第2話 暴王

 琉球は北山ほくざんちゅうざん南山なんざんに分かれて覇権を争う三山さんざん時代だった。中山勢力は浦添うらそえに拠点を置き、村々を支配していた。その渦中の話である。


 尊敦そんとんはんひるがえす五年前───この浦添の地はへいしきっていた。


 税は日を追うごとに重くなり、村々の者たちは衣食を切り詰めて今日を生きびていた。 


 伝染病の蔓延まんえんも深刻だった。得体の知れないこのやまいにかかると、高熱を発して三日とたずに死ぬ。国はたしかに衰退の道を歩もうとしていた。


ゆうよ、各地の村々を監視する役人をもっと増やすのだ。ほんの芽は花が咲く前にみ取らねばならぬ」


 老人の名は天寧てんねい───この浦添一帯を支配しているちゅうざんの王である。


 大陸から買い付けたごうしゃぎょくに腰掛け、焼いたにくを口いっぱいにほおる。宮殿内には獣のにおいが立ち込めていた。


「はっ、ただちに……」


 天寧の側近であり、浦添按司あじでもあるよわい四十ほどの男───利勇はひざまずく。


 按司は村々の諸問題や雑事などを片付ける立場にあり、王の次に権力を持つ。しかし両者の間にははかりがたいほどの序列がある。王の前では按司も村人も馬も虫も同じである。


「ところでへい、村々では謎のえきびょうが蔓延しており民が次々と死しております。しかし民は税を払うべく、今日もやまいを押して農作業や狩りに出ています。命の限り天寧様のために尽くさんとするその姿にこの利勇、感涙かんるい致しました。天寧様の人徳じんとくの深さは、下々しもじもにまで確かに伝わっているのだと……」


 頭を下げたまま、利勇は天寧の顔を盗み見る。その口角はわずかに上がっており、けんしわはない。利勇は今が好機と見て切り出した。


「いかかでしょう。ここは一時的に減税措置をられてはいかがかと……」


 肉を食べる手が止まる。天寧のかたまゆが上がる。利勇はすぐさま続けた。


「さすれば民は陛下にさらなるおんいだき、永遠とわよりも長いちゅうせいを末代まで誓うことでしょう。そして、それは陛下のさらなる支配力強化につながります。これは国力強化の得策の内の一つかと存じます」


「利勇よ、きゃっだ」


 天寧は面倒臭そうに言って肉をかじる。 


 利勇は頭を下げたまま、ここでさらに食い下がるべきかどうか迷った。今の天寧の一言の声色こわいろだけでそれを判断しなければならない。間違えれば比喩ひゆではなく首が飛ぶ。そして決断し、より深く頭を下げた。


「申し訳ございません。私ごときが出過ぎた真似まねでございました」


「うむ、ここでさらに反論しようものなら一族もろとも海に沈んでいたところだ。命拾いしたな、利勇……」


 涼しい顔を保っているが、利勇の背中にはびっしりと汗が浮かんでいる。天寧は玉座から立ち上がり、骨をしゃぶりながら利勇の肩を叩いた。


「しかしお前に任せていれば安心よ。減税などもってのほかだが、これからもお前の裁量で村々の治安維持につとめよ。少しでも謀反の気があればすぐに余に伝えろ。いいな?」


「はっ、心得ております……」


「それはそうと、ミナト川の埋め立ては進んでおるか?」


「はっ、順調です。上流はほぼ埋め立てが完了しました」


「よしよし、これで洪水も起こらなくなるだろう。貯水池の増設はどうだ?」


「はっ、そちらも順調です……」


 一年前の大雨は川を氾濫はんらんさせ、広範囲で被害が出た。小さいながら四つの村が壊滅し、でき者は浦添全体で50人を超えた。畑も荒れ、今なお不作状態が続いている。


 そこで天寧が直々じきじきに打ち出した策とは、川を全て埋め立てることだった。そうすれば洪水は起こらないと主張したのである。


 それは民から貴重な水源を奪い取ることに他ならないこうの極みだった。当時も、利勇は慎重に言葉を選びながら水源の重要性を天寧へ伝えた。しかし天寧の意は変わらず、ならばと打診したのである。


