32・貧しい土地の誇り


 シータと呼ばれた若い手下は、気を失っていただけだった。魔物は巨体だったが、体がぐずぐずに柔らかかったのが幸いだったのだろう。やがて気付いた彼は、ミュリナに話をきいてふるえだした。


「できそこないの不完全な魔物だったわ……。なんなの? あれは」

「人工的な魔物なので、いびつな状態で現れることがあるようです……。でもこのあたりは、きのこの胞子を植え付けていない土地です。きのこがあるのはもっと北部の森の奥だけで……」


 中年の手下が言い訳のように言った。


「あのね、風が吹けば胞子は飛ぶのよ。このあたりなんて集落のすぐそばじゃないの。ボルゼーガは村人を皆殺しにする気なの?」

「こんなはずではなかったのです! 計算では、発生する魔物はフォンティネール一族で毎年楽に始末できる量のはずで……」

「大量発生して、大混乱まであと一歩じゃないの。なにが計算よ。あきれてものも言えないわ。そのきのこの研究者、ちょっとエモンティエに連れてきなさいよ」

「えっ……。ボルゼーガ様をですか?」

「ボルゼーガ本人が研究者? ああもう! あのひと見かけよりボンクラね!」

「しかし、ボルゼーガ様がいらしたから、フォンティネールは短期間でここまで発展したのですよ。宝石を最も数多く上納し、現王家から最も信頼を得ている領地ですよ。王都から遠く離れ文化にも遅れ、中央から相手にされなかったフォンティネール領が、まともに王都と渡りあえるようになったのは、ボルゼーガ様のおかげです」


 中年の手下はボルゼーガの賛美者らしかった。


「魔物を湧かせて、危険と隣り合わせになってまで、あなたは領地が発展すればいいと思うの?」

「地形が険しく気候の厳しいフォンティネールは、もともと穀物の育ちにくい貧しい土地です。不作のたびに他領地に頭を下げ、食物を融通してもらわなければ餓死者が出る。領民たちはみな、そんなのはもうごめんだと思ってますよ。私だってごめんだ」

「……」


 ミュリナは言葉を継げなくなった。


「貧しい土地にだって、自分の食い扶持は自分で得たいという誇りはあるのです。フォンティネールが誇りを持てたのは、ボルゼーガ様とご領主様がいらしたからです」


 誇り。

 誇りって、そんなに大切なものだろうか。身の危険を忍んでまで、追い求め、守らなくてはならないものだろうか。


「バカみたい。誇りなんて煮ても焼いても食べられないわよ」


 吐き捨てるようにエメが言った。


「王都に生まれ育ったおまえにはわからない。いつまた貧しさに転落するかわからない不安と苦しみは」


 若いシータが、そんなエメをにらんだ。


「今は議論してる場合じゃないわ。魔物が出たのよ」


 今考えなければならないことは、安全にこの洞窟を抜け出すことだ。ミュリナの肌をなぞる悪寒はなくならなかった。この洞窟には、まだ魔の気配がある。

 ジュリアスとははぐれてしまった。エメにも手下ふたりにも、魔祓いの力はない。いつも一緒のテトだって、もちろんいない。


 ひとりだ。


 たったひとりで、あと何匹いるかわからない魔物から、この者たちを守らなければならない。戦えるのは自分だけ。


(めげない。リディアーヌ様だって、毎日たったひとりで戦っているのよ)


 毎日、毎日、魔物の湧く青い森の中で。領民の誇りのために、家の誇りのために、一族の手で生みだされた人工の魔物を相手に。


「……ひとつきいていいかしら」

「なんでしょう?」

「リディアーヌ様は、ボルゼーガが魔物を湧かせたことをご存じなの?」

「奥方様はご存じではありません」

「そう」


 白馬に乗った魔祓い士。凛々しく崇高なリディアーヌの姿を思い描き、ミュリナはなんだか泣きたくなった。リディアーヌのやりたかったことが、こんなむなしい戦いだったはずがない。


「もうひとつきいてもいい?」

「なんです?」

「あなたの剣をわたしに託す気はある? 洞窟で弓は使いづらいの」

「駄目だピペ。こいつ逃げる気だぞ」


 このひとはピペというのか。うるさい若造のシータを無視して、ミュリナはじっとピペの目を見つめた。

 穏やかそうな中年騎士。きっと、彼の帰りを待つ奥さんと子供がいるだろう。敵とはいえ、死なせたくなかった。


 ピペはじっと、ミュリナのエメラルド色の瞳を見つめ返してきた。そして息を深く吐くと、「お持ちください」と言って鞘ごと剣を差し出した。

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