第7話 死の杯


「利勇よ、この料理は何だ?」


「それは山羊やぎの刺身でございます」


「山羊だと? 臭みが全くないではないか」


よいくりやに立っている者は王国一の料理人でございます。明日から始まる聖戦の必勝を祈願し、陛下に極上の料理をきょうするため腕によりをかけて作らせております」


「うむ、美味いぞ。めてつかわす」


 酒宴はとどこおりなく続いた。


 とうけいや大陸由来の音楽を楽しみ、村の若い娘たちを踊らせる。てんねいは数々の料理にしたつづみを打ちながら酒をあおる。それはまるで、すでにいくさに勝利したがごとくの振る舞いだった。


 料理が進むと酒も進み、天寧はこれまでにないほどの赤ら顔になっている。


「うむ、いいぞいいぞ。おいゆうよ、もっと美味い酒を飲ませろ」


「では、こちらなどはいかがでしょう」


 そして利勇が差し出した盆の上には、こうらい渡来のせいさかずきが置かれていた。


「おぉ……」


 太陽の光を受けてきらめく海の輝きを写し取ったかのような、または青空に浮かぶ雲をぎょうしゅくして固めたかのようなその清々すがすがしい青色は、天寧のみならず見る者をりょうする。その中にはきんぱく入りのざけがれていた。


こんじょうにおいて、またとない極上の酒にございます。どうぞお召し上がりください」


「ふむ……」


 天寧はその杯を受け取ると、それを利勇に向かって突き返した。


「お前が飲んでみよ、利勇」


 心臓がね上がりそうになったが、利勇はそれをおくびにも出さない。あくまで平静を保ちつつ杯をした。


「いえ、これは私ごときが飲める酒ではございません。この国でこの極上の酒を飲むことが許されるてんじょうびとは、天寧様ただお一人でございます」


「構わん、余が許す。利勇よ、この酒を半分まで飲んでみよ。そうすれば余も飲むことにしよう」


「ではせめて、器を改めさせてください。この器も陛下のためにご用意した極上の一品でございます。私ごときが口を付けて、けがすわけには参りません」


「ならん。今ここで、この杯でこの酒を飲め。飲まないのならば殺す」


 何に気づかれ、何を勘づかれたのか利勇にはわからない。しかし人間を誰一人として信用しないこのさいしんこそが、天寧が今日まで生きて来られた理由だった。逆らう者は逆らう前に処分し、逆らった者は逆らったことを後悔させてから処分する。


 そして今、今日まで天寧の猜疑心の目を上手くかわしてきた利勇の前に、“死”がそそがれた杯が避けようもなく置かれていた。


「どうした? 早く飲め! 飲まんかあああっ!」


 天寧のつばが飛ぶ。


 利勇は目を見開き、杯を手に取り口に付け、かたむけた。


 顔を上気させて天寧が見つめる。利勇は杯を置いた。酒は半分まで減っている。


 しかし利勇は顔色ひとつ変えずに口をぬぐう。天寧は目を丸くした。


「ほう、毒かと思ったが……」


「毒などと、とんでもございません。私如きの舌には勿体ないほどに美味でございます」


「余の勘違いであった。では素直に飲むとしよう、余の新時代を祝してな」


 天寧は杯を傾け、残った酒を一息に飲み干した。杯を置くと、げっぷ混じりに言った。


「うむ、確かに美味であるな。利勇よ、褒めて遣わす」


「ありがたき幸せにございます」


「くくく、北や南のばんぞくどもには一生かかっても飲めぬ酒であろうな。おい、おかわりだ。もっとこの酒を余に飲ませろ」


「いえ、もう充分でございます」


「何?」


「一滴飲めば充分なのです、その酒を心身まで味わっていただくためには」


「何だと? 貴様、それはどういう……」


 効果はすぐに現れた。


 天寧の指が震え始め、杯が床に落ちて砕き割れる。


「かっ、ここっ、こっ……⁉」


 天寧は玉座の上で、打ち上げられた魚のように激しく痙攣けいれんし始めた。赤々とちょうした舌を上下させ、脚で床を何度も踏み鳴らし、目玉をぐるんぐるんと回す。玉座から転げ落ちるようにい出ながら、天寧は利勇の胸ぐらをつかんだ。


「きっ、しゃま! 何を飲ましぇたっ!」


 ぶつかった勢いで、食卓の上に並べられた皿が派手な音を立てて次々と床に落ちる。踊り子たちが悲鳴を上げ、他の側近たちはわけもわからず立ち尽くしていた。


「お答えいたします」


 すると利勇は、鼻からさっき飲んだはずの酒を吹き出した。利勇は飲んだふりをして、くうの中に酒を隠していた。手の甲で鼻をぬぐいながら利勇は答える。


飯匙倩ハブソウハギ仙人センニン河豚フグウミヘビテツ、さらにはスズランです。極めつけはトウ胡麻ゴマなるものの種、それらの旨味を加えただいせんの澄み酒でございます。かいさんさちを集めしごくいっぴん、今生のさいにどうぞごたんのうくださりませ」


「やっ、れえええっ!」


 王宮に天寧の怒号が響き渡った。


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