『それならば、川を潰す代わりに貯水池を作らせてください。そうすれば洪水は起きない上、水源も確保出来ます』


 それが、利勇が天寧から引き出せた最大のじょうだった。天寧の了承を受け、五体投地してひれ伏す利勇を天寧は笑っていた。


『お前はいつも慎重だな。なぁに、川がなくても海に行けばいくらでも水はあるだろう』


 皮肉ではなく、天寧は本気でそう言ったのだ。


 そしてその貯水池は、水源としてまったく機能していない。村人たちは川の埋め立てに多大な労をついやされ、さらには税を納めるために漁や農作業も並行しなければならず、池を掘る作業は後手ごてに回っていた。


 掘削くっさく作業だけは各地で始めさせたが、作業はほとんど進んでいない。出来ているのは池や井戸どころか、ただの深めの水溜まりと呼んでいいような代物しろものばかりである。


「───利勇よ、上を見てみよ」


 うながされて顔を上げると、天井のはりには王のを取り囲むようにしていくつものしょうぞうかざられている。


 その数は二十四枚。二十四人の男たちが玉座を見つめていた。天寧は目の前の、一番古びた肖像画を指差した。


「初代国王、てんそん公だ。この島の創造そうぞうしゅであり、この国のしょうちょうたる存在だ」


「はっ、どんな言葉や表現をもちいても敬意をひょうするには足り得ませぬ……」


「しかしだ、かつては全土を支配していたてんが今はどうだ。恥知らずにも恩を忘れたほくてきなんばんは天家のまつえいたる余をあざわらっておる。余を嘲笑うということは、こくたる天孫公を嘲笑っていることと同じだ。許すわけにはいかん。いつわりの王どもを滅ぼすのだ。余だけが正統な王位けいしょうしゃなのだ」


 天寧は馬の骨をばりばりとくだき飲み込んだ。そして利勇に命じた。


「直ちにぐんぜいを整えさせい。村の男どもも年齢に関わらず徴兵するのだ。女には武具やひょうろうを準備させろ。まずは手始めに北狄を征伐せいばつする。出陣は一週間後だ」


「なっ……!」


「不満か」


「いえ……」


「よし、もう下がってよいぞ」


 そう言って、先に天寧が奥の間に下がる。利勇は急いでひたいを床にこすり付けた。今の自分の顔を見られるわけにはいかなかったからだ。


 一瞬とはいえ、目に殺意を宿やどしてしまった。


 去りぎわ、天寧は告げた。


「それから各村の役場に伝えろ。今後は病気と思われる者がいたら、すぐに殺して海に捨てろとな。王宮での蔓延だけは何としても避けるのだ」


 そう言い残して、天寧は去って行った。


 残された利勇はひれ伏したまま、両の拳を握りしめてとめどなく涙を落としていた。


(もう限界であろう、何もかもが……)


 民はえきに悲鳴を上げており、国が滅びようとしている今の状態でいくさなどぼうの極みだ。必要なのは戦ではなく、早急に内政を立て直すことのはずだ。


 今、北山や南山に攻め込めば返りちは必至ひっしだ。中山浦添はすべもなく負けるだろう。そのまま逆に侵攻され、領土すらあやうくなる。火を見るよりも明らかなことだった。


 ───天寧とは、悪魔の代わり言葉か。


 からの玉座にひれ伏して泣いている男を、二十四人の先王たちが見下ろしている。利勇は顔を上げた。


 そして天孫の肖像画を赤い目でにらみ付けた。


「天孫公、これが私の生涯しょうがい最後の涙です」


 もはやこれ以上のゆうは残されていない。利勇は天孫の肖像画に深々とこうべれた。


「悪魔を討ちます。うらむならば、どうかわたくし一人だけをお恨みになって下さい……」


 脳裏に妻と娘の姿が浮かんだ。娘のハルは昨日、十五歳になったばかりだ。


 利勇はしばらく、その場に涙のしずくを落とし続けた。

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