊敦以外のすべてを燃やしていった。

